どんと
1986年、ローザ・ルクセンブルグでデビュー、翌年解散、1989年にボ・ガンボスでメジャー
再デビューしました。
2000年1月に早逝してしまいます。
とても印象に残っているアーティストです。
その理由としては、一つはどんとが清志郎に心酔していたからです。特に中学、高校生時代はRCサクセションに大きな影響を受けたようですね。
それともう一つ、
私の友人がどんとと実際に親交があったからなんです。
清志郎のどんとへの思い
清志郎の名著『瀕死の双六問屋』には、こうあります。
〜どんとはボ・ガンボスとなり派手にブレークした。いいバンドだと感心した。こんなバンドが市民権を得るなんて、いい時代がやってきたと思った。〜
〜どんととはその後一緒に酒を飲んだりイベントで一緒になったり・・・・・・。雰囲気のあるいい奴だった。俺の音楽の理解者だった。もっとたくさん会えば良かったが今はもう遠い。今年も年賀状が届いたばかりだというのに・・・・・・。さようなら、どんと。安らかに眠ってくれ〜
〜RCのころにライブ・イベント で共演、「雨あがり~」を一緒に演ったんだよな。あと沖縄でたまに会ってたんですよ。ライブをやると観にきてくれたし、飲んだこともある。でも、あまり盛り上がらなかったですねえ(笑)。〜
まあ、清志郎と話して盛り上がる人って殆どいなかったと思いますが😅、清志郎がいかにどんとのことを認めていたかがよくわかります。
soul of どんと
清志郎は、2003年、2005年、2006年と、どんと追悼イベント「soul of どんと」に出演しています。
2010年日比谷野音で開催された「soul of どんと」では、清志郎が2006年の同イベントで歌った「孤独な詩人」の映像が映し出されました。
星になったのさ〜どんとわぁ〜
これはとにかく素晴らしい名演です!
King Of Rock!!
King Of Manteau Show!!
ラキタ、忌野清志郎
ロックンロール・ショーに出演
2012年5月2日武道館で行われた「忌野清志郎ロックンロールショー」では、この日のバンドでキーボードなどを担当した元ボ・ガンボスメンバーにしてどんとの大学の先輩でもあるDr.Kyonと共にどんとの長男ラキタが出演、「まぼろし」を歌ってくれました。
まぼろし
作詞・作曲: 忌野清志郎
♪ぼくの理解者は行ってしまった
もうずいぶんまえの忘れそうな事さ
あとはだれもわかってはくれない
ずいぶんずいぶん ずいぶん長い間
ひとりにされています・・
ラキタがこの曲を歌うと、ラキタの為に生まれてきた曲ではないかと錯覚するくらい清志郎、どんと、そしてラキタの繋がりが心に投影されます。この曲は、元々は3人時代のRCの作品ですが、
〜ぼくの理解者は行ってしまった〜
心を鷲掴みにされる、苦しさの共有を強いられる、なんて切ないフレーズでしょう。。
清志郎は、上記に引用した瀕死の双六問屋のどんととの思い出にも『理解者』という言葉を使っています。
理解者のことを歌った「まぼろし」を、ラキタが歌ったことに、なんか、泣けてきたことを思い出しました。
旧清水市でのどんとライブ
どんとは、私の地元静岡市の清水区(旧清水市)で
ライブを行ったことがあります。
実はそのライブの主催者が私の友人でした。
友人の彼は、大学時代からどんとの大ファンで、ライブに足繁く通っていたようです。その後彼は清水で就職したのですが、ある時どんと本人と会う機会を得、ナント、直接清水でのライブを懇願したところ、奇跡的にどんと本人が了承、ライブ開催の運びとなったようです。
そこでライブの場所として選んだのが、下記の
「おしるこ喫茶 船橋舎」さんです。
このお店、清水次郎長とも親交があったという、
老舗の甘味処なんですね。
2階は100人は収容できるホールがあって、当時はよく地元の音楽発表会や落語会などに使っていたようです。
ライブは、友人の破格な行動力と、船橋舎さんの全面的なご協力と、どんと本人のお人柄とがガッチリハマって、とても素晴らしい、手作り感いっぱいのハートフルなものとなったようです。
2回目のラストのアンコールは、
「夢の中」と、「今日の日はさようなら」
だったとのこと。
また、どんとの懐の深いお人柄を、船橋舎のご主人もとても褒めてらしたようですね。
因みに、友人はライブ当日、清水のコミュニティFM、「エフエムしみずマリンパル」にもどんとをアテンドし、出演頂いたようです。
最近、Spotifyで思い立ったようにジョギングしながらボ・ガンボスを聞いてます。彼らも清志郎同様、唯一無二なバンドだったこと、改めて、とてもよく理解できます。
以上です。