もえもえの記録(通園&通学関係)まとめ | もえもえ育児ほぼ終了日記と障害児家族の防災ブログ

もえもえの記録(通園&通学関係)まとめ

もえもえの育児日記として始めたブログですが、いまではすっかり育児とは言えなくなりましたてへぺろ

それでも、昔はこんな感じだったよという記録は今まさに子育て真っ最中の方々にちょっとだけでも参考になることがあるかもしれないので、テーマごとに纏めていきますので、ご興味のある方はお時間ある時にでもボチボチどうぞウインク

摂食についてのまとめ➡
誕生前後から通園開始まで➡

いつもの防災記事一覧はこちら➡

今回はもえもえの通園&通学関係です

ブログ始めて間もない頃、もえもえが通っていたのは発達支援センター内にある肢体不自由児通園施設でした。
同じセンター内には知的障害児通園施設も併設されており、もえもえが歩けるようになってからはそちらに移ることも検討しましたが、2歳から6歳まで肢体不自由児施設の方にお世話になりました。

知的障害児通園施設の方は、比較的早い段階で母親の付き添いがない単独通園となりますが、肢体不自由児施設の方は母子通園が基本でした。
母子通園で子どもに適した療育について学び、家庭でも取り入れることが出来るようにと言う方針からです。

施設がある発達支援センターでは集団療育の他に、個別に理学療法(P T)や作業療法(OT)言語聴覚訓練(ST)が受けられます。
更に、就学に向けて子どもの自立を促す目的で年中クラスから時間内に母子分離の時間を作ったり、子どもだけで療育を受ける単独通園を行ったりしてくれました。

就学先を決めるための学校見学や福祉機器展見学会等も行ってくれていましたので、ここに通ったことで様々な情報を得ることが出来たことに居間でも感謝しています。

福祉機器展見学会の記録です♿⬇

就学希望先が県立学校と市立学校では手続きが変わってきます。
学区が違うのも面倒くさいことにショボーン

地域の保育園の活動に参加させてもらう交流保育も行われていました。
交流保育先の運動会に行った時の記事ですニコニコ

肢体不自由児にとって水中で身体を動かすのはとても効果のある訓練になります浮き輪

肢体不自由児には基礎疾患があり体調を崩しやすいお子さんが多く、体調管理には気を使いました😷⬇

就学手続きは一筋縄ではいきませんでした⬇

呼吸器が弱くて、一度こじらせるとなかなか復活出来なくて、食事もとれなくなります。
そして、この時は気付いていませんでしたが給食拒否が始まりました⬇

通園期間は良い思い出の方が圧倒的に多いのですが、やはり人が変われば色々ありまして、珍しく怒りの記事を書いてますプンプン

就学前の体験入学です⬇

卒園を前に卒園文集を書きました。
思い出が多くて文章だけでは気持ちがおさまらずお絵描きまでしてますてへぺろ

季節の行事も大事にしてくれてました節分

健常なお子さんとの交流も大事な思い出です。
もえもえのこと、少しでも覚えていてくれると嬉しいなぁ⬇

就学先が正式に決まり、本格的に就学準備が始まりました⬇

母子通園が基本だったのでパパ達にも通園でどんなことをしているのかしっかり体験してもらおう!という一日でした爆笑

入学準備は楽しかったですね~照れ

入学準備の最中にまさかの外食も拒否が始まりましたガーン

卒園式間際に発熱したりしてハラハラしましたが無事に卒園式に出られました。
先生方には2歳から6歳まで4年間本当に良くしていただきましたおねがい

通園の時のママ友は今でも良き友達となった人がたくさんいます。
子育てに悩みながらも走り続ける仲間がいるというのは心を強くしてくれました⬇

先生方がお仕事の枠を越えて心から可愛がってくださったことが伝わる品々をいただきましたラブ

入学準備頑張りました!

特別支援学校に入学。
12年間の学齢期スタートです⬇

入学間もない頃は体力が追い付かず帰宅後は疲れている様子が見られましたが、学校自体は楽しく通ってくれました⬇

先生とのコミュニケーションは大事ですよね。しっかりと聞く耳を持っていて、何がもえもえの為になるのか短期的長期的な視点で考えてくださる先生方に支えられてきました。⬇

毎年恒例の検尿採取には苦労しました…ショボーン

今では批判の多いPTA ですが、私は学年代表や本部役員を引き受けたことで学校のことが良くわかり、先輩ママ達から色んな情報を得ることが出来たので、やって良かったなと思っています。⬇

肢体不自由児通園施設では運動会は無かったので学校に上がって生まれて始めての運動会に参加しましたニコニコ

ブログにはこの時位しか書きませんでしたが、小学部の頃のもえもえは椅子ごと転倒したり、クラスメイトとぶつかって倒れたりで頭をぶつけることも何度か起きてますショボーン
体力がついてぶつかっても踏ん張れるようになってからは無くなりましたが、MRI 検査を受けたりもしました。⬇

お迎えの時はネームプレートを忘れずにタラー
もえもえがお片付けにはまった時期は、もえもえルールで片付けるものだから色んなものが見つからなくなって毎度毎度室内大捜索してました⬇

入学して2ヶ月、初めて病欠しました。
給食拒否は続いてましたが、とても頑張っていたことを知りました⬇

スクールバスはバス停にお迎えがいなければ学校まで連れ帰る決まりですタラー

1学期もえもえがどんな風に頑張ったのか、先生方は本当に良く見てくださってました。
夏休みのしおりとか自由研究(創作)って普通校でもあるのかな?⬇

子どもの可能性は大人が勝手な判断で線引きしては駄目だなと感じた日でした。⬇

もえもえが支援学校に入学した年は新型インフルエンザの流行で大騒ぎでしたガーン
ワクチン確保するのにもかかりつけのクリニックと大学病院の両方に依頼したりしてました。
今振り返れば、今回の新型コロナ程で酷いものでは無かったのですが、もえもえが今よりずっと体力が無かった頃なので本当に大変でした…タラー

PTA の仕事が一年間無事に終えられました。
保護者の負担が大きいので無くしてしまった方が良いと言われたりもしますが、私はやって良かったと思っているので、今の時代にあったやり方で学校と保護者と社会が手を取り合って子ども達の為に動けたら良いなと思います。⬇

給食拒否が続くなか、時々は僅かに口に入れてくれることもあり、喜んでいるとまた一切食べなくなって落ち込む繰り返しでしたショボーン

もえもえの小学部1年生は、色々有りつつも学校と言う、親が不在の新しい社会で成長できるという姿が見られて充実した一年でした⬇

この頃からブログ更新が飛び飛びになっていきます。

小学部の間はまだまだ体調を崩すことも多く、大事なイベントの時に休んでしまうこともありましたし、健康診断でひっかかって要再検査に成ることもしばしばショボーン

アレルギーが改善したり良いこともあったのですが⬇

やっぱりイベントに弱かったえーん

もえもえは私に似ずお絵描きはあまり好きではありません。でも、工作は大好きで、ワークショップ等には積極的に参加しますニコニコ

東日本大震災の後は災害時引渡し訓練にも力が入りました。
小学部3年生から始めた居住地校交流もコンスタントに行けるようになりました。⬇

小学部4年生で初めての宿泊学習がありました。
この日に向けて一人寝が出来るように少しずつ慣らしていったり、給食拒否対策で週に一度給食介助に通ったり、学校側と相談しながら準備を進め、体調管理にも気を配り、無事に元気に参加できました笑い泣き

体調を崩しやすいのは相変わらずでしたが徐々に回復するのが早くなり、イベントの時に休んでしまうことも減ってきました。
居住地校交流も学習発表会も頑張りましたニコニコ

宿泊学習が終わってからまたしても給食拒否が始まったのですが、先生方と連携して何とか次の宿泊学習迄に食べられるように頑張りました(主に先生方が笑い泣き)⬇

体力がついてくれたお陰で3年ぶりに運動会に参加できました!

宿泊学習もクリアウインク

災害時を想定して車を使わないで引渡し訓練に参加しましたが、距離があるのでやはりかなり大変でしたアセアセ

体力がついてきたこと、もえもえが帰宅後の時間を少し持て余すようになったことから、小学部6年生で放課後等デイサービスを利用するようになりました⬇

中学部の頃の投稿はこの一回だけでしたアセアセ
通学服(制服っぽい服なら何でも可)を着て通うことでお姉さんになった自覚が出たのか、ご機嫌で登校し、給食もコンスタントに食べてくれるようになりました笑い泣き

高等部2年生のもえもえです。
特別支援学校卒業まで残り1年半となり、校内実習だけでなく、事業所への実習など社会人になるための大切な日々を送っていました。⬇

もえもえの高等部最後の年は新型コロナウイルスに振り回された一年でした。
一斉休校に始まり、前期の校外実習も無くなり、修学旅行も行けなくなり、様々なイベントもほんのちょっとの体調不良でも欠席せざるを得なくなりました。

放課後等デイサービス関連でクラスターが出たら即自宅待機となり、あえて記事にはしていませんが、もえもえの発熱が続いたことでPCR 検査を受けたり(陰性でした)もしました。
やり直せるものなら、1年間当たり前の生活をやり直させてやりたいくらいです。

それでも、様々な制限があるなか、必死に出来ることを探して頑張ってくださった先生方やデイサービスのスタッフさん、実習先の事業所の方々には感謝しかありません⬇

誰もが思いもよらない事態に振り回された一年でしたが、無事にもえもえの進路が決まり、無事に卒業式を迎えることが出来ました。
もえもえの特別支援学校での12年は最後の一年こそトラブル続きでしたが、とても充実しもえもえの心身ともに成長させてくれたと実感しています。
ゆっくりと焦らず、でも確実にもえもえが前に進めるようにしてくれました。
心から感謝していますおねがい

こちらの3本は防災記事として書きましたが、もえもえの学校が東日本大震災を受けてどう変わったのかわかると思いこちらにも載せておきます⬇

こちらはちょっと支援学校あるあるかなと思った傘についての記事です。
わりと晴れ女のもえもえは未だに傘を使ったことがありませんてへぺろ

肢体不自由児通園施設の4年間プラス特別支援学校の12年はもえもえの成長するペースにとてもあっていたと思います。
障害や病気のある未就学児の通えるところがなかなか見つからなかったり、就学先も選択肢が少なかったり、選択肢が多ければ多いで何を決め手に選べば良いのか迷ったりすると思います。

私が感じたのは、とにかく話を聞いてくれるかどうかが大事だと言うことです。
園や学校にも事情はありますので要望を出してもすぐに全ての要望が叶えられる訳ではありません。
それでも、何故その要望を出したのか、状況や心情を理解しようと耳を傾けて一緒に何が出来るのかを考えてくれる園や学校なら、きっとお子さんにとっても保護者の方にも良い場所になってくれると思います。

園や学校は本来お子さんと保護者の一番の味方になれるはずなんです。

不満があっても最初から敵対する対立者と思わず、いかに強力な味方にするのか、どう話せば理解してくれるのか考えてみてください。

通園&通学期間がお子さんと保護者の方々にとって素敵な思い出に彩られた日々になることを願っていますニコニコ

番外編(2021/8/29追記)
連絡帳の思い出を書いてます⬇





非常時の備えしてくださいね!

特に災害弱者と呼ばれる方ほど備えは必要です。

防災記事まとめ・その1はこちら➡

防災記事まとめ・その2はこちら➡

自宅療養・感染対策まとめはこちら➡

 

夏の防災(暑さ対策)まとめはこちら➡

水害対策まとめはこちら

災害弱者の備えと医療的ケア児者の避難実例まとめはこちら➡

 

先天性難病による障害児もえもえのことまとめてます。

もえもえの誕生から通園までのまとめ➡

もえもえの通園&通学のまとめ➡

もえもえの摂食のまとめ➡

もえもえのトイレトレーニングまとめ➡