私がゆずを初めて聞いたのは、やはり1998年発売のシングル「夏色」です。


山崎まさよしさんも話題にあげていましたが、私も物凄く新鮮に感じたのはサビの「♪長い長い下り坂を~」のくだりです。これ、子供時代に自転車で友達とつるんで遊んだことがある人にはすぐピンとくる詩なんじゃないかな。

 


ゆずの二人は横浜市出身の都会っ子ですが、私は地方の静岡出身ですから、家から自転車で少し走れば山がいっぱいあり、山の斜面にはみかんの木がいっぱいありました。

 


だから、この「夏色」を聞いた時、直感的に子供の頃のこの恐怖感と必死感と楽しさを思い出したものでした。「あー、あの感じね、わかるわかる!」みたいな!

 




確かにそれまでは、ロック=疾走感であって、私にとっての疾走感を体現するアーティストといえばBOSSことブルース・スプリングスティーンであり、アルバム「BORN TO RUN(邦題:明日なき暴走)」の「涙のサンダーロード」や表題曲は、その象徴でした。



国内では、何と言っても尾崎豊です。「十五の夜」「卒業」、「スクランブリング・ロックンロール」を思い出します。その疾走感の源泉は、閉塞感からの脱出、というテーマが横たわっていたと考えています。

 

ただ、その後のバブル崩壊を経て、世の中は不良債権の顕在化に慌てふためき、世紀末をまじかに控え心理的な不安が大きくのしかかっていた時代にはいります。



そのような時代に、このゆずの「夏色」の疾走感は物凄く新鮮で、疾走感=つっぱしる、ではなく、疾走感=思いきりブレーキをかけ制御しながら、後ろに乗った大切な人を守っていく、ことを現していて、私は、「これだよ、今大切なのは!」と、メチャクチャ共感したものでした。

 

また、2人乗り自転車ソングの大家といえば清志郎です。どのジャンルにも属さないオリジナティを有した「僕の自転車の後ろに乗りなよ」や、「日隈くんの自転車の後ろに乗りなよ」、自転車とブルースの融合「サイクリングブルース」など、どれも名曲揃いです。ゆずも自転車繋がりで、とても親近感が湧いたのでした。ノスタルジーもありますしね。


 

さて、清志郎より26歳年下の北川悠仁さんが、清志郎・RCサクセションに関心を示し始めたキッカケは、何かの雑誌で読んだ覚えがあるのですが、ゆずのデビュー直後、北川さんがいろいろ試行錯誤している中で、マネージャーさんに「ハードだけどフォークなバンドってどんなものがありますか?」と質問したところ、マネージャーさんの回答が、「それならばRCサクセションを聞いてみるといいよ」というものだったようです

MR.Hight Fashion 2000年11月号」に、以下のようなコメントを寄せてくれています。要約すると、


 ・インディーズ時代に清志郎のテレビ番組に呼んでもらったときは大緊張、雲の上の人なのに対等に接してくれた。

・ 逆にゆずのラジオ番組にゲスト出演してくれた際は、ラジオなのに着物で登場、カッコよかった。

・自分たちで 『RESPECT!』 のために作った "I LOVE 清志郎Tシャツ”を清志郎さんがテレビで着てくれていて感激した。

 


これに対しての清志郎のコメントは、

・最初に会ったときまだあまり人気もなかったのに、立派になったね。

・いい感じの 曲作るし、才能はたいしたもの。 ゆずの二人には、 昔の自分を見る思い。 だから励まさない。

・これからが大変だと思うけど沢山苦労してください。

 

なんと、清志郎らいし含蓄のある言葉じゃないでしょうか!

 

 

これ以降、清志郎とゆずのコラボはとてもたくさんあります。思いつくだけでも、

 

✅2000年 「RESPECT!」(清志郎デビュー30周年の武道館でのイベント)への出演。RCサクセション3人時代のハードフォークな名曲「金もけのために生まれたんじゃないぜ」を演奏しました。

 


✅2001年 「ナニワ・サリバン・ショー」に出演、ゆず単独で「Love is over」を、with斉藤和義で「男たちのメロディ」を、ラフィータフィーと「言論の自由」「国立市中区3-1」をセッション

 


✅2002年 GOLDEN CIRCLE OF FRIENDS feat斉藤和義・北川悠仁・岩沢厚治名義で「キヨシローに憧れて」発売。レコーディングには寺岡呼人さん(元ジュン・スカイ・ウォーカーズ)も参加

 


✅2004年 「続・ナニワ・サリバン・ショー」に出演、清志郎&北川悠仁で「サン・トワ・マミー」「ごきらく亭」「デイドリーム・ビリーバー」をセッション。

 


✅2007年 ゆずデビュー10周年記念ライブにと三宅伸治が「くろゆず」を名乗りゲスト出演。ゆずの「サヨナラバス」、そしてRESPECT!以来の「金もうけのために生まれたんじゃないぜ」セッション。これは、2000年RESPECT!の時の約束を、清志郎が闘病中ながらも果たしたもの。

 


✅2011年 「忌野清志郎ロックンロールショー」で、「金もうけのために生まれたんじゃないぜ」を演奏



✅2011年 映画「ナニワ・サリバン・ショー感度サイコー」出演




 

また、「夏色」の共同プロデュースには清志郎チルドレンのまとめ役、寺岡呼人さんが名をつらねているし、大阪のFM802がデビュー当時ゆずをヘビーローテーションしてプッシュしてたり、なんだかんだで清志郎と重なる関係性も偶然にも多かったように思われます。

 

 

清志郎チルドレンの中では新進気鋭の最若手と思っていたゆずも、40代中盤の中年の域に達しているとは、まぁびっくりしてしまいます。でも、そりゃ自分も還暦ですからね、無理からぬことですが(笑)。。

 

以上です。