序章 誕生
「ガラトアよ。」
静かなる神殿の中、人間の耳ではかろうじて聞こえるかどうかというほどの、ゾウのように低い低い声が響く。
「はい、魔王様」
答えたのは、魔王と呼ばれた魔物より、やや高い声色。目がひとつだけある仮面をかぶっていて、表情も心のうちも全く読みとれない。
「魔王はよせ。ただこの玉座に座っているだけの、仮初めの王だ。魔軍の中の単なる主席に過ぎぬ。魔族を束ねる器ではないわ。」
ガラトア、と呼ばれたひとつ目の仮面の男の、3倍ほどもある巨体の魔軍主席は、木の幹ほどもある巨大な尻尾で床を叩き、不愉快さを示した。全身にイボのある黄色い体からは、その巨体を浮かすのに十分なほどの大きさの翼が生えている。頭からは2本のツノを生やした、牛にも似た魔物。
ガラトアは仮面をかぶった顔を牛の魔物に向けた。「は。ではベリアル殿。なんでございましょうか。」仮面の下の体を覆う赤いマントから、白いローブに描かれたコウモリの紋様が覗いている。
「我ら魔族の寿命がいかに長かろうとも、500年の月日はあまりに長い。ラズバーンはまだ目覚めぬのか。」ベリアルは、牛のような口と鼻から大きく息を吐き、玉座に深く背を凭れた。
「申し訳ありません。ベルンハルトめがよもやこれほどの術師だとは思いませんで。」
「ええい!あれから500年も経っているのだぞ!これでは我らの王はいつまで待ってもお生まれにならんではないか!」また太い尻尾が床を打ち、そのベリアルの心境を露わにした。
「は。しかし案ずるには及びません。破邪の封印の解明の任を与えていた私の部下たちが、ランドンフットにて、このほど古い書物を見つけまして。」ガラトアの仮面の目がキラと光る。
「書物?」と、ベリアル。
「破邪舟師の能力の継承における秘術書でございます。」
「ほほう?」尻尾は床から離れ、自分のツノを撫でる。その尻尾の動きからは、先ほどまでの怒りや焦りは感じられない。
「おそらく、秘術書を解明すれば、封印を解くことができましょう。守護者ラズバーンが目覚めるのも、もはや時間の問題でございます。ラズバーンの体内にある冥王様のタマゴには、すでに十分な量の魔瘴が貯まっております。」
「ラズバーンの封印さえ解ければ、我らが主、冥王様はすぐにでもお生まれになるということだな?」
「左様にて。ですから、もうしばしのご辛抱を。」
「よかろう。」ベリアルがひとつ大きく頷く。
「は。それからもうひとつ。」ガラトアは続けた。「これはもう少し様子を見てからお話しようと思っておりましたが」
「前置きはよい。」太い尻尾はガラトアを二度扇いだ。続きを催促している。
「では。先日ガートラントにピュージュを送り込むことに成功しました。」
「ほう。ピュージュをか。して?」
「ピュージュには、ガートラントとグレンの友好を壊し、戦を起こさせるように指示してございます。」
「なるほど。この大陸の二大大国を同士討ちさせれば、確かに多くの魂を吸うことができる。わしらが動くよりもはるかに効率的よの。」
「ご明察でございます。死者の魂は我々魔族の糧。糧は魔瘴へと昇華し、我らのチカラは増大する。ピュージュには魔瘴石を持たせております。ベリアル殿が動くには及びません。必ずやオーグリードの魂を吸い尽くし、投資した魔瘴石に百倍、いや千倍する魔瘴を手に入れて見せましょう。」
「ほほう。自らが動かずとも、オーガたちに自分で自分の首を絞めさせようとはさすがよ、軍師。見事だ。」尻尾は天を向き、ひらひらと揺れ動く。ベリアルも、尻尾の動きと同じで、愉快そうな表情をしている。
「ありがたきお言葉。しかし、それだけではございません。自らの首を絞めたことを知った者は後悔と絶望に囚われ、絶望によって魂は容易に体を離れます。ひとたび絞まった首は、もう元には戻りません。それを気付くも気付かぬも、絶望の連鎖から抜け出ることはできますまい。」
「はっはっは。そうしてオーグリードは魔瘴に包まれるというわけか。」ベリアルは尻尾で床を叩いて笑った。
「冥王様がお生まれになった際には、有り余る魔瘴を献上できることとなりましょう。」ガラトアはそう言って深々と頭を垂れた。
ガラトアには、研究所が与えられていた。
「ガラトア様ー。」
「おかえりなさいー。」
ガラトアがその小さな研究所へと戻ると、2匹の小さな魔物たちがそれを迎えた。
「グレムリンとべビルか。秘術書の解明は進んでおるか?」
「はいー。」
「859ページまで読みましたー。」
「・・・うむ。解明というのはそういうことではないのだが、これがこの研究所の現状。致し方のないことよな。」
「どうしたんですかー?」
「どうしたんですかー?」
「いや、気にするな。あとで内容をかいつまんで教えてくれ。」
「はいー。」
「わかりましたー。」
「この研究所の状況を知れば、ベリアル殿はなんと言われることか・・・」ガラトアは肩をすくめた。ガラトアの部下は、グレムリンとベビル。悪魔ではあるといえ、まだほんの子供。とても研究所とは言えない設備、とても研究者とは言えない部下たち。
ガラトアのひとりごとの一部が、グレムリンにも届いていた。ベリアル、という名が小さな悪魔たちの表情をこわばらせる。
「ベリアル様!」その部下のひとりグレムリンが驚いて飛び上がる。
「ベリアル様は怖いですー!」もうひとりのベビルも羽をばたつかせた。
「ふむ。確かに威厳のあるお方だ。怖いようにも見えよう。」と、ガラトア。
「ぼくたちかきゅーまぞくの間では、ベリアル様ニガテが多いですー。」
「ベリアル様が王様なのはイヤだって言ってますー。」
「言うな。ベリアル殿も気にしておいでだ。冥王様がお生まれになれば、ベリアル殿の苦悩もお前たちの悩みも解決しよう。だから、お前たちは、秘術書の解明を急ぐのだ。」
「はいー。」
「860ページから先も読みますー。」
「・・・うむ。」と答えてはみたものの、やはり研究のやり方をもっと丁寧に教えるべきなのだろう、とガラトアは思う。しかし、まだその段階には届いていない、とも考える。いろいろと頭の中で考えて、ああするか、いやそれはダメ、こうするか、いやこれもダメ、と浮かんでは却下されるアイデアを巡らせていたが、やがて諦めたように、ガラトアはその考えを後回しにして話題を変えた。「ところで、棍棒は磨いておるか?」
「はいー。磨いてますー。」ベビルがパタパタと羽を動かしながらトゲ付きの棍棒を運んでくる。
「もう1本はぼくが磨きましたー。」グレムリンもそれに倣ってパタパタと飛んでくる。
「うむ。すまんな。」ガラトアは両手で2本のトゲ付き棍棒を握った。
「お出かけですか、ガラトア様?」とベビル。
「お祈りですか、ガラトア様?」とグレムリン。
「祈りだ。私は神官の身。邪神への信仰を忘れてはいかん。この棍棒は邪神への捧げものを表しているのだ。外出用、戦闘用のものではない。本来ならば自分で磨かねばならぬところ。お前たちにも感謝している。」ガラトアは研究所に背を向け、祈りの間へと歩を進めた。
祈りの間。ひとつ目の白仮面の無感情にも思える表情からは察しがつかないほど、ガラトアの心情は複雑だった。
「このレイダメテスが封印されて五百年。王の誕生を待つ同胞たちにとっては短からぬ時間。ベリアル殿でさえ少々苛立っておられる。その影響が、下級魔族たちの士気を下げてさえいる。神よ、邪神よ!我々魔族にふたたび闇を!冥王様の誕生を!」トゲの付いた2本の棍棒を天に突き上げたまま、ガラトアは頭を垂れ、深く深く祈った。
祈りの後、ガラトアは封印の間へと向かった。部屋の前には封印の門番ベレスが大鎌をくるくると回しながら立っている。いや、浮かんでいる。いや、飛んでいる。
翼を広げて飛んだり浮かんだり着地したりしているベレスがガラトアに気付いた。
「よう。ガラトアさんよう。」
「ご苦労。扉を開けてくれるか。」とガラトア。
「ほらよ。」扉を開けながらベレスが聞いた。「なあ、オレはいつまでこの何もない部屋の門番をすればいいんだい。」
「いつも言っているであろう。この部屋こそが、ここレイダメテスの中枢であると。」歩を進めるガラトア。「そして、何もないと言うな。見よ。」ガラトアは部屋の中に佇むふたつの像を指差している。
「それは知ってるぜ、ガラトアさん。毎日毎日見てるよ。動かない像をな。」ベレスは面倒そうに言った。
「この場所こそが、500年前に守護者ラズバーンが封印された場所ぞ。」
「あーあ。いつもながらガラトアさんの説教は長げーよなぁ。神に仕える者はみんな長話なのかねぇ。」
ガラトアが去った後のベレスのひとりごと。
「500年前、守護者ラズバーンが、冥王様の誕生のために、この神殿レイダメテスを使って死者の魂を集めたって?今じゃ雪山に沈んでいるこの神殿も、500年前は灼熱を纏って世界を焼き尽くしたって?ところが、十分な量の死者の魂を集めて、冥王様を誕生させようとした矢先に、ベルンハルトって人間に封印されちまったってか。」
ベレスは部屋の奥のひとつの像を見た。
「こいつがベルンハルトか。」
ベルンハルトは壮年の人間。そして金属の塊。ベルンハルトの金属像は、両手を開いて突き出すような格好で佇んでいる。まるでその掌から爆風が発生したかのように長い髪が後ろに流れ、着ているローブも風に煽られるままにたなびいている、そんな金属の彫刻だった。
「そして、こっちがラズバーン。」
ベルンハルトの両掌の少し先に、ベルンハルトの2倍も3倍もありそうな巨大な筋肉質の格闘家の姿があった。人間よりも大きな体を持つベレスでも、見上げなければならないほどの位置にラズバーンの顔はある。そして、その巨体を囲む巨大なガラス製のショーケース。
「こいつが冥王様のタマゴなんだったら、確かにむき出しってわけにもいかねえな。」
ベレスはショーケースの中を覗き込む。ラズバーンの両のこめかみからは2本の鋭いツノが生え、逆立つ頭髪から少し下、額にも4本のツノを持っている。
「500年も前からこのままなのかよ。こりゃいつまで見張ればいいのやら。オレが先に死んじまうぜ。」
ベレスは大きくため息をついてまた部屋を出て扉を閉め、門の前を浮かんだり飛んだりしながら、また無為とも思える時間を過ごす。
封印の間を出たガラトアが次に向かったのは交信の間。
部屋は殺風景であったが、壁にかけられた大きな鏡が妖しく光る。魔石鏡、よく磨かれた魔瘴石の鏡である。
ガラトアは、魔石鏡の前に立ち、鏡に向かって呼びかけた。
「ピュージュ。聞こえるか、ピュージュ?」
鏡に映し出されたのは、人間の子供ほどの道化だった。白塗りの顔に、目の周りには黒いひし形のメイク。カラフルな三角帽子の先端にはフサフサとした糸玉がついている。
「はーい。なんでしょうか、ガラトアさま?」ガラトアの重い声色とは対照的な、脳天気な軽い返事。
「状況はどうなっている?」白い仮面の目玉は、鏡を睨むように見据えている。
「簡単ですよ、カーンタン。チョー簡単。オーガってのはバカなのかねぇ。ピエロのマネ事をしたら、なんの警戒もなく城まで入れましたよ。ああ、そうそう、城の中にも自称賢者のバカなデカ女がいましてねぇ。ああ、こいつはオーガじゃなくて人間。魔瘴石をチラつかせると、簡単に喰いついてきましたよ。ああバカだバカだ。そのバカ賢者には妹がいましてね、妹のほうもバカな色キチガイでね、」
「もういい。」ガラトアは右手を出してピュージュの話を遮った。「そうか、問題がないのならそれでいい。」
交信を切ったガラトアは、ふう、と息を吐き出し、軽く頭を振る。どうも仲間たちは一癖も二癖もある者たちばかり。しかし、それに頼らねばならないほど困窮した事情が、今の魔軍にはあった。人員不足、戦力不足。
500年前は空を駆け巡り、世界を恐怖へと陥れていたこの神殿は、今やさびれて雪山に埋まっていた。
ガラトアは交信の間を出て再び研究所へと戻った。
研究所では、相変わらずベビルとグレムリンが忙しなくパタパタと飛び回りながら書物を解読している。いや、解読と呼べるものではない。読書をしている。
ガラトアが戻ると、ベビルが出迎える。「おかえりなさいー。」
グレムリンも、それに倣う。「おかえりなさいー。また2ページかいどくしましたー。」
またひとつため息をついたガラトアは「そうか。ん?これは何だ?」と、机の上に1冊の手帳があるのを見つけた。
「わからないですー。かいどく本といっしょにありましたー。」
ガラトアは、手帳を手に取り、ふむふむ、と頷きながらページをめくる。手帳を読みながら「して、なにかわかったことはあるか?」と、期待のない声で聞く。
「はいー。ほーこくしょを書きましたー。」
「書きましたー。読んでくださいー。」
「どれ?」手帳を懐にしまいながら、報告書を受け取る。報告書に目を通すや、ガラトアは息を飲んだ。
「お前たち!これは本当か!?」驚きのあまりガラトアは叫んでいた。
「は、はいー。488ページに書いてありましたー。」とベビル。
「なぜもっと早く言わなかった!」ガラトアが怒鳴る。
そのガラトアの声に驚き、言葉が出ないグレムリン。「あ・・・、あの・・・あの・・・」と、声を震わせる。
「あ、いや、すまん。怒っているわけではないのだ。よくやった、お手柄だ。」
再び穏やかな声に戻ったガラトアを見て、ベビルとグレムリンにも笑顔が戻った。
「封印の間に向かう。お前たちもついて来い。」
ガラトアは早足で歩きながら、ひとりごとのように話し出した。
「ベルンハルトは確かに強力な術師だ。しかし、我々も長い年月をかけ、あらゆる手段で封印を解こうと試みてきた。いかに術が強力であろうとも、我々の魔力をもって500年も解けないことなどあり得ないと、不思議に思っていたのだ。」
ベビルとグレムリンは、黙ってそれを聞きながら、ガラトアについてくる。
「しかし、解けなかった。それは、魔力が足りなかったのではない。そもそも封印してなどいなかったのだ。」
グレムリンとベビルには、ガラトアの発言に意味がよく理解できない。しかし、それはお構いなしに、ガラトアは話を続ける。
「なぜ今まで気がつかなかったのだ。今でこそ忘れられた古代魔法になっているが、500年前には、そう珍しくない呪文であったはずだ。魔瘴の中を進む破邪舟は、なぜ魔瘴に侵されずに済むのか、なぜ魔瘴と舟を隔てることができるのか。それを考えれば、もっと早く辿りつけたかもしれなかった。」
言葉の中に、悔しさが滲み出ていた。
「舟を守っていたのは聖なるチカラ。聖なるチカラで舟を硬化させることで、魔瘴や外部のチカラから身を守っていたのだ。ラズバーンは封印されていたのではない。ベルンハルトによって守られていたのだ。そう、古代魔法アストロンで。」
封印の間が見えてきたところで、ガラトアは歩を早める。
「よう、ガラトアさん。どうしたよ、血相変えて?」部屋の前でベレスが声をかける。
「ベレス、扉を開けてくれ。それから、ベリアル殿を呼んで来てくれ。」
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【目次】
序章:誕生【1】【2】
1章:エテーネの民【1】【2】
2章:旅立ち【1】【2】
3章:ランガーオの戦士【1】【2】【3】
4章:ジュレット【1】【2】
5章:グロリスの雫【1】【2】
6章:赤のエンブレム【1】【2】【3】
7章:港町【1】
8章:嘆きの妖剣士【1】【2】
9章:風の町アズラン【1】【2】
10章:世界樹の約束【1】
11章:ガラクタの城【1】【2】
12章:五人目の男【1】
13章:団長の策謀【1】【2】【3】【4】
14章:娯楽の島【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】
15章:三つの願い【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】【9】【10】
16章:太陽の石【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】【9】【10】【11】【12】【13】
17章:白き者【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】【9】【10】【11】
18章:恵みの歌【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】【9】【10】【11】【12】【13】
19章:錬金術師【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】【9】【10】【11】【12】
20章:時渡りの術者【1】【2】【3】【4】
21章:ふたつ目の太陽【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】【9】【10】【11】【12】
22章:冥府【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】【9】【10】【11】【12】【13】
終章:レンダーシアヘ【1】【2】
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