忌野清志郎スーパースター烈伝
漫画家
浦沢直樹さんの話に入る前に。。
大阪万博に行ってきました❣️
予約を入れていたのは4箇所、
あとは、行き当たりばったりで
待ち時間の短い国や、
予算の少ない複数の国が共同で
出展してるパビリオン、コモンズ館を
中心にまわりました。
しかしまあ、暑いこと暑いこと!
ただ、日傘や携帯用椅子は
持って行きましたが
屋根リングの下とか涼めるところも多く、
飲み物の自販機などにも不自由は
しなかったし、飲食できるところも
数が多いせいか、
案外待ち時間がなかったし、
さすが、色々な
配慮がされていた印象です。
ドローンショーも見れたし
十分楽しめました。
そして、1.5日で35,000歩、
歩いてました。なかなかの快挙⁈😅
これは関西パビリオンの鳥取県ブース!
パソナネイチャーバース
ブラック・ジャックによるiPS心臓移植
手術でアトム、復活します!
1970年の大阪万博はノスタルジーの宝石箱!
さて、大阪万博ですが、
1970年以来2回目となります。
前回は小学一年生でした。
ぼやーとした記憶しかありませんが、
その元となっているのは、
白黒テレビで見ていた
大阪万博関連番組やニュース、
または姉が買ってもらっていた
小学館の学年別雑誌の特集、
祖父が買ってくれた
万博の記念切手などかなぁ。
クラスの友達で、ポツポツだけど
親に連れられて行ってきた子も
いたようでした。
でも我が家は、
家族で出かけることができるのは
まあ、海水浴場くらいだと
子供ながら理解していたので😅、
はっきり言って他人事だったように
思います。
ただ、なんとなく
1970年の大阪万博というと、
かつて明るい未来が無限に広がる日本を
象徴するような出来事で、
ノスタルジーの宝石箱というか、
そんなイメージがあります。
そしてなんと言っても、
「芸術は爆発だ💥!」の名言で
お馴染みの、
岡本太郎さんがデザインした
太陽の塔、
このビジュアルが、
確かに頭の中にしっかりと
焼きついていて離れませんよね。
20世紀少年
そんな大阪万博への
ノスタルジーを、21世紀の始めに
呼び起こしてくれたのが、
浦沢直樹さんの
20世紀少年です。
この漫画が連載された1999年から
2007年、存在は知ってましたが
読んだことは殆どありませんでした。
やはり浦沢さんと言えば、
YAWARA!、
毎週熱心に読んでました。
20世紀少年は、スピリッツで
そのYAWARA!の次の次の作品でしたね。
その20世紀少年、
私は映画で初めて見ました。
三部作でした。
結構ハマって、
珍しく
TUTAYAで立て続けに借りて
見てました(笑)。
子供時代の小さな「遊びの妄想」が、
現実世界の巨大な陰謀として
顕在化するという、かなり奇抜な
アイデアがよかったし、
伏線とミステリー性の高さや、
登場人物の多さと複雑さと、
「ともだちは誰か?」という謎が
最後まで興味を引っ張っていきます。
そしてこの映画、
すごい豪華キャストなのですが、
私は平愛梨さん、木南晴夏さんの2人の
女優さんが、凄く印象に残っています。
平愛梨さんが、サッカー日本代表の長友さんと
結婚したのにも意表をつかれましたが(笑)。
映画のロケでは、
太陽の塔を「ともだちの塔」に変身させて
撮影したようです。
物凄く思い入れの強さを感じますね。
それと、
これは私の感覚でしかないかもですが、
昔の東映アニメ映画
「空飛ぶ幽霊船」に、
なんとなく似てるとこがあると
思ったものです。
悪の結社が、一般の人たちの生活に
ともだちのように入り込んでいく感じがね。
この作品、若き宮崎駿さんも、
作画で参加しています。
あと、20世紀少年の映画に
思い入れがあるのは、
ロケ地に私も住んでいた陶の街、
常滑市が選ばれていたことも
実はあります!
私の友人が所有するスバル360は、
映画にも映ってました!
浦沢直樹さんとロック
さて、本題に戻りますが、
浦沢直樹さん、
元々吉田拓郎さんのファンだったようで、
そこから拓郎が好きなボブ・ディランに
ハマったようです。
その後ディランのほかにも、
ストーンズや、ザ・バンドなどにも
傾倒したらしく、
明星大学進学後は
軽音楽部でバンドを
組んで、TOTOのコピーも
やっていたそうなので、
なかなかの本格派だと思いますが、
同じ軽音学部の同学年に、
村越弘明さん
(ザ・ストリート・スライダーズのHarry)が
いたことで、
自分が音楽で食って行くことの
難しさを痛感し、方向性を漫画の道に
絞ったとおっしゃっています。
浦沢さん、
この曲もレパートリーだったのかな?
こんなにも映画全体のイメージと
一体化したテーマ曲って、
なかなかないと思います。
20th Century Boy
By T.REX🦕❣️
↓↓↓↓
あしたのジョーとブラックジャック?
1996年頃、清志郎と浦沢さんが
並んで同時に絵を描く機会があったそうです。
そんな機会が偶然やってくるわけもないので、
何かの企画だったとは思うのですが、
清志郎さんが「なんか描いちゃうぜ」
ということで、
ブラック・ジャックを描き、
浦沢さんは、
片目が隠れてるつながりで、
矢吹ジョーを描いたようです。
この絵は、
手塚治虫記念館で行った
忌野清志郎展でも、
展示されたようです。
名作 瀕死の双六問屋の表紙だ!
そして、2012年発売の、
瀕死の双六問屋 完全版
の、カバーイラストを、
浦沢さんが担当しました。
この本は、2000年が初版ですが、
この完全版、浦沢さんは、
〜本書 の2000年版は、
私の座右の書でした。
今回その 完全版の装画を
描かせていただけるとは、
なんと光栄なことでしょう
清志郎さんに会いに行ったとき、
話したいこと、聞きたいことの
100万分の1も聞けなかったけど、
この本にはその答えがギュギュッと
つめこまれているのです。
しかも、完璧なロックの文章で〜
と、一ファンとして同書の再発売を心から
喜んでいたそうです。
漫画もロックも続く。。
また、浦沢さん、
このような話をされています。
〜漫画も同様、音楽もこの先やめないし、
やめるつもりもない。夢のような出来事が
あったのも、音楽を続けてきたから。
あこがれていた泉谷しげるさんと
共演できたり、岡林信康さん、
仲井戸“CHABO”市さんに
デザインを提供できたり。
小室等さんの番組 (新音楽夜話)に
出てきたなんて不思議でした。
思い続ければいいんですけれど。
そういえば泉谷さんも岡林さんも
漫画が描けます。
清志郎さんも漫画が大好きだった。。〜
今日は、
大阪万博の話から
55年前の万博、
20世紀少年、などなど
話が行ったり来たりして
しまいましたが、
今日も最後まで読んで頂き、
感謝For You!
どうもありがとうございました。
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