祈りの宿までの道のりは、決して楽なものではなかった。道は歩きやすく、草原の緑は映え、青空に流れる雲の穏やかな風景とは裏腹に、魔物たちは凶暴だった。ふわふわと空中に漂うモーモンは、近づくと歯をむき出して噛みつく。ふよふよと浮かんでいるドラキーの体当たりは、軽そうに見えてズッシリと重い。猫魔道のメラは、アディールの背びれを焦がした。
アチチ!くそう、どうせならこの短剣にメラをしてくれれば火炎斬りをお見舞いできるのに!あ、でも、火炎斬りは戦士が使うんだっけ。旅芸人の僕じゃ無理か。
こうして、困難な旅の末、アディールは祈りの宿へと辿り着く。アディールが着いたとき、ひとりの花嫁が教会で祈りを捧げていた。
「美しい海。恵みの海。海に生まれ海に生きる私たちは、このすべての海に感謝します。私は、レーンの村へとお嫁に行きます。私たちの主である海よ。どうか、私たちを見守り続けてください。」
祈りが終わったのを見て、アディールは声をかけた。「あの、キールさん?」
「はい?ああ、あなたはアーシク様のシェルナーのかたですね。あの・・・アーシク様は・・・私のことを・・・」
「アーシクは、花嫁のあなたが来るのを心待ちにしていますよ。これ、アーシクの気持ちです。」
アディールは、大きく、白く、美しく、そして妖しい貝殻をキールに差し出す。
「まぁ、こんなに綺麗な貝殻を私のために?」
キールが貝殻に手を伸ばす。
すると。
・・・ここにいた・・・
どこからともなく、聞こえる声。
「え?なに?」
・・・ここにいた、僕の花嫁・・・
声は貝殻の中から聞こえてきた。普通の声ではない。二重にも三重にも絡み合う不自然で機械的で不協和な声。
・・・もう、誰にも渡さない!
貝殻から紫の霧が吹き出し、霧は突風のごとく部屋中を巡る。部屋の中で渦を巻き、その中心にキールを巻き込んだ。紫の渦は、完全にキールを飲み込む。
「い、いやっ!」キールは激しく抵抗しようとする。しかし、渦は完全にキールの自由を奪っていた。
「僕たちは・・・結婚するんだ・・・さあ・・来光の浜へ・・・」
「いやっ!アーシク様!助けてアーシク様!アーシ・・・」
渦は再び霧となり、部屋から風の速さで消え去った。そして、
コツーン。
教会の床に落ちた貝殻だけが残された。
「くそっ!」
アディールは膝をついて両手で地面を叩く。
これだったんだ。はじめから感じていた違和感はこれだったんだ。なんでもっと早く気付かなかったんだ!
「あの・・・」ひとりのシスターがおずおずと言う。「今、来光の浜と聞こえました。来光の浜とは、昔若い恋人同士が身投げをした岬ですわ。今の呼び名は・・・」
「慰霊の浜。」アディールは貝殻を拾い、立ち上がる。
「ご存知だったんですか?」
「この貝殻を拾った場所だ。」
「アディール!遅せーじゃねーか!なにやってるんだ、おまえはシェルナーなんだぞ!」
アディールが浜に着いたときには、すでにヒューザとアーシクが紫の霧と対峙していた。
「アディール!説明しろ!あいつはなんなんだ!なんで花嫁を連れてるんだ!?」
「ヒューザ、あいつはこの岬で身投げした花婿だ。この浜のことを来光の浜と呼んだ。それは、あいつが、まだ慰霊碑が立てられる前に死んでしまった亡霊ということ。」
紫の霧は、徐々に密集して人にも似た姿を形作る。密集した霧の色は濃くなり、黒に近い紫の体を形成する。
「黒き花婿ってところか。」
ヒューザは大剣を構え、黒き花婿を射程圏に捕える。ヒューザの間合いギリギリの位置。ヒューザが最も得意とする距離。しかし。
・・・ダーリアは僕のものだ。誰にも渡さない!
霧状の黒き花婿の拳はヒューザの間合いまで届く。
「くそ!手が伸びやがった!」弾かれたヒューザは、両足と右手を地面につき、地面を滑りながら踏みとどまる。「今度はこっちの番だ!」ヒューザが大剣で斬りつける。が、まるで雲を斬るかのように剣が花婿を通り抜ける。「ダメだ!斬っている手応えがねぇ。重い攻撃するくせに、こっちの剣はすり抜けやがる。おい、アディール。どうするよ?」
「わからないけど・・・もしかしたら、あの霧の中に、あいつを形作る核があるんじゃないか?もっと近づくことができれば・・・」
「わかった。オレが注意を引く。おまえは逆方向から懐に踏み込め。いくぞ!」
ヒューザは右から、アディールは左から、黒き花婿を挟むように走り込む。
「無駄だよ。」花婿はそう言い、右の人差し指をアディールに、左の人差し指をヒューザに向ける。指先が光り、光線がふたりに直撃する。
「なっ!」
「うわっ!」
アディールは弾かれて後方に吹き飛ばされ、ヒューザはその場に膝を付く。
「どうだい?動けないだろう?」黒き花婿はニヤリとして言った。
立ち上がろうとするが、痺れて動かない。今の怪光線で体が・・・。
動けないアディールに、のそのそと近付いてくる花婿。振り上げる拳。「終わりだよ。」と不協和音の声。
そのとき。
「待て!」
黒き花婿が声のほうを振り返ると、アーシクが震える右手に木の小枝を握っていた。
「バカ!おまえになにができる!隠れてろ!」ヒューザはそう言うのがやっとだった。しかし仮にアーシクが隠れていたとしても、ヒューザがこの場を乗り越えられる手段はない。
「ありがとうヒューザ。だけど、キールはボクの花嫁なんだ。キールはボクが守るんだ!」
アーシクは小枝を突き付けて黒き花婿に突進する。しかし、霧となった花嫁をすり抜け、バランスを崩して転ぶ。
「無駄だ無駄だ。僕の体に傷を付けることはできない。」
黒き花婿は転んだアーシクを拳の背で払い飛ばす。アーシクは背中から地面に叩きつけられた。
「ぐはっ!い、痛い・・・痛いけど」
アーシクは立ち上がる。
「痛いけど、キールの心はもっと痛い!」
アーシクがまた花婿に向かった。
「アディールがくれたんだ!石をも突き通す鍾乳石の水を!水だって石を突き通せる!ボクだって、自分の意志を突き通すんだ!」
「無駄だ無駄だ。」
花婿は、またアーシクを殴りつけ、アーシクは砂浜に転がる。それでもアーシクは立ち上がった。
「ボクは・・・ボクが花嫁を守るんだ!」
何度倒しても愚直に立ち上がるアーシクに、黒き花婿は戸惑いを見せた。
「花嫁を守る・・・?僕は・・・僕の花嫁は・・・」
アーシクはもう小枝も持っていなかった。それでも突進することをやめなかった。
「自分の花嫁を守れないなんて、そんなの花婿じゃない!」
そのアーシクの言葉に花婿は動きを止める。
「僕は・・・花嫁を守れなかった・・・?」
「キールはボクの花嫁だ!僕が守るんだ!」アーシクは何度でも言った。何度でも立ち向かった。
「うう・・・」花婿は両手で頭を押さえながら両膝をついた。「ダーリア・・・」弱々しい声が聞こえた。「ダーリア?ダーリア!」黒き花婿はキールに手を伸ばす。「君は僕の花嫁だろう?そうだろう?」
「いいえ。」キールは首を振った。「私はアーシク様の花嫁!あなたの花嫁ではないわ。」キールは強い口調で言う。「私はキールよ!あなたの花嫁ではないの!」
「そんな・・・そんな・・・」花婿は両手を地面についていた。
それを見てキールが飛び出す。「アーシク様!」
アーシクもキールのほうへ走る。「キール!」
伸ばした手がふたりを繋ぎ、そしてアーシクがキールを引き寄せ、抱きしめた。
「キール!キール!ボクの花嫁!」
「アーシク様!ええ、私はアーシク様の花嫁!」
黒き花婿は、もう抱き合うふたりを邪魔することはできなかった。ただ「ダーリア・・・ダーリア・・・」とか細く連呼するばかり。
しかし、不協和の声が響く中、どこからともなく優しい声が聞こえる。「レグ。私はここよ、レグ。」
花婿はうなだれていた頭をあげた。
「そう、レグ。僕はレグだ。」花婿を纏う紫の霧が少し晴れた。不協和の声がひとつ少なくなった。
「ごめんね、レグ。もう離れ離れにはならないわ。」
「ダーリア?君なのか?」また少し霧が晴れ、声の重なりがなくなった。
「ええ。私はあなたの花嫁、ダーリア。」
紫の霧は完全に散っていた。霧から出たレグの姿は、アーシクとよく似た若いウェディ。「ダーリア。僕は君を守れなかった。花嫁の君を守れなかった・・・」
「いいえ、レグ。私は救われたわ。またこうして会えた。」
ダーリアが優しく差し出す手に、レグが自分の手を重ねる。
大きく深呼吸してから、レグがアーシクを見る。「目が覚めたよ。長い間ダーリアのことを悔いるあまり、君の花嫁にダーリアを重ねてしまっていた。なんと謝ればよいか・・・」
「いや・・・」アーシクは首を振って言う。「これ、キミたちのものだったんだね。そうとは知らずに、ボクがキールに渡そうとしてしまった。ごめん、これはキミたちに返すよ。」
「ああ。僕たちの貝殻・・・。僕とダーリアの貝殻・・・」レグは貝殻を受け取り、ダーリアに向き直る。「ダーリア。二度目はシェルナーがいないから、僕から直接受け取ってくれ。」
「レグ。私たちの貝殻。」
「聞かせておくれ。君の歌声を。」
「ええ、レグ。これは私からの返し歌。私の気持ち。」
ダーリアは古いしきたりのとおり、レグの貝殻を受け取り、そして返し歌を唄った。その澄んだ美しい歌声は、場の全員を心を安らかにした。まるで、今までの激しい戦いが嘘だったかのように。
「さあ行きましょう、レグ。」ダーリアはレグに手を差し出す。
「ああ、ダーリア。」その手をしっかり握るレグ。
「もうこの手を離したりしない。彼が教えてくれたよ。」レグは視線でアーシクを指し、ダーリアに向き直る。「行こう。」
レグとダーリアは、そして、海へと帰った。
レグたちが海へと消えるのとほぼ同時。
遥かかなたの大地から、白い光の糸が昇るのが見えた。糸は、いくつにも折り重なり、一本の糸を守るように他の糸が絡む。絡まれた糸もまた、他の糸を守ろうと複雑に絡み合う。絡み合いながら、天へと昇る光の糸。
「レンダーシア・・・」ヒューザがつぶやく。
「あの光は勇者の光。」浜の入り口には、いつの間にかバルチャ老が立っていた。「伝説の勇者が現れたとき、レンダーシアから白き光が天に昇ると言われておる。」
「バルチャ爺!」歩いてくる老人に、アーシクがまた驚いたように言う。
「お前たち。レグに会ったのか。ここの貝殻は拾うなと言ったはずじゃが?」
「ごめんなさい。あまりにも綺麗な貝殻だったので・・・」アーシクが下を向く。
「レグの纏った霧。あれは魔瘴と言ってな。ひとたび触れればただでは済まされん。魔に染まる者、命を落とす者、怨霊となる者。」バルチャ老は続けた。「もう古い時代になくなったと聞いておったが、今また魔瘴に侵された者が出てきた。そして勇者の光。もしかしたら、世界で何かが起ころうとしているかもしれん。アディール。アーシクの結婚式が終わったら、わしのところに来なさい。話すことがある。」
翌日。
アーシクとキールの結婚式が華やかに行われた。
「さあ、花婿のアーシク。花嫁に誓いの貝殻を渡しなさい。」と、村の神父がアーシクに言った。
「キール。あの後、ボクはボクにふさわしい貝殻を探したんだ。ボクは、大きくも強くもない。ボクは、みんなの助けがなければ、何もできない男だ。だけど、だけどキミだけは絶対に守ってみせる。白くもないし、形も不格好だけど、これが、ボクの誓いの貝殻だ。」
「これは・・・。こんな貝殻見たことないわ。私は・・・、私はアーシク様のところに来られて、本当に幸せよ。」
返し歌を唄うキールの手には、小さく、硬く、薄灰色の四枚貝が握られていた。外側に小さな薄灰色の二枚貝。そして、その内側に守られるように小さな小さな白い二枚貝。それぞれがひとつの貝殻として繋がっている。村の誰も見たことがない、珍しい形の貝殻に、美しく優しい歌声が響いていた。
「さてアディール。」バルチャ老はアディールの黒い目を見る。「ふむ。おまえは、おまえであっておまえでない。いや、何も言わずともよい。この鏡に顔を映してみなさい。真実が見えるはずじゃ。」
アディールが覗く鏡には、黒髪黒目の人間の青年が映っていた。
「ウェディのアディールはの・・・」バルチャ老はアディールに背を向けて、ひとりごとのように話す。「幼少の頃に砂浜で倒れていたのをわしが見つけてこの孤児院で暮らした。あれは生き別れの親を探しておった。大きな城の研究者だったそうじゃ。シェルナーとしての役割を果たしたら、わしはこれを渡すつもりじゃった。」バルチャ老は、部屋の引き出しから勲章と通行証を取り出した。「これは一人前の証じゃ。この証があれば、他の町に行っても、身分を証明できる。それから、こっちは大陸間鉄道パス。他の大陸に行くときに、鉄道を利用するための通行証じゃ。おまえがウェディのアディールでないことはわかっておる。じゃが、アディールがわしの子であることに変わりはない。ウェディのアディールも人間のアディールも、大切なわしの子じゃ。それを忘れてくれるな。」
「バルチャ爺・・・」
「魔瘴の復活と勇者の光。そして、時を同じくして転生したアディール。これもなにかの運命かもしれんの。村を出て、おまえはおまえの運命を探すのじゃ。祈りの宿よりさらに西に、ジュレット行きの船着き場がある。ジュレットは大きな町じゃ。いろいろなことがわかるじゃろう。大きな町の長は、キーエンブレムという勲章を持っておる。こんな田舎村では一人前の証ぐらいしか渡せんのじゃが、キーエンブレムを持つことができれば、さらに大きな信頼が得られるじゃろう。さあ、行きなさい。そして、ウェディのアディールが両親を探していたことも、心のどこかで覚えておいてくれ。」
「ありがとう、バルチャ爺。僕はこの村を決して忘れない。」
「ほっほ。疲れたらいつでも帰って来い。」
「よう、アディール。」
「ヒューザ?」
「オレもこの村を出ることにした。」
「じゃあ、一緒に行かないか?」
「そいつはお断りだ。オレはオレの思うように旅をする。おまえはおまえの目的があるんだろ?そいつを探すんだな。」ヒューザは半身でアディールを見た。そして、右手の人差し指と中指を立てて自分の額に当て「じゃあな。」二本の指をアディールのほうに下ろしながら言った。そして、踵を返すように、ヒューザは走って村を出た。
運命。目的。使命。転生したことの意味。
僕にはどんな使命が与えられているのか。このウェディの体に入ったことに、どういう意味があるのか。そして、ウェディのアディールの両親。
アディールは、バルチャから渡された一人前の証を見た。
そう、僕はまだアストルティアを知らなすぎる。
村を出たアディールは、一路ジュレットを目指す。
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【目次】
序章:誕生【1】【2】
1章:エテーネの民【1】【2】
2章:旅立ち【1】【2】
3章:ランガーオの戦士【1】【2】【3】
4章:ジュレット【1】【2】
5章:グロリスの雫【1】【2】
6章:赤のエンブレム【1】【2】【3】
7章:港町【1】
8章:嘆きの妖剣士【1】【2】
9章:風の町アズラン【1】【2】
10章:世界樹の約束【1】
11章:ガラクタの城【1】【2】
12章:五人目の男【1】
13章:団長の策謀【1】【2】【3】【4】
14章:娯楽の島【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】
15章:三つの願い【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】【9】【10】
16章:太陽の石【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】【9】【10】【11】【12】【13】
17章:白き者【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】【9】【10】【11】
18章:恵みの歌【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】【9】【10】【11】【12】【13】
19章:錬金術師【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】【9】【10】【11】【12】
20章:時渡りの術者【1】【2】【3】【4】
21章:ふたつ目の太陽【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】【9】【10】【11】【12】
22章:冥府【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】【9】【10】【11】【12】【13】
終章:レンダーシアヘ【1】【2】
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【目次】
序章:誕生【1】【2】
1章:エテーネの民【1】【2】
2章:旅立ち【1】【2】
3章:ランガーオの戦士【1】【2】【3】
4章:ジュレット【1】【2】
5章:グロリスの雫【1】【2】
6章:赤のエンブレム【1】【2】【3】
7章:港町【1】
8章:嘆きの妖剣士【1】【2】
9章:風の町アズラン【1】【2】
10章:世界樹の約束【1】
11章:ガラクタの城【1】【2】
12章:五人目の男【1】
13章:団長の策謀【1】【2】【3】【4】
14章:娯楽の島【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】
15章:三つの願い【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】【9】【10】
16章:太陽の石【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】【9】【10】【11】【12】【13】
17章:白き者【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】【9】【10】【11】
18章:恵みの歌【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】【9】【10】【11】【12】【13】
19章:錬金術師【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】【9】【10】【11】【12】
20章:時渡りの術者【1】【2】【3】【4】
21章:ふたつ目の太陽【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】【9】【10】【11】【12】
22章:冥府【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】【9】【10】【11】【12】【13】
終章:レンダーシアヘ【1】【2】
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