​忌野清志郎スーパースター烈伝





  金子マリさんと清志郎の関係


私、ある時期下北沢に4年間暮らしてました。自分で下北沢を選んだ訳ではなく、いきがかり上そうなったのですが、とても魅力的な街でした。


まだ再開発前だったので、駅舎から踏切から屋根下の商店街から劇場、ライブハウス、飲食店が若者中心の喧騒に包まれた、猥雑だけど健康的な街って感じでした。


ただ、この時期仕事が忙しかったので、あまりenjoyできた訳ではないのですが、多少は地の利を生かして街歩きをしたり、本多劇場スズナリで演劇を楽しんだり、銭湯に行ったり、ディスクユニオンでCDを物色したり、DVDショップで怪しいDVDを物色したり😅。


外で食べる時はいつも違う店にいってたような気がします。静岡おでんの店もありましたね。小池栄子さんの実家のパチンコ店を探したりもしたかなぁ。


もっと若い頃住みたかったなどと思ったものでした😅。



  2000年の第10回北沢音楽祭


下北沢での一番の思い出は、北沢音楽祭です。2000年は、下北沢のジャニス・ジョプリンとも呼ばれる地元在住のシンガー金子マリさんが音楽祭の実行委員に加わった為、北沢タウンホールでは忌野清志郎とRIZEの共演が実現しました。勿論行きました!清志郎はフライングVでメタメタ弾きまくってた記憶があります。


その時金子マリさん、「地元の葬儀屋の娘です!」と自己紹介してました(笑)。確か息子2人をバックに何曲か披露してくれました。



  金子家はロック一家!


金子マリさん、1972年のキャロルのライブでCharと出会い、バンド「スモーキー・メディスン」を結成したそうです。その後1974年、「金子マリ &バックスバニー」を結成、オリジナルメンバーはベース鳴瀬喜博、キーボード難波弘之と超豪華メンバーが名を連ねています。


やはりCharと出会ったことが、その後のプライベートも含めて大きな転機だったのかな?清志郎ともCharを介して繋がったと思います。






多くの方がご存知だとは思うのですが、念の為金子マリさんのご家族を改めてご紹介させていただきますと、


元夫は、ドラマーのジョニー吉長さん(ピンククラウド、故人)、息子さんは、RIZEのドラマー金子ノブアキさん、ベースのKenKenです。因みにボーカルのジェシーはCharの息子さんです。



  金子マリさんと忌野清志郎





金子マリさんは、RCのアルバム「Marvy」「Covers」と「コブラの悩み」にコーラスで参加しています。「コブラの悩み」では、「パラダイス」(作詞作曲:石田長生)でメインボーカルもとっています。


私がリアルで金子マリさんの歌声を聞いたのは、1989年4月のRCの静岡公演でした。この公演がRCとしての最後の静岡公演でしたが、マリさん、このツアーに帯同していました。


2006年のマリさんの4thソロアルバムには、逆に清志郎が参加しています。


2011年の武道館で開催された忌野清志郎ロックンロールショーには、息子2人(KenKen、金子ノブアキ)をバックに

ラッキーボーイ」「MIDNIGHT BLUE」の2曲歌ってくれました。


2019年の野音で行われたファイナルでは、

恩赦」を歌ってくれました。


♪ 僕に恩赦、恩赦、恩赦、On my mind

恩赦For Me、恩赦For You!



  2005年の再会


2005年には、思いがけずマリさんのボーカルに再会できました。それはRCのアルバム「ラプソディー・ネイキッド」でのことです。


私、マリさんがこの久保講堂ライブに参加されてたこと、恥ずかしながら知らなかったので、CDを聞いた時、なんか、とても嬉しかったことを思い出します。そうか、この歴史的なLiveの時から、ずっとRCのホント近くにいた同志、盟友、だったんだなって、改めて実感しました。


しかも、「まりんブルース」では、メインボーカルもとってるじゃないですか!ホント、新たに始まったRCの物語の序章で、すでに欠かせない存在だったわけです。




あのハスキーで迫力のボーカル、マリさんもまた、唯一無二の日本を代表する女性ボーカリストだと思います。これからも下北沢を拠点に、音楽活動を続けて欲しいなと切に思います。

以上です。



#金子マリ 忌野清志郎


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