こんにちは。 

愛のメッセンジャー eriko です。



今日は 前回2件の記事とも関係する "生き癖"です。



「自分を責める」という生き癖  
 

「人を責める」という生き癖




hana.     hana.     hana.     hana.     hana.



「自分を責める」のは 

心を自分で傷つけ 被害者になって

かわいそうな状況に酔いたいから。


これはわかるとしても 

人を責める」 というと 

「それは 加害者ってことじゃないの??

と きっと思いますよね。


私も ずっとそう思い

たとえば 誰かに 感情的に言葉をぶつけてしまったり

なにか悪いことを「してしまった」時など

自分のことを ”人を傷つけた加害者”と感じていました。

 

また逆に 誰かに 気分を害されたり 

なにか嫌なこと事を「された」と感じた時は 

その相手を加害者とみなし 私は思いっきり被害者ぶって 

自分のかわいそうな状況を哀れんでいました。



でも 別居する直前まで 夫と口論を繰り返し

その両方の立場をそれこそじっくり体験して

気づきました。


自分が加害者の立場の時も 

自分が被害者の時と同じような

心の痛みを感じていたことに。


相手を傷つけると同時に どこかで

「そんなことをしてしまった自分」を感じ 自己嫌悪。


確かに 自分の心は 傷ついていましたねハートブレイク槍



加害者の時の感情は たいがい 「怒り」


怒りって 複合的な感情だと思います。



怒っている時 自分ではあまり気づかないけれど

その中には 悲しみ 辛さ 痛み など

泣きたくなるような思いが含まれていると感じます。

加害者 被害者 どちらの立場でも

結局 自分自身を傷つけていることに違いはありません.



hana.     hana.     hana.     



でも 自分を傷つけてまで 

被害者を続けてしまうのはなぜでしょう?



それは 生き癖には メリットがあるからプレゼント


「被害者になる」生き癖のメリットは 

もうすでに書きましたが 1番は

「自己憐憫に浸れること」


「私って かわいそう涙

と力を落としていれば

何かすべきことをしなくていい言い訳になったり

人の気を引き 慰めてもらえたり

自分は動かなくていい がんばらなくていい


つまり 変化しなくていい状況になりますから 楽ですねおんぷ



なので 自己憐憫の奥には

「変化が怖い」

「自分は変わりたくない」


という思いも 隠れていると思います。



被害者となって自分をかわいそうがっていれば 

2つ目のメリット 

「変化という怖さに向かわずに済む」のです。



”変化”するには 

自分を戒めて 考え方や行動を変えたり


相手がいる場合は 

理解してもらえるように説明したり 謝ったり


さらには これまでにしたこともないようなことに

挑戦しないといけないかもしれません。 


そんなの 誰だって 怖い…汗 

出来れば やりたくない…あせる



被害者でいれば 楽だけど 心は傷つく。


被害者をやめるには 

何か新しいチャレンジ的な行動が必要 ってこと。


どっちもどっちですね(^_^;)


これも 選択。

 

 

このまま「被害者」の道を歩み続けるか。


「被害者」をやめて 変化する道に1歩踏み出すか。



自分や人を責めて 被害者になりそうな時

私は 二股の岐路に立っているような気持ちです。


でも最近は 

すぐにどちらかの道に進まずに いったん立ち止まり

そこから離れて自分を客観視するのもありかな と思います。



被害者 加害者 傍観者(客観視)

それぞれの時にしか感じられない思いもありますし

どの経験にも無駄はないと思うので。


ただ1つポイント。


どの立ち位置にするにも 

最後まで 自分で責任をとる。


人や何かのせいにせず 自分で決め

その結果にも文句を言わず受け容れれば 

okかな って。



色々な立場の自分を体感し

その時々の責任のとり方を学んでいけばいいのだと思います。


そしたら 

自分と違う立ち位置の人を責めることもないでしょうし。



さぁ そして 最終的には 

どの道を選びましょうかね(*^-^)b





 



サイキックタロットカード 黒7 TRIUMPH 勝利