もえもえの食遍歴~摂食は三歩進んで五歩下がる!?
もえもえの摂食についてのまとめ記事です。
令和5年4月
文末に固形物の咀嚼訓練についてと外食について追記しました。
もえもえの食事の支度を定番化して、如何に毎日の食事の支度を楽に出来るようにしてきたかを
で書きました。
書いている内にもえもえに食べさせることに悪戦苦闘した日々を思い出してしまったので、振り返りつつ書いてみます。
今では自分から何でも美味しく良く食べるようになってくれて本当に良かったとつくづく思います
もえもえはまだお腹の中にいるときに胸に水が溜まって肺が殆ど見えないくらい押し潰されていました。
胎児手術で肺が広がったとは言え、通常の1/3の大きさで生まれてきましたので、生まれた直後に挿菅し、呼吸器を着けていました。
当然、母乳もミルクも口から飲むことは出来ずに経菅で注入してました。
3ヶ月で呼吸器を外すことが出来ましたが、その頃には後鼻腔閉鎖が見つかっていて、鼻呼吸ができないため口から飲むのはやはり難しく、経菅での注入を継続。
生後半年で後鼻腔閉鎖の手術を行いましたが、鼻呼吸が出来るようになっても、鼻だけで充分な呼吸を確保できず口呼吸もしていましたし、もえもえの吸う力が弱くて口から飲むのが難しく、一応飲む練習は始めたものの、やはり経菅での注入が続きます。
もえもえは胃の噴門も相当緩かったようで、まだ注入していた頃から、ちょっとした弾みで全部戻してしまうことも度々有りました。
注入するスピードを調整したり、注入している間は身体を起こした状態にキープしたり、眠ってしまうと吐きやすくなるので、出来るだけ眠らせないようにしながら注入したりもしました。
注入している最中に管を自分で抜いちゃうことも良く有りましたね
飲む練習もなかなか進まず、哺乳瓶や乳首もどれがもえもえにとって飲みやすいのか取っ替え引っ替え手当たり次第に試しました。
結局、もえもえは液体を吸って飲むよりペーストを少量ずつ食べる方が上手くいくのではないかと主治医の先生とも相談し、ミルクの練習と平行して生後9ヶ月頃から少しずつ離乳食にもチャレンジ。
まー、これもそう簡単には進まず、口を開けようともしないもえもえをあやしたりなだめたりしながら、僅かに出来た唇の隙間に離乳食をほんの少し滑り込ませるように食べさせるのを繰り返しました。
そして、口に入っても飲み込もうとしないもえもえの下顎を持ち上げて飲み込みを促したり、口に入ったまま顔を動かしてしまって誤嚥するのを防いだり、どんな姿勢が一番安全に食べられるのか試行錯誤の日々でした。
直母(乳房からの直接授乳)はもえもえの吸う力が弱すぎて一度も成功しませんでしたが、哺乳瓶ならある程度飲めるようになり、離乳食も時間はかかるけれどもある程度は食べられるようになったので、一歳直前に試験的に注入をストップ。
三日間注入なしで口からの飲食で必要な栄養と水分が取れれば退院と決まりました。
飲んだり食べたりした量とおしっこの量を計測し、もえもえの体調を慎重に見極めながらのチャレンジでした。
そして、無事、ギリギリながらも合格ラインをクリアして退院決定!
一歳の誕生日を自宅で祝うことが出来ました
その後も離乳食を何とか必要な量を食べさせることに必死でしたね。
もえもえはとにかく食べることに興味を示さず、一回の食事に一時間くらいかかるのはざらでした
そして、ちょっと噎せたり、飲み込む瞬間の顔の位置が悪かったりといった、ほんのちょっとした具合でマーライオンか遊園地の噴水ショーかと思うような勢いで食べたもの全部戻してしまうことが繰り返しおきました。
これやられると必死に食べさせた一時間の努力が全て水の泡
もえもえも周りも汚れますし、色んな意味で大ダメージでした
筋力が弱いせいもあって座位をキープするのも難しいですから、椅子もあの手この手で身体や頭を支えられるように改良したり、もえもえの好きな玩具を使って視線を誘導しながら食べさせたり、思い付くままに色んなことを試しました。
基本的に料理好きな私ですが、この頃はもえもえの呼吸管理で夜まともに寝れてないわ、もえもえの食事に毎回えらいこと時間がかかるわで
「可愛い我が子のために愛情込めて丁寧な手作り離乳食」何てことは端から無理
生まれる前は作る気満々だったんですけどね~、時間も体力も無限にある訳じゃ有りませんので、市販の離乳食が充実した時代だったことに心から感謝して目一杯利用させていただきました
とにかく少しでも多く食べさせることに必死だったわけですが、その中でもこれだけはと心がけていたのが
「ご飯は笑顔で美味しく食べる」
こと。
食べることに興味を示さないもえもえにとって、食事の時間が嫌な時間になってしまってはこれから先が無いと感じたからです。
とにかく私自身が笑顔で、時には歌を歌ってみたり、変顔して見せたり、軽く踊ったりしながらもえもえの様子を観察し、少しでも好きそうな食材や味付けは何かを探って、少量でも食べたら心から誉めて、本当に一口一口を大事に食べさせました。
もえもえは感覚過敏もあって、熱くても冷たくても駄目で、食感も完全に滑らかなペーストでなければ駄目。
何度、温め直したり、慌てて冷ましたり、もう一度擂り潰したりしたことか。
その内に食べ進める間に冷めるのは何とか大丈夫になってくれたので、食べ始めの温度と食形態に注意すれば良くなったのがありがたかったですね。
その後もなかなか離乳食の形態を進めていくことが出来ずに苦労しました。
それでも食べることには徐々に慣れてきて少しずつ食事時間も短くなっていき、吐いてしまうことも減っていき、2歳から通い始めた通園施設(発達支援センター)では摂食訓練も受けることが出来て、給食も適切な形態で提供され、ゆっくりですが進歩していきました。
ただ、体調を崩すと途端に食べてくれなくなるのには困りました。
水分だけでも取れれば良いのですが、体調を崩すと一気に飲食できなくなるので大抵は発熱したら病院直行でそのまま入院点滴コース
入院セットは常に準備してましたし、顔馴染みの看護師さんに「あら~、もえもえちゃん、昨夜からだって?いらっしゃいませ~」と言われるのも日常茶飯事
2歳から6歳まで通った通園時代に徐々に体力がついてきて入院コース直行も減ってきて、食形態も最後の年には刻み半分、ミキサー粗掛け半分を混ぜて食べられるようになっていました
私の方も少しずつ余裕が出てきてもえもえ用の料理をする余裕も出てきました
体調を崩すと重湯状のものしか食べなくなったりはしましたが、行ったり来たりしながらも徐々に食べられる形態の幅が広がっていきました。
給食も喜んで食べるようになり、毎回ほぼ完食出来るようになったのですが、卒園まで半年を切った冬場、久しぶりに体調不良が長引いたことをきっかけに、もえもえが給食を一切食べなくなりました
そして、ここから、7年に渡る給食拒否が始まったのです。
場面拒食と言われる状態です
最初は通園施設の給食だけが駄目なのかと思っていたのですが、卒業間近に入学準備で買い物に出掛けた先でまさかの外食完全拒否
自宅か実家でしか食事してくれなくなってしまいました。
摂食メインの記事ではありませんが、拒否が始まった時の記事です
外食拒否の方は幸い小学部1年生の夏休みの旅行先で克服出来ました
その時の記事です
その後も給食拒否が続き、唯でさえ体力が無いのに、エネルギー源となる給食も拒否して帰ってくるので、いつどこで体調を崩すかハラハラしながら学校に送り出す日々でした。
学校からはスクールバスが出ていましたが、朝は乗車している時間が一時間を超えてしまうので、もえもえの体力を考えると少しでも登下校にかかる時間を減らしたくて入学当時は私が学校まで自家用車で送っていました。
帰宅したらすぐにおやつでエネルギー補給です。
学校でもかろうじて水分だけはしっかり取れていたので、ギリギリながら何とか登校を続けることが出来ました。
給食拒否は続いていましたが、新たな摂食訓練先に通うことになりました。
通っていた支援センターの先生方も此処で指導方法を学んだと言う病院です。
通い始めた時と2回目の摂食指導の時の記事です
ここに通い始めたことで摂食を進めたいと思うあまりに少々もえもえに負担がかかる食べさせ方や形態だったこともわかって、とにかく焦らず一つ一つスモールステップで安全で正しい食べ方をもえもえが身に付けられるようにしていくことが必要だとしっかり認識しました。
そして、支援学校に進学したあとでピーナッツアレルギー(甲殻類も)が有ることが判明しました
それまで学校給食にはピーナッツが使われたメニューもあったのですが、もえもえの給食拒否がこの場合は幸いして学校ではアレルギー反応を起こさずに済みました。
その後、学校給食メニューからピーナッツが消えました。
甲殻類も除去対応してもらうことになりました。
その後も給食拒否はなかなか改善せず
僅かに舐めることがある程度でも喜ぶような状態でした
その後、摂食指導でもえもえの上顎の大きな窪み(高口蓋)を埋める補助床を使うようになったり
ピーナッツ以外のアレルギーが改善したり
ほんの僅かに給食を口にしてくれることも出始めたのが小学部4年生の頃。
秋に行われる初めての宿泊学習に向けて学校と相談しながら私が給食介助に通ったり、様々な取り組みをしてきたことが実を結び始めました
そして、4年生の宿泊学習に無事に行くことが出来ました
これでもう大丈夫かと思いきや、また給食拒否が起きたりしましたが、翌年も何とか無事に宿泊学習に行けました
まだ毎日は給食を食べてくれませんでしたが、体力がついてきた6年生には放課後等デイサービスにも通えるようになりました
中学部に上がったもえもえは何故か突然給食を食べてくれるようになりました
7年間に及ぶ場面拒食が消えてくれたので、本当にほっとしましたし、給食を食べてくれることで栄養面で不安がなくなり、体力が持つようになってデイサービスもどんどん使えるようになりました。
そして、高等部では給食をほぼ毎日完食し、時には横で食べている先生の分まで欲しがるほどになりました
摂食指導は今でも続けていて、問題点一つ改善されるとまた次の課題が現れるいたちごっこでなかなか進まず、むしろ食形態は逆戻りしている部分もあったりしますが、長~~~い目で見れば前進していますので、これからも焦らず一つ一つスモールステップを積み重ねていくつもりです。
今のもえもえは食事を大いに楽しんでくれています
食事時間が近付いてお腹が空いてくると私をキッチンに連れていって「ご飯作って」とおねだりしますし、食事が美味しい時にはそれはもう満面の笑みと、右の小指を立てるもえもえ独自の「美味しいアピール」もしてくれます。
この笑顔が見たくてずっと試行錯誤しながらもえもえの食事に向き合ってきました。
これからも必要以上に無理はせず、でも大事なポイントは外さないように頑張っていこうと思います
令和3年5月追記
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令和3年6月追記
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令和5年4月追記
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先ずは軽い力でも噛み潰せるスナック菓子で
顎の動かし方に変化が感じられる様になってきました
咀嚼訓練を一歩前進させることが出来ました。しっかりと力を入れて噛み締める訓練です
摂食に課題があるお子さも楽しく外食が出来るように動かれているお母さん達の活動を紹介した報道内容についてともえもえ連れての外食の時のことを書いてます
今後も新しい記事があれば追記していきます。