(2017.7.1の記事を加筆修正して掲載しています
2026年12月に逝去した母が入院していた時のことです)
続きです。
認知症患者の対応に
「否定しない」
というのがあります。
たとえ言っていることが間違っていても
「そうだね」
とそのまま受け取っておくのね。
前回の記事に書いたように
看護師さんや介護士さんは
母が出来ないことに対してはフォーカスせず
出来たことには注目して
大げさなくらい喜んでくれました。
車イスやおむつなどのサポートを当然に使い
取り換えの時は必ず見えないようにカーテンを閉めて
本人の尊厳を守ってくださいました。
徹底して 何があってもそのままの母を尊重し
笑顔で受けとめてくださっていたのを感じました。
これらがペアレントトレーニングで教わったツール
・共感する
そして 私が特に大切だと感じた
本人の自尊心を保つこと
に重なるなぁと思ったのです。
前に書いた「寄り添う」もそう。
目の前の本人をよく見て
心で接することが大事
私は14年間学校教育を受けて
上を目指して目標を達成することがいいことだ
と信じて生きていました。
けれど 14年前(2003年)
息子がADHDボーダーと診断を受け
ペアレントトレーニングを受講したことが
その思いとプライドを崩す最初の一打となりました。
「もっともっと」と上を目指すことは
向上心があるという意味では素晴らしいと思う。
でも「もっと上に!」「自分は上!」と強く思っていた時は
同時に人や物事を無意識ながら見下していたのです。
下に降りるのは怖いことだから
上でいることを必死に保とうとして。
そうして
10のうち9出来ない息子のダメな点ばかりに目を向けて
「こうすればいいのに!」
「なんで出来ないの!?」
と上から目線で叱りつけ
息子の自尊心をつぶしてしまっていた。
ADHDのペアレントトレーニングでも
今回の母の入院でも
一様に感じたのは
相手を上に
引き上げようとするのではなく
自分が相手に合わせ
歩み寄って寄り添うこと
でした。
あの時 息子にペアトレのツールを使い
息子の心に寄り添うように接して行ったら
まず 息子が笑顔になり
それを見た私もとても嬉しくなって
自然に笑顔が循環するようになった。
この記事がわかりやすいかな。
今回 母に起きたこともまったく同じ感じなのです。
治療や薬で「出来る」ようにするのではなく
「出来ない」母に合わせていったら
母は笑顔になり そこから
私 家族 親戚 看護師さんたちへと
自然に笑顔が広がっている。
ADHDは障害と名前がついているし
認知症は病気とされていて
障害者と患者に対して健常者がお世話をする
というイメージがあるけれど
それ 逆かもしれない。
ADHDの人や認知症の人が存在してくれるお蔭で
障害もなく病気でもない私は
彼らに歩み寄り
寄り添う機会を与えられ
直接対応することで
今までとは違う考え方や価値観を体感できるんだと思う。
知らないことを教えてもらい
成長させてもらっていると言えるんじゃないかな。
「もっともっと」
と上へ上へ引き上げるのが今の社会の
「普通」「常識」「一般論」になっているのを
彼らが自らの心身を使って
下へ引き戻す役目を果たしてくれている
そんな風に思うのです。
それも 人の心を笑顔で広げて だよ。
14年前はとにかく必死だったから
気づけなかったけれど
今は母の周囲の優しさと温かさをじんわり感じています。
ほんと あったかぁい![]()
ADHDはじめ
発達障害の人が増えて(特定されて)いたり
認知症が社会問題となって取沙汰されているのも
このあったかぁい世界を知る人が増え
ゆくゆくはあったかぁい世界が
普通となることに繋がっている
と信じます。
自分の思いも人の思いも大切にしましょう
この世界で あなたは唯一無二の存在です
同じくあの人も この世界で 唯一無二の存在です
あなたが「私はこれが正しい」と思うのと同じく
あの人も「私はこれが正しい」と思っています
ただ あなたとあの人の「これ」が違うだけ
自分だけ「が」正しい ではなく
自分「も」あの人「も」正しい
そこから違う素敵な「なにか」が見えてきますよ





































































































