谷村新司さんがお亡くなりになりました。 

享年74歳、 まだまだ10年は音楽活動を続けていこうと、アリスの仲間たちと 誓いあっていたと聞きました。 とても残念に思います。。。


アリスはニューミュージックへの水先案内人


谷村新司さん、アリス、 と言えば、 私たちの世代では、 音楽への関心を 歌謡曲・フォークから、ニューミュージックへと誘ってくれた水先案内人のような存在 だったんじゃないかなと思います。 




1977年10月に、アリスの「冬の稲妻」が発売され大ヒットしました。 その直後の 1978年1月からTBSで「ザ・ベストテン」の放送が始まります。 


ザ・ベストテン 言えば、 当時のティーンエイジャーたちの音楽的関心を一手に引き受けていた ような番組で、物凄い人気となりました。 冬の稲妻以降、 急上昇したアリス人気の 最盛期と、 ザ・ベストテン創成期の人気は完全にかぶっていたと思います。 



大爆笑の「天才・秀才・バカ」


音楽とは別の話になりますが、 谷村さん、以降チンペイさんと呼ばせて頂きますが、 ラジオも大人気でした。 特に深夜放送です。 私の地元静岡ではローカル局で 放送されていたのが「オールナイトニッポン」だったので、チンペイさんのセイ! ヤングは、 殆ど聞いてなかったのですが、「天才・秀才・バカ」の書籍は大好きでした。 4,5冊 買ったかな。 




まだ、 ビートたけしも登場していない時期、その毒舌ぶりやエロさなど、 ブラックユーモア に溢れていて大好きでしたね。 少し前に 「欽ドン」が流行り、 出版もされてましたが、 圧倒的にこちらに拍手喝采でした。 



アリスと言えばモーリス!


それと、アリスといえばモーリスギターです。 ラジオでも当時よくCMが流れていました。


 「モーリスもてばスーパースターも夢じゃない!





確か、チンペイさんの声だったんじゃないかな。 私の姉も、モーリスのギターを買ってもらってましたね。 


RCサクセションとの出会い


さて、アリス人気がひと段落し、 活動停止を迎えた頃、入れ違いで大ブレイクしたのが RCサクセションでした。


 実は、 忌野清志郎は、チンペイさんより3つ年下なのですが、 デビューは70年なので2年早いです。 両者とも当時レコード会社は同じ東芝音工 だったからかな、 ジョイントでのライブツアーがあったようで、これについてはチンペイさんのblogに 書いてありました。 そのまま、引用させていただきます。 清志郎が旅立ったときの メッセージです。



〜娘の詩織からの電話で訃報を知りました。 今夜の長野の夜空は 澄み渡っています、、、 70年代の初期の頃、ツアーを一緒にし たことがありましたね、 いつも物静かだった清志郎がやがてロッ クシンガーとしてたくさんの人達に元気を与えてくれましたね、 本当にご苦労様でした。 貴方と同じ時代に歌ってこれたことに感 謝です、 合掌。〜




きっと、 音楽性が違う、 少し年上のとても社交的でよく話すチンペイさんと、 まったく人を寄せ付けないオーラをまとった清志郎をはじめとしたRCの3人とは、 まったく肌が合わなかったと思います(笑)。 



でも、アリスって、ドラムの矢沢透さんがいるし、 普通のアコースティックのグループとは 違うビートの効いたサウンドを指向した、それまでの日本にはないタイプのバンドだったと思うのです。 


また、当時のRCも3人組で、 ギター2本とウッドベースという特徴的な編成で、 やっている音楽はハードフォークというか、ブルースやソウルの影響を強く受けたものでした。 


ユーモアを大事にした2人


きっと、当時はお互いが若かったし、とんがっていたので必要以上の交流は生まれなかったと 思いますが、チンペイさんも清志郎も基本、 とてもユーモアがあるし、 お客さんを楽しませたいという 気持ちはとても強いので、 お互いが年齢を重ねた後、コラボしたらきっと何か面白いことがあったかも? と思ってしまいますね。 


天国で再会して、 


「ど、どうも、 忌野です。 谷村さんもこられてしまったのですね。。」 

「おお、清志郎くんか。 ちょっと早いんちゃうかと思ったんやけどね。3人のRC、すごかったわー、懐かしい!」 


なんて話してたりして。。 



名曲の数々、そしてチャンピョン。。


考えてみると、アリスの歌、とても沢山、よく覚えてます。


 遠くで汽笛を聞きながら、今はもう誰も、冬の稲妻、 涙の誓い、 ジョニーの子守歌、秋止符、 そして、チャンピョン。 You are king of kings... 



この言い回し、 ずっと忘れなかったですしね。 ライブも行ってみたかったです。。 


心よりご冥福をお祈りいたします。