三浦友和さん


と清志郎が、都立日野高校の同級生で親友同士なのは、比較的よく知られているんじゃないかと思います。


私がこの事実を初めて知ったのは「ロッキング・オン」で、渋谷陽一さんの清志郎へのインタビュー記事からでした。





才能のないヤツ は大学へ行け!


仲のいい芸能人同士って大勢いると思うのですが、素人の高校時代からの親友で、お互いが第一線で活躍を続けており、仕事抜きでもずっと付き合ってきた友和さんと清志郎のような関係ってなかなかレアケースなんじゃないかな?


友和さんについて清志郎曰く、「楽器はとても上手かった」そうで、RCサクセションのデビュー前は、ボンゴ奏者としてメンバーに加わっていたこともあるそうです。清志郎の『才能のないヤツ は大学へ行け』の言葉に感化さ、清志郎と共に音楽の道に進むつもりでいたようです。




そう言えば、ドラマ「就活家族」(前田敦子さんが娘役でしたね)ではドラムを叩くシーンがあったのですが、かなりの腕前だったと記憶しています。






人間万事塞翁が馬?


RCサクセションは、清志郎が高校在学中にデビューし、「僕の好きな先生」がスマッシュヒット、アルバムも2枚出し、TVK(テレビ神奈川)でレギュラーを持ったりして順調な滑り出しでした。


友和さんはというと、結局は音楽的な才能に限界を感じ、清志郎達には置いてきぼりをくってしまった心境だったんじゃないかな。


でも、捨てる神あれば拾う神あり、人間万事塞翁が馬、RCにくっついて行動していたことで芸能プロダクションの目にとまり、俳優として歩んでいくことになります。20歳でドラマデビューしてますから、コレはコレで凄い事だと思います。



友和さん大ブレーク!


そうこうしていると、今度はRCが不遇の時期を迎える一方、逆に友和さんは百恵さんとのコンビで人気者となります。その後もそれぞれ、良い時も悪い時もあったようですが、ずっと交流があり、励まし合った事もあったようです。



1980年の友和さんと百恵さんの披露宴には、清志郎ほかRCのメンバーも出席したそうですが、清志郎は「俺たちだけメチャクチャ浮いていた。。」と話しています。😅




RC最大のヒット作に友和さん参加!


1988年発売RCの「カバーズ」のレコーディングには、友和さんも参加しています。


「バラバラ」「サマータイム・ブルース」「黒くぬれ!」「マネー」「イマジン」で、バックボーカル、特にサマータイムブルースでは、セリフも読んでいます。あれ、友和さんが考えたのかな?





小林先生との交流


日野高校の美術部顧問を長く務めた清志郎の恩師、小林先生は、「ぼくの好きな先生」のモデルとなった方ですが、清志郎も友和さんも卒業した後も小林先生との交流が続いてました。



日野高校OB展には、清志郎は油絵を、友和さんは陶芸を出展したりしながら旧交を温めてきました。




友和さん、RC再結成に向けて動く


友和さんの長男(三浦祐太朗さん)がバンドデビューする時、清志郎が祐太朗さんに出したはがきに、


バンドは大変だぞ。でも 頑張れ」って書いてあったそうで、祐太朗さん、部屋に大切に飾っていたようです😛。


また、RCサクセション再結成のキーマンとして友和さんが色々動いてくれた事もありました。ベースの演奏から遠ざかっているオリジナルメンバーのリンコさん(林小和生)とも旧知の間柄として連絡をとってくれて、友和さんの家で、清志郎、リンコさん、友和さんで会って、再結成の合意を取り付けたようです。


ただ、チャボさんが結局首を縦にふらず、そうこうしているうちに清志郎は闘病生活に入り、この話は立ち消えたようです。友和さんとしては、高校からの親友として、RCのファンとして、是非とも再結成、実現させてあげたかったんじゃないかな。



主演もバイプレーヤーも!





友和さん、悪徳警官だったり、ヤクザ役だったり父親役だったり、ALWAYS続・3丁目の夕日では、街のお医者さんを演じたり、若い頃と違ってとても幅広く色々な役を好演している印象です。


友和さんには、いつまでも活躍を続けて欲しいし、特に映画や、大河ドラマで見たいですね!また、バイプレーヤーも素敵なのですが、是非主演作もまた見たいですね、新しい役で!

以上です。