私が大学生の時は、エレキ化後RCサクセションの最盛期が続いていました。そんな時、サークルに3つ歳下の音楽好きそうな後輩が入ってきて、当然RCが好きなんだろうなという前提で話しかけたら、「先輩、私はBOØWYが好きなんですよね~」などと言われ、「えっ?BOØWY?、あ、ああBOØWYね、ボ、BOØWYもいいよねぇ💦」などと知ったかぶりをしてしまったことをよく覚えています(笑)。

 

この時から「あぁ、若い連中には今、BOØWYが人気なんだ、へ~。」と、自分の中で初めてBOØWYを認識するようになりました。

 

 

私たちの3つくらい下の世代では、明らかにRC派よりBOØWY派が多くなったように感じます。というか、80年代はRCから始まりキラ星のごとく日本のロックを代表するバンドが次々と現れた時代でしたので、ファンの選択肢も格段と多様化した時代だったと思います。

 

そのBOØWYのRCに関わる有名なエピソードがいくつかあります。

 

 

1980年、氷室京介さんは、プロデビューを果たすもその所属バンドがうまくいかず、成功することを諦めて生まれ故郷である群馬に帰ることを決めていました。当時付き合っていた彼女から東京の最後の思い出にということで日比谷野音でのRCライブのチケットをもらい行ったところ、大変心を揺さぶられ、もう1度やり直すことを決意したというエピソードがあります。

 

 

その日のRCのライブとは、1980年7月5日「エネルギーohエネルギー」のことのようです。この丁度1か月前の6月5日、日本ロック界に燦然と輝く金字塔、アルバム「RHAPSODY」が発売されており、そのまた前の1月19日から22日までは、渋谷屋根裏での伝説の4DAYSライブが行われた時期でした。

 

氷室さんが行った野音のセットリストは不明ですが、恐らくその時の最新作「RHAPSODY」、もしくは「RHAPSODY NAKED」の収録曲中心だったと想像できます。まだ「PLEASE」は発売されていない時期なので、「トランジスタラジオ」「いい事ばかりはありゃしない」などのライブ定番人気曲は演奏されてないと思われますが、

 

RCがまさに天下をとる寸前の、バンドのパワーだとかモチベーションとか、正にバリバリ全開の時期のライブなので、そのライブを見てしまった氷室さんの心のベクトルが180度転換したことは、生意気な言い方かもしれませんがとても共感できるし、当時時代を味方につけながらロックの普遍性をまとったRCの持つ底知れぬ可能性が観客にビシビシ伝わったのじゃないかなと思います。観客の興奮状態が目に浮かんできます。

 

 

東京でやり直す一大決心をした氷室さんは、すぐさま行動力を発揮し、布袋寅泰さんや他のメンバーを熱心にくどき始め、サクセスストーリーが紡ぎ出されることになります。

 

 

 

1986年7月2日、BOØWYはついに武道館単独ライブを成功させます。 「IMAGE DOWN」の曲中で氷室さんが放った、「ライブハウス武道館へようこそ!」の言葉は、とても有名で、その後もこの言葉を引用するアーティストが結構いるようです。

 

一説によると、この言葉は、清志郎が1980年8月23日武道館で行われたライブイベント「ポップンロール300%」で、「こんな狭いライブハウスは初めてだぜ」と言ったことへのオマージュだそうです。このイベント、シーナ&ザ・ロケッツ、プラスティックスも出演しています。

 

 

 

 

 

BOØWYとRCの初めての共演は、1986年「ユーパロ・ミュージック・フェスティバル」(夕張・石炭の歴史村で行われた夏の野外イベント)だと思います。オープニングをBOOWYが飾り、トリがRCでし

た。翌年のやはり同じ北海道の真駒内オープンスタジアムで行われた「HOKKAIDO ROCK CIRCUIT'87」では、今度はBOØWYがトリを務めています。

 

 

 

 

一方、BOØWY解散後は、布袋寅泰さんと清志郎は2001年4月26日大阪城ホール「ナニワ・サリバン・ショー」にて共演しています。

テクノクイーン、SWEET LOVIN'、君が代の3曲を当時清志郎が率いたバンド、ラフィー・タフィーとセッションしています。

 

布袋さん、2009年5月3日付の本人のブログでは、仙台で訃報を知ったこと、泣きながら飲み明かしたこと、泉谷しげるさんのバックでギターを弾いていた頃楽屋で「キミ、いいねー」と声をかけられ嬉しかったこと、RCと同じステージに立てたときは夢見心地だったことなどが綴られています。

 

因みに1985年6月から8月まで布袋さん、泉谷しげるバンド「タワーズ」で弾いていました。タワーズとは、布袋さんとベースの吉田健さんがデカかったから(笑)。また、泉谷さんとは、2010年宮崎で行われた泉谷さん主催の口蹄疫義援イベント「がんばっど宮崎」でも共演しています。

 

 

 

誰もがわかる形で日本語ロックを世の人々に知らしめた清志郎と、さらなるBOOSTで安定巡行に導いたBOØWYの氷室京介さんと布袋寅泰さん、やはり80年代って凄くゴージャスな時代だったんだなと思わずにはいられません。そして、偶然か必然か、RCとBOØWYが、リアルに繋がっていたなんて、とてもとても感慨深いものがあります。

 

そして、この布袋さんのギター、泣けます。。スローバラードが聞こえてきます。

以上です。