糸井重里さん

糸井さん、マルチな文化人タレントの走りと言っていいんじゃないかな。
本職はコピーライターですが、他にもエッセイスト、編集者、作詞家でもあり、テレビ番組のMCもやってました。

お茶の間にもよく知られるようになったのは、やはり1980年の沢田研二の大ヒット曲「TOKIO」の作詞家としてかな。雑誌「ビックリハウス」の人気投稿コーナー
ヘンタイよいこ新聞」の主宰者としても活躍されてました。

そんな糸井さんですが、清志郎との接点で、特筆すべきものが3つあります。


❶RCサクセション大ブレイク時のインフルエンサー


確か糸井さん、1980年RC大ブレイクのきっかけとなった、渋谷のライブハウス「屋根裏」4daysライブに行っていて、その尋常ならざる盛り上がりを雑誌に書いたり、再発売された名アルバム「シングル・マン」についてもかなり好意的な発言をしてくれていた記憶があります。

清志郎本人のインタビューを中心とした書籍「GOTTA!清志郎」には、

〜特に、文化人って言われてる人たちに、オレの詞とか発言が評価されたり糸井(重里)さん、川崎(徹)さん、それに栗本(慎一郎)さんたちがほめてくれてさ。それに坂本もインテリだし。
自分の歌詞がうけるのってのが、おかしかったよ。〜

とあります。また、こうも言っています。

〜詞なんて発表しちゃった時点でひとり歩きしてるんだなって思った。オレが 考えてもないようなことで、解釈されてるんだもの。〜

糸井さんがMCを務めたNHK教育テレビの「YOU」にも出演しています。
83年元日放送回では、スタジオで「つきあいたい」を演奏、アントニオ猪木に肩車されながら歌ってました。

また、1982年5月5 日、品川にてビックリハウス主宰「糸井重里プレゼンツ ヘンタイよいこ白昼 堂々秘密の大集会」と題するライブ・イベントが行われ、「へんたいよい子バンド」(忌野清志郎、仲井戸麗市、坂本龍一、矢野顕子他)がライブを行っています。


❷パパの歌などの楽曲におけるコラボレーション


1993年発売の清志郎のソロアルバム
abcd」収録の5曲は全て作詞糸井さん、作曲清志郎です。
清志郎が、自分以外の詞に曲をつけるのは、日暮しの武田清さん作詞の「あの歌が思い出せない」「ありふれた出来事Part2」以来じゃないかな。

糸井さんの詩なのに、どの曲もまるで清志郎が乗り移ったかのような詩で、いかに糸井さんが清志郎をリスペクトして作ったかが良くわかります。

また、これらの作品群は、RCの清志郎とは全く違う一面を引き出して、知名度や新たなファン層の獲得に繋がったと思います。

CMとのタイアップ曲であるパパの歌やパパの手の歌は勿論、それ以外の4曲も素晴らしく、単なる企画モノのアルバムと違う素敵なアルバムですね。




❸ほぼ日刊イトイ新聞における清志郎批判


そんな糸井さんとの蜜月の時期もあったのですが、糸井さん、
ほぼ日刊イトイ新聞
https://www.1101.com/darling_column/archive/1_0830.html
では、清志郎を批判しています。

なるほど、糸井さん的にはそう感じてたんだな、ということがよくわかります。もう随分前の1999年の文章だし、散々色んなところで取り上げられただろうから、今更どうこう言うつもりは全くありません。

ただ、私のようにずっと清志郎を見聞きし続けているファンからしたら、こんなふうに思います。

清志郎は、デビュー当時から、tvk(テレビ神奈川)のディレクターの住友さんも証言しているとおり、

大人の言うことなんか信じるもんか

という態度の、決して媚びない若者だったはずです。

言論の自由」という曲では、

♪本当の事なんか、
言えない
言えば殺される
学校にいる時には 
それは許された
卒業したら 
それは通じなかった〜

と歌ってます。大人社会への痛烈なアイロニーですよね。

また、

♪この世は金さ〜 
この世は金さ!

と歌ったと思ったら、次の曲では、

♪金儲けのために
生まれたんじゃないぜ!

と歌っています。これ、両方本心だと思います。恥ずかしげもなく😅、嘘のないホンネを歌ってます。

サマータイム・ブルースでは、

♪原子力発電所が建っていく 
さっぱりわかんね〜 
誰の為?

と歌ってますが、その後、

♪今日も綺麗な雨が降る 
排気ガス等
でやしない 
安全第一守ります 
最高なんだよ 原子力〜

と、「原発賛成音頭」を歌ったりしています。

夜のヒットスタジオでは、アルバム「カバーズ」収録曲を放送禁止にしたFM東京に対し、放送禁止用語を駆使して罵倒しています。

とにかく、媚びない姿勢で、付和雷同の世の中を徹底して皮肉っています。

また、インディーズから発売した
不死身のタイマーズ」では、徹底的に放送禁止用語をふんだんにつかって、見て見ぬふりの世の中の風潮やタブー、忖度をこき下ろしています。
パンク「君が代」は、国旗及び国歌に関する法律が成立した時、「そうか、それなら俺が堂々とカッコよくジミヘンばりに君が代をうたってやろうじゃないか!」ってことだと思います。

島国日本では、およそ誰もやらないことを、なんのてらいもなく、大声で歌い倒してる訳です。清志郎らしいですよね。

実際この曲、本人もかなり気に入っていたようで、ラフィータフィーのライブでは必ずラスト近くで演って大盛り上がりでしたね。「気持ちE」的な感じののりかな。苔のむすまで〜のところでは、ムースをスプレーで出しまくってふざけてました(笑)。

君が代を収録したアルバム「冬の十字架」をはじめ、2000年代に発売の「夏の十字架」秋の十字架」は、インディーズレーベルから発売しています。特に夏の十字架は、反骨精神溢れる快作です。




どれも嘘のない清志郎なのだ


スローバラードや、わかってもらえるさ君が僕を知ってる、など私も大好きです。でもその一方で、世の中をえぐっていく曲、世の中に媚びない清志郎の曲も大好きです。自由とかもね。

清志郎は、アイデアが枯れて社会派に逃げているわけではなく、色々な辛酸を舐めてきたなかで、世の中を見る視野や関心が若い時より格段と広がり、より一層誰も歌わないのはおかしい、と思うことも増えていったんじゃないか。

その文脈で考えれば、人と人が殺し合う戦争なんて絶対なくなるべきと本気で思っていたはずだし、なのに誰もそのことを歌わないのはおかしいとも思っていたはずです。だから夢は何かと問われた時、なんのてらいもなく「世の中から戦争がなくなること」と答えるし、愛と平和を声高に叫んでいたのだと思います。PPMの反戦歌「花はどこへいった」の替え歌をライブでやってた時期もありました。

そして、2000年代も素晴らしい作品をたくさん残しています。Jumpなどは、清志郎最終章の季節に出した名曲ですが、いまや新しいロックのスタンダードになっているといっても過言ではないと思います。最近ではキリンビールのCMに起用されています。
色々長くなってしまったのですが、
糸井さんの意見から、逆にこれらの具体的な清志郎の行動がクリアになったきがしました。

多分1999年の糸井さんのコラムに対する日本で一番遅いコメントだったと思いますが😅、お付き合い頂きありがとうございました。
以上です。



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