ロシアによる一方的なウクライナへの侵略戦争が始まって一年、丁度20年前の今頃行われたコンサートとのことが無性に思い出されます。


それは、佐野元春さんと忌野清志郎の歴史的な共演です。2003422日日本武道館アースデー・コンサートでのライブです。


FM東京が生中継をやっていたところ、清志郎が自分のパートで突如予定にはない「あこがれの北朝鮮」「君が代」を演奏した為、ラジオ進行役の女性アナウンサーが慌てて演奏に被せて必死に別の話題を話しまくるという放送事故も起こりました。


このコンサートの少し前の320日、米軍によるイラクへの軍事侵攻が始まっています。この戦争への批判の意を込めて清志郎はPPMの「花はどこに行った」の替え歌を歌います。


この歌の最後、よく聞くと清志郎、涙ぐんでいるように聞こえます。



そして佐野元春を迎え入れ、やはり反戦歌「明日なき世界」を2人で歌い、続けて「トランジスタラジオ」を歌います。


その後、清志郎と佐野元春のMCが入るのですが、この時の佐野元春の言葉がとにかく素晴らしかった。よくぞ言った、それこそ心に響くものでした。


「自由に好きな歌を歌える国に生まれて、僕は幸せだと思うよ」


やや、清志郎の言葉をさえぎり気味に、強い口調で言ってます。



これには2つの意味があって、1つは当事国では好きな歌も歌えなくなってしまう戦争が起こってしまった事を嘆く意、そしてもう1つは、清志郎がスタッフを混乱させながらも前述の2曲を歌った事を指しているのだと思います。


突然の元春の言葉に、当時者の清志郎は強く頷いたと思うし、もしかしたらこの佐野元春の言葉で救われたスタッフもいたかもしれないし。。このタイミングでのこの一言、ホント、素晴らしいと私は思います。佐野元春という人の人間性を垣間見た気がします。


忌野清志郎 佐野元春アースコンシャスコンサート


その後、「悲しきRadio」を2人でやってジョイントは終わり、佐野元春のパートが始まります。


清志郎が旅だった後、佐野元春は追悼の言葉を残しています。


「清志郎は70年代のスタイルを最後 まで貫 いた人で、反抗のスタイル、反抗のソングライティング 、世間に対する姿勢、貫き通した」


と言った趣旨の発言をしています。

ガラスのジェネレーション、さよならレボルーション♪と歌った佐野元春こその言葉だと思いました。


20135月「忌野清志郎 ロックンロールショーLove &Peace 」で、佐野元春はこの時2人でやった思い出の曲「トランジスタラジオ」を同じ日本武道館でソロ演奏しました。



1980年代の同じ頃、間違いなく時代を牽引していた2人でした。


以上です。