ザーンバルフは雲上湖に向かっていた。チグリ大臣の言うとおり、オーレンの暴挙にはなにかわけがあるに違いないと、ザーンバルフも思う。いや、富豪を襲ったという事実自体がねじ曲げられているのではないかとも思った。一度は剣を交え、2度目には話に応じようともしてくれた。剣士としての腕は確かなものでありながら、そのたたずまいは威風堂々。聖杯を守るために剣を抜くことはあっても、自らが他者を侵害したり弱者を虐げたりするとは、ザーンバルフには思えなかった。
ゲルト海峡を抜け、ランドンの積雪を踏みしだき、雲上湖への急斜面を登る。やがて雲上の水面を通過し、湖の渦の中心へと辿り着いた。オーレンはそこにいた。見えない木に、妖刀で斬り込みを入れ、聖杯で樹液を受け取る。聖杯の中は黄金色に輝いていた。
「これがグロリスの雫。これがあればあいつらを救える。これさえあれば。」オーレンの声がザーンバルフにも聞こえた。
「オーレン!」ザーンバルフが叫ぶ。
「む!きさまガートラントの追手か。そこを通らせてもらうぞ。私には行くべきところがある。」オーレンは聖杯を持つのとは逆の手で妖刀を構えた。
「違う!俺はガートラントの追手じゃないし、戦いに来たわけでもない!話を聞いてくれ!」
しかし、ザーンバルフの言もむなしく「そのような言葉に騙されたりはせぬ!」とオーレンがのしのしと踏み寄る。
そのとき、ザーンバルフとオーレンが剣を交えるまでもなく、雲の水面からグギャーと水竜が顔を出した。「オーレン様。ここは私が足止めをします。オーレン様はどうか先にお進みください。」
「すまんな。私は先に行かせてもらう。」オーレンはすでに雲上湖を降りようとしていた。
「待て!待ってくれオーレン!」ザーンバルフがオーレンに駆け寄ろうとすると、水面を滑るように水竜が間に割り込む。以前とは違い、いま水竜はザーンバルフを雲上の湖から脱出させまいとしている。雲から飛び降りようとしても、水竜は素早く回り込み、常に谷側からの攻撃を仕掛けた。オーレンの影はもう見えず、ザーンバルフは水竜によって山の頂上、湖の中心へと押しやられていた。ザーンバルフは望まない戦いを強いられる。水竜のマヒャドは強烈で、このランドン山脈の極寒よりもさらに強力な零度でもってザーンバルフを凍結させる。オーガ特有の分厚い皮膚で覆われていても、その零度から逃れることはできなかった。ザーンバルフも新調した棍で応戦するが、なかなか決定打を繰り出せずにいた。ザーンバルフと水竜が一進一退で消耗戦を続けるうちに、やがて水竜の動きが鈍くなってきた。好機と見たザーンバルフは、一気に水竜との距離を詰め、力任せに棍を振るう。しかし、水竜はそれをひらりとかわし、逆にザーンバルフにのしかかってきた。ザーンバルフは地面と水竜の体でプレスされてしまう。しまった、と舌打ちをするザーンバルフは、しかし体が思うように動かず、尻餅をついたまま。その間に水竜はマヒャドを詠唱していた。ダメだ、間に合わない。ザーンバルフは立ち上がりながら頭を巡らせていた。マヒャドが降りかかるより前に攻撃しなければ、もうこれ以上は戦えない。なんとか唱えるのを防がなければ。考えはするが、打開策は思いつかない。
しかし、その打開は思いがけないところから繰り出された。ザーンバルフの後ろから飛んできた炎の塊によって水竜が炎上したのである。「やれやれ。そんなことだろうと思っておったわ。」という聞き覚えのある声がザーンバルフの背中に届く。声の主はそろそろと歩いてザーンバルフの横に並び、口にくわえたパイプからはぷかぷかと煙が浮かんでいた。
「じいさん、どうしてここへ?」ザーンバルフが驚いて声の主、老賢者エイドスを見た。
「おぬしがここに来るのではないかと思ったのじゃ。雲上湖のことなど、言うんじゃなかったわい。しかし、こうなってしまっては仕方ない。さあ、ギルギッシュ、あの水竜にトドメを刺してくるがよい。」エイドスは杖の先で炎上する水竜を指した。
ほどなく、断末魔が雲上に響き、水竜がどしんと倒れた。「オーレンさ・・・どうか・・・ご無事・・・」水竜は目を閉じて動かなくなった。
「こやつもオーレンと同じく、哀れな最期を遂げた魂のなれの果て。」ザーンバルフが問うまでもなく、エイドスはパイプから煙を噴き出しながら話し始めた。「この間の話の続きをしよう。」
エイドスの助言によって魔瘴を払うためにはレムルの聖杯が必要だと知ったオーレンは、聖杯を持つガートラントの大富豪を訪ねた。部下たちを救いたい一心で、オーレンは富豪に頭を下げ、来る日も来る日もその屋敷に通い詰めたのだという。しかし持ち主の富豪はオーレンの言葉には耳を貸さなかった。そんなオーレンを救ったのは、富豪の娘であるパリン。オーレンの高潔さに触れ、恋い焦がれた娘は、自分の家の聖杯を無断で持ち出してオーレンに渡し、そして自分もオーレンについて行くと家を出た。
「しかしそれは軽率な行いじゃった。パリンの父は、娘と聖杯が奪われたと訴え、オーレンはガートラントに追われる身となったのじゃ。」麦わら帽からのぞく目は虚空を見つめていた。
グロリスの雫を欲するオーレンは、なんとかガートラントの追手を振り切って、ここ雲上湖まで来たという。ところが、ここには水竜ギルギッシュがいて、オーレンとパリンはその竜に襲われることとなった。やっとのことで水竜を撃退したものの、オーレンは傷つき、パリンも大けがを負う。
「オーレンは娘に雫を与えたが、そもそも雫のチカラは傷を癒すものではない。その怪我がもとで、結局娘は息絶えた。以来、ギルギッシュはグロリスの木の守護者として蘇り、永遠の存在になったのじゃ。今思うと、これこそグロリスの雫のチカラだったのかもしれんの。水竜がオーレンを味方するのは、パリンの救われない魂のチカラだったのかもしれん。いや、おぬしが気にすることではない。死者を安らかに眠らせてやれたのじゃ。パリンとておぬしを悪くは思うまいよ。」
「オーレンは・・・オーレンはベコン渓谷に戻ったのか?」
「左様。部下たちを救うために、じゃ。おぬしも見たじゃろう。オーレンを取り巻く骸たちこそ、やつのかつての部下。オーレンは、部下たちの手によって殺されたのじゃ。」
「なんだって!?どういうことだ!オーレンは部下たちを助けようとしたんじゃなかったのか!?」
「ふむ。よかろう。ここまで来たのじゃ。おぬしにはすべてを語ったほうがよいのかもしれぬ。もう止めはせぬ。オーレンを追うぞ。ベコン渓谷じゃ。」
「ずいぶん長い間待たせてしまったな。この雫で、魔瘴に侵されたお前たちを救ってやることができる。」
ベコン渓谷の洞窟の奥。オーレンはがいこつたちにグロリスの雫を振りかけた。
「無駄じゃ、オーレン。」ザーンバルフとともに老賢者エイドスがそこに駆けつける。
「エイドス、どうしてここへ?」
「そんなことより部下たちを見よ。」
エイドスの言葉を受けてオーレンががいこつたちに目を向けると、骨がばらばらと崩れ落ち、人の形を成さなくなっていた。
「バカな!雫を浴びせればうまくいくはず!エイドスよ、そう言ったではないか!」オーレンは崩れ落ちた骨たちを拾い上げた。骨はオーレンの手の中で粉となり、指の隙間からサラサラと流れ落ちた。「お前たち!どうしてだ!?」
「魔瘴に侵された亡者が雫を浴びれば消え去るのが道理。そやつらは、魔瘴のチカラでその形をとどめていたのじゃからな。今こそ語らねばなるまい。」
膝をつくオーレンを横目で見ながら、エイドスは語り始めた。
「グロリスの雫を手に入れたオーレンは、部下たちの待つこの渓谷に辿り着いた。そこでオーレンが見たのは、すでに絶命し、魔瘴に侵されきって生ける屍と化した部下たちの姿。」
膝をつくオーレンを横目で見ながら、エイドスは語り始めた。
「グロリスの雫を手に入れたオーレンは、部下たちの待つこの渓谷に辿り着いた。そこでオーレンが見たのは、すでに絶命し、魔瘴に侵されきって生ける屍と化した部下たちの姿。」
ザーンバルフの脳裏に、念の像が流れ込んできた。オーレンの思念。生前の記憶。
部下の骸たちを見たオーレンは絶叫する。どうしてだ!どうして間に合わなかった!お前たち、すまない。私を許してくれ!いや、許してほしいなどと思ってはいない!オーレンの言葉が届いたか届かなかったか、屍となった部下たちは、その凶刃をオーレンに向けた。オーレンは両手を広げて叫んだ。「これがお前たちを救えなかった罰ならば、喜んで受けよう。だが、このまま死に果てようとも、私はお前たちを見捨てたりはせぬ!死して後もともにあろうぞ!」
「オーレンの念が届いたか。ふむ。そうして妖剣士は誕生した。わしが知ったのは、すべてが終わった後じゃった。オーレンは、わしに迷惑をかけぬよう連絡を絶っておったのじゃ。生前の記憶に囚われたオーレンが雲上湖に向かったときから、この結末はわかりきっておった。わかっていながら、わしにはあやつを止めることができなかった。すまぬ、おぬしが止めてやってくれ。オーレンの呪縛を解いてやってくれ。」麦わら帽子の切れ目から光るものが流れ落ちた。その目には、もう鋭さはなかった。
「わかった、じいさん。そしてオーレン!俺にできることは、このぐらいしかない!」ザーンバルフはオーレンに棍を向けた。「最後の戦いだ。その剣技を見せてくれ!」
剣聖オーレンの剣技は鋭かった。二刀流による薙ぎ払いや渾身の振り下ろし。ザーンバルフは幾度となく危機に立たされたが、しかし、オーレンの剣が直撃する寸前に、エイドスのヘナトスに助けられて致命傷を避けることができていた。オーレンに魔法を向けることができないがゆえの、老賢者の心苦しさが伝わってくるようだった。やがてザーンバルフの棍が剣士オーレンの妖刀を弾き飛ばした。さすが、ジダン兵士長が自信を持っていただけのことはある、剣にも負けない棍だった。ザーンバルフは飛び上がり、オーレンの頭上に棍を振り下ろした。「黄泉送り!!」額を打たれたオーレンは倒れ込み、ふたりの戦いは、奇しくも、一度目の戦いと同じ形で決着した。
「オオオ、私は・・・私は・・・」オーレンの体はぼろぼろと崩れ落ちていた。
「すべて終わったのじゃよ。すまなかったオーレン。もう眠りにつくがよい。」
「エイドス・・・そうか・・・思い出した。私はすでに死んだ身。先に行った部下たちに、見放しはせぬと約束したのだった。今行くぞ、お前たち・・・」
部下のがいこつと同じように、オーレンも粉となり散った。
「わしはな・・・」オーレンの姿が散り行くのを見届けたエイドスは口を開いた。「わしは、オーレンに魔瘴の解き方を教えただけで自分の役割を果たしたと満足していた。わしがもっと協力していれば・・・。これはわしの罪でもある。」エイドスは杖をつきながら、ゆっくりと部屋の奥へと歩いた。「オーレンは最期に目を覚ました。わしも目が覚めたよ。」部屋の奥の聖杯を手に取り、ザーンバルフに手渡す。「聖杯じゃ。チグリ大臣に渡してくれ。わしもこれで、ひとつの過去を精算できた気がするのじゃ。」
ザーンバルフは、グレンに戻ってチグリ大臣にレムルの聖杯を届けた。
「なんと、エイドス様は友オーレンのことでずっと苦しんでおられたのか。長い苦しみだったのでしょうな。結果的にエイドス様は苦しみから解放されたわけですが、私も少し踏み込み過ぎたと反省しておる次第です。しかし、事件はこれで解決ですな。胸のつっかえも取れました。ありがとう、ザーンバルフ殿よ。」
大臣の話が区切れたところで、そばにいた学者がザーンバルフに進み出た。「ワタシはこれから歴史書を書き直しマス!真実を後世に伝えたい気持ちになったのデス!」そう言って、王の間から出ていった。
「して、これからどちらへ向かうおつもりですか、ザーンバルフ殿?」とチグリ大臣。
「少し遅れてしまったが、アディールとレンドアで落ち合うことにしているんだ。いや、もうレンダーシア本土に渡ってしまっている頃だろう。」
「そうでしたか。しかしレンドアの定期便は今は動いてはおりませんぞ?アディール殿も、レンダーシアには渡ることはできないはず。」
「なんだって!?」
ザーンバルフとアディールは、お互いの役割を終えた後、レンドアで会うことになっていた。しかし、ザーンバルフのほうは、オーレンと聖杯の事件を追っていたことで、予定よりもずっと時間がかかってしまっている。一方で、アディールのほうも、レンダーシアに渡れていないとすれば、ずっと港町にいるわけにもいかないはずだ。きっと、その先の大陸に進んだに違いない、とザーンバルフは思う。レンドアの向こうにある大陸といえばエルフたちの住むエルトナ大陸。アディールはエルトナへと向かったと考えるべきだろう。しかし、エルトナでじっとしているわけではない。アディールには、世界の魔瘴を封印していくという使命があるのだから。そのまま追ったのであれば、追いつけないかもしれない。とすると。
ザーンバルフは、ひとつの結論に達した。「逆回りだな。」
列車に乗って、アディールと逆回りに世界を巡って魔瘴を封じていけば、いつか必ずアディールと合流できる。アディールだって魔瘴の封印とキーエンブレム集めをしているんだ。
ザーンバルフは、城を出てグレン駅から列車に乗り、反時計回りに進む。
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【目次】
序章:誕生【1】【2】
1章:エテーネの民【1】【2】
2章:旅立ち【1】【2】
3章:ランガーオの戦士【1】【2】【3】
4章:ジュレット【1】【2】
5章:グロリスの雫【1】【2】
6章:赤のエンブレム【1】【2】【3】
7章:港町【1】
8章:嘆きの妖剣士【1】【2】
9章:風の町アズラン【1】【2】
10章:世界樹の約束【1】
11章:ガラクタの城【1】【2】
12章:五人目の男【1】
13章:団長の策謀【1】【2】【3】【4】
14章:娯楽の島【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】
15章:三つの願い【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】【9】【10】
16章:太陽の石【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】【9】【10】【11】【12】【13】
17章:白き者【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】【9】【10】【11】
18章:恵みの歌【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】【9】【10】【11】【12】【13】
19章:錬金術師【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】【9】【10】【11】【12】
20章:時渡りの術者【1】【2】【3】【4】
21章:ふたつ目の太陽【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】【9】【10】【11】【12】
22章:冥府【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】【9】【10】【11】【12】【13】
終章:レンダーシアヘ【1】【2】
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