風の町、と名乗るアズランではあるが、それほどよい風が吹いているわけではなかった。少なくとも、レーンの砂浜の風のほうがずっと肌に心地よさを与えていたようにアディールには思えた。しかし、アズランの町の人たちの声を聞いているうちに、アディールはその理由を知ることになった。アズランでは、風を清らかにするために風送りの儀という儀式を行うことをならわしとしてきた。そのならわしのおかげで、アズランの風はいつも清らかでいられた。ところが、その風送りの儀を最後に行ったのはもう6年も前のことで、儀式を行っていない今では、風はよどんで体を壊す人々もいるのだという。確かによい風が吹いているわけではなかったが、アディールが体調を悪くするほどでもない。しかし、アディールも、乾燥したグレンを歩くときには、たまに背びれを水で濡らさないと具合が良くなかった経験もあり、エルフにとっての風というのが、どれだけ大切なものなのかが、伝わってくるようにも感じていた。
この町の造りは、アディールには新鮮で、ガートラントのときと同じようにいろいろなものに興味が湧いた。宿に泊まると、寝室にはベッドがなく、代わりに床の上に布団という綿袋を敷いて、その上で夜を明かした。布団の下は木や石の床ではなく、草を編んで作られた畳というものが敷き詰められている。畳は、エテーネの村で使っていたござにも似ているが、ござよりも草の弾力をよく感じることができるようにできている。そのためか、畳の上では靴を脱ぐことがアズランでは一般的なようで、畳の上に座るときには、座布団という小さな綿袋までが用意されていた。紙貼りのついたては低い位置にあり、これでは向こう側が見えてしまうのではないかと思いもしたが、座布団に座ってみると目線が下がってちょうど視界が遮られる位置に来るようになっている。建物は木造建築で、家具もほとんどが木か草か紙でできている。荒れた土地のグレンなどでは、決して集まらないような素材ばかりを使った建築。アズランという町が、森に囲まれて、森林業が盛んな地であることがよくあらわされていた。
この町はタケトラという領主によって治められているようだった。町の西側に位置する大きな家がタケトラの屋敷だと、町の人が教えてくれた。魔瘴とキーエンブレムのことを知りたいアディールは、おそらくその情報が集まりやすいであろう領主の屋敷へと足を向ける。
屋敷へと続く石畳の脇には、ところどころ灯篭と呼ばれる石細工が並んでいる。灯篭の道を進んでいると、ブルルルという獣の鳴き声が聞こえた。アディールが目を向けると、そこにはツノのある4足の獣がいた。4足の獣はカムシカと呼ばれ、風音のユリを主食とする温厚な動物なのだという。アズランではどこにでもいる、珍しくもない動物のようである。アディールがそっと首を撫でると、カムシカは人懐っこくすり寄ってきた。風のように速く走り高く跳ぶことができるカムシカは、風の町の象徴でもあるという。アディールが、じゃあね、と掌を上げると、カムシカは、ブルッ、と答えた。領主の屋敷の階段をのぼりきった後に振り向くと、カムシカはまだずっとアディールを見つめていて、目が合ったときにブルルと声を出した。
「これは旅のかた。よくアズランへ来られた。ごゆるりと町を見物されよ。」
タケトラは、領主にふさわしい風格でそう言った。そうは言ったが、ややため息混じりなところがアディールには気になった。聞くと、取るに足らない親心の悩みだとタケトラは言う。しかしキーエンブレムの話になると、タケトラは急に閃いたような表情になった。
「アディール殿と言われたか、旅のかた。確かにわしはキーエンブレムを持っておるし、この町を助けてくれた者にはエンブレムを差し上げたいとも思っておる。これは・・・その・・・公私混同であるのは百も承知であるのだが、風送りの儀を行うべき我が娘のフウラのことなのだ。フウラが風送りの儀を取り行えば、確かに町は救われる。そういう結末を迎えれるのならば、もちろんキーエンブレムを差し上げるのもやぶさかではない。しかし・・・」
タケトラの話はこうだった。かつてアズランで風送りの儀を取り行う風乗りであったのは、タケトラの妻のカザユラ。しかし、カザユラは6年前に事故で命を失っていて、それ以来アズランでは風送りの儀は行われていない。タケトラは、カザユラとの間に生まれた娘フウラに風乗りを継いでもらいたいと希望してはいたのだが、かつては母を慕っていたフウラは、しかしカザユラの事故を境に心を閉ざすようになり、風乗りにはならぬと学業を目指して学問の里ツスクル村へと旅立った。タケトラは、いずれ必ず娘が戻ってくると信じて6年の時を過ごし、そして今待望のフウラが学問を終えてアズランへと戻ってきた。しかし、果たしてフウラが風乗りになろうとしているのかどうかがわからない。
「お恥ずかしいことだが、わしには娘の気持ちがわからんのだ。それだけではなく、それを聞こうとする勇気もない。笑われてしまっても致しかたないが、どうかフウラの胸のうちを聞いてきてはもらえまいか。」
ピーチピチピチ。チュクチュクチュク。アズランの森は鳥のささやきで賑わっていた。森の木々の葉の間から、ときおり太陽の光が差し込む。アズランの人々は、この森と共生し、森を助け、森に助けられ、町を発展させてきたのだという。この森を育むのは水と太陽と、そしてなにより、この地方の特徴ともいえるべき風。しかし、もしアズランの風のよどみが続けば、いずれこの森も枯れ果てることになるのかもしれない。そうさせないためには、風送りの儀によって、アズランに清風を取り戻さなければならない。アディールは森の道を北へ北へと進み、風泣きの岬を目指した。岬にはカザユラの墓があり、フウラは今その墓参りに行っているのだということだった。
アディールが岬に着いたとき、ふたりの少女がナスビナーラの群れに襲われているところだった。ひとりは大きな赤いリボンでライトグリーンの長髪を結んだ羽織袴の少女。もうひとりはスラリとしたオールドローズのくせ毛の少女。ふたりとも、尖った耳と小さな背中の羽というエルフの特徴を有している。オールドローズの髪の少女は先端がスライムの形をしたスティックを持ち、薬師のローブを纏っている。そのスティックで敵を払おうとするが、しかし魔物もなかなか引き下がらない。剣や斧で戦っているわけではない。無理もないことだった。
助けなければ。アディールが駆け寄ろうとすると、その頭上を大きな影が横切った。影はふたりの前に着地してブルルッと声を上げる。
「カムシカ!」ライトグリーンのほうの少女が荒い声で言った。
カムシカは、風のように駆け、後ろ脚とツノでたちまちのうちに魔物たちを追い払った。そして、ブルルとふたりの少女を見つめた。
「なにしに来たの!!アンタの顔なんて見たくないっ!!助けてくれなんて言ってないでしょ!!」魔物を追い払ったカムシカに、ライトグリーンの少女は怒鳴る。
「フウラ、そんな風に言うものじゃないわ。」オールドローズの少女が諌める。カムシカを罵っているほうの少女がフウラ、領主タケトラの娘であるようだった。
「キサラギ様は黙ってて!」フウラは口を膨らませている。キサラギと呼ばれた少女は、顔を曇らせた。フウラに比べると、スラリと長身だったが、それもエルフの中では、の話。アディールと比べたならば、腰ほどしかない小柄な少女である。オールドローズの髪はくせ毛でちゅるりと巻いていて、ミディアムほどの長さであろう頭髪は、本来の長さよりもずっと短く見えた。透けるような薄紅色の肌は、一般的なエルフと同様だが、肌の色をそのまま濃くしたような目の色は、少し特徴的に見えた。
睨むフウラに弁解するように歩み寄ろうとするカムシカに、フウラは「近づかないで!!」と手に持っていた人形を投げつけた。人形はカムシカに当たり、そのままはねて岬から落ちてゆく。「あっ!」とフウラは口元を押さえた。大事なものを咄嗟に投げてしまったという表情だった。そんなフウラの表情を察したカムシカは、ブルと言って風のように跳び立ち、人形を追って崖を飛び降りた。ふたりの少女が岬の縁に駆け寄り、固唾を飲んで見守る中、空中で人形に追いついたカムシカは、それをかぷりとくわえて崖岩を蹴る。カムシカの脚運びは見る者の目を疑わせるほどだった。どこにそのような足場があるのかはわからない。しかしカムシカは、見えないほどの足場を蹴って崖を駆け上がり、また岬の上へと降り立った。そしてフウラに人形を渡そうとする。
しかし、フウラはなおも機嫌を直さず「余計なことしないでよね!」とカムシカの歩み寄りを拒絶した。カムシカは、ブルルと言って少し後ろに下がり、地面にそっと人形を置くと、ゆっくりとその場を離れ、森の中に駆けて消えていった。フウラはカムシカには目もくれず「ケキちゃん。ゴメンねケキちゃん。」と、人形を大切そうに抱き締めていた。
アディールが近付くと「誰!?」とフウラが振り向いた。
「僕はアディール。君のお父さんから頼まれて来たんだ。」
「アディール様と言うのね?お父様は、どうせ風乗りになれって言ってるんでしょ?」フウラはぷいと向こうを向いてしまった。
「お父さんは君のことを心配していたよ。」
「でも私は風乗りになんかならないわ。そうお父様にも伝えておいて。」
アズランには風送りの儀が必要であるとしても、それをフウラに強要するべきではない、とアディールは思う。タケトラの悩みも、まさにこの点だったのだとアディールはわかった。アズランを助けたい気持ちはあるが、娘に無理強いをしたくない。娘にはやりたいことをやらせたいが、アズランを守らないわけにもいかない。領主と父親というふたつの顔が、タケトラを悩ませていたのだ。少し事情を知ってしまったアディールは、胸が痛くなるのを感じた。
「どうして?どうして風乗りになりたくないんだい?」アディールはやさしく問いかけた。
「私のお母様は風乗りだったの。アズランの歴史の中でも特にスゴイ風乗りだったの。だからみんなお母様を慕ってた。私はそんなお母様が大好きだった。カムシカに乗ったお母様の背中をずっと見てたの。私も風乗りになりたいって、ずっと思ってた。けど」フウラの表情が急に曇る。「お母様はこの崖から落ちて死んじゃったの。・・・カムシカを助けようとしたの。崖から落ちたカムシカを助けようとして、逆にお母様が落ちて死んじゃったの。・・・カムシカのせいなの!カムシカなんかいなければ、お母様だって死なずにすんだの!」フウラは声を荒げた。「だからカムシカなんか大キライなの!風乗りになってカムシカに乗るなんて絶対イヤ!」
「でも、カムシカはケキちゃんを助けてくれたのよ?」キサラギが諭すように言った。
フウラはうつむいたままだった。「ケキちゃん・・・」ボソリと言って、また人形を抱きしめた。
フウラは、下を向いたままカザユラの墓まで歩き、墓石に水をかけて手を合わせた。と、ふと墓前に供えてある花に気付く。「これ・・・」フウラが手に取ったのは、スミレのような青い5枚葉の花。「これ、お母様が好きだった花・・・いったい誰が?」
背中の方からブルルという声が聞こえたので、3人はがばっと振り向いた。しかし、そこには何者の姿もなく、代わりに青い5枚葉の花が置かれていた。
「まさか・・・カムシカが・・・?」フウラはそこに駆け寄り、花を拾い上げた。「カムシカが供えてたんだ・・・。お母様が死んで6年経った今でも。私もこの花のこと忘れてたのに・・・」フウラは目に手を当て、ぐすぐすと鼻をならした。「私・・・風乗りになる!」フウラは目を赤くしてそう言った。
「お父様、戻りました。」
アズランはタケトラの屋敷。墓参りから戻るなり、フウラはタケトラの部屋を叩いた。
「フウラ!よく戻った。アディール殿、感謝しますぞ。」タケトラは頭を下げる。
「お父様、私、風乗りになる。」
「おお!そうか!いや、しかし、お前にはその覚悟があるのか?あれほど嫌がっておったのに。」
「もう決めたの。私、お母様みたいな風乗りになるの。」
「ふむ。ならば、さっそく風送りの儀を取り行いたいところではあるが、そのためには、風の手綱と風の衣というふたつの神具が必要だ。神具を取りに行くのも風乗りになるための試練のひとつ。他の者が代わってやるわけにはいかん。」
「わかったわ。でも、それはどこにあるの?」
「風の手綱は、山間の関所の神具職人に作らせている。ここからイナミノ街道をずっと南に下ったところにある。それから、風の衣のほうはスイの塔の最上階に安置している。スイの塔は、東のスイゼン湿原の中だ。」
「そのふたつを持って帰ってくればいいのね、お父様。一緒に来てくださるのよね、キサラギ様?」フウラがオールドローズの少女を見る。
「ええ。もちろんよ。」と、キサラギは頷いた。
フウラとキサラギの後について退室しようとしたアディールに「アディール殿、ちょっと。」とタケトラが声をかけた。「すまないが、ふたりと一緒に行って助けてやってはもらえまいか。」
「構いませんよ。」とアディールは言った。実のところ、フウラとキサラギだけでは、少々苦しい旅になるのではないかと、アディールも思っていたところだった。「僕もそのほうがいいと思っていました。」
「君には感謝するよ。わしは、フウラには、もう風乗りにならなくてもよいと言うつもりだった。しかし、どういう心境の変化か、フウラのほうが風乗りになりたいと言ってきた。喜ばしいことだ。」
「いえ、僕の力ではありませんよ。」
「いや、よいのだ。直接的ではなくても、君にはそのような目に見えないチカラがあるのだ。わしはそう思っておるよ。フウラを頼む。」タケトラは頭を下げた。
なんだかこそばゆい気持ちになったアディールは、頭の後ろを掻きながら、では、と部屋を出た。タケトラの頼みだから、だけではない。アズランに風が戻れば、きっと清風が魔瘴を払えるのだとアディールは信じている。ホーローとの約束でもあれば、冥王との因縁でもある。アディールは、先に進むふたりに駆け寄った。「僕も一緒に行くよ。」
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【目次】
序章:誕生【1】【2】
1章:エテーネの民【1】【2】
2章:旅立ち【1】【2】
3章:ランガーオの戦士【1】【2】【3】
4章:ジュレット【1】【2】
5章:グロリスの雫【1】【2】
6章:赤のエンブレム【1】【2】【3】
7章:港町【1】
8章:嘆きの妖剣士【1】【2】
9章:風の町アズラン【1】【2】
10章:世界樹の約束【1】
11章:ガラクタの城【1】【2】
12章:五人目の男【1】
13章:団長の策謀【1】【2】【3】【4】
14章:娯楽の島【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】
15章:三つの願い【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】【9】【10】
16章:太陽の石【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】【9】【10】【11】【12】【13】
17章:白き者【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】【9】【10】【11】
18章:恵みの歌【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】【9】【10】【11】【12】【13】
19章:錬金術師【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】【9】【10】【11】【12】
20章:時渡りの術者【1】【2】【3】【4】
21章:ふたつ目の太陽【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】【9】【10】【11】【12】
22章:冥府【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】【9】【10】【11】【12】【13】
終章:レンダーシアヘ【1】【2】
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【目次】
序章:誕生【1】【2】
1章:エテーネの民【1】【2】
2章:旅立ち【1】【2】
3章:ランガーオの戦士【1】【2】【3】
4章:ジュレット【1】【2】
5章:グロリスの雫【1】【2】
6章:赤のエンブレム【1】【2】【3】
7章:港町【1】
8章:嘆きの妖剣士【1】【2】
9章:風の町アズラン【1】【2】
10章:世界樹の約束【1】
11章:ガラクタの城【1】【2】
12章:五人目の男【1】
13章:団長の策謀【1】【2】【3】【4】
14章:娯楽の島【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】
15章:三つの願い【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】【9】【10】
16章:太陽の石【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】【9】【10】【11】【12】【13】
17章:白き者【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】【9】【10】【11】
18章:恵みの歌【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】【9】【10】【11】【12】【13】
19章:錬金術師【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】【9】【10】【11】【12】
20章:時渡りの術者【1】【2】【3】【4】
21章:ふたつ目の太陽【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】【9】【10】【11】【12】
22章:冥府【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】【9】【10】【11】【12】【13】
終章:レンダーシアヘ【1】【2】
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