自転車は『ROADMAN』で決まり!だった?


 

中高年のスポーツサイクリストをよく見かけるようになってから、かれこれ20年以上たったかな?

 

流線型のヘルメットと専用スーツ、専用シューズに身を包み、小さなサドルに跨って前傾姿勢のドロップハンドルを握りしめ颯爽と風を切って走ってゆく!

 

ところで、こういう場合の自転車🚲って、めちゃ高そうですよね。やはりイタリア製とか海外モデルが人気なのかな。

 

私達が小学校の頃は何といっても日本製、ブリヂストンの「ロードマン」が大人気でした!


私も親が無理して買ってくれました😭。もう、嬉しくて嬉しくて!こんなカッコE、自転車に乗れる時代に生まれたことの幸せを子どもながら思いっきり感じておりました。


これ、マジです!友達と意味もなく近所を爆走したこと、まぁ、楽しかったなぁ😅。

 


↓↓↓↓ 私の愛車だった

ロードマンR3スカイシルバー



ただ、地方だし、バイクの3ない運動(免許とらない、買わない、乗らせない)が盛んな保守的な土地柄だったので、自転車も中学校ではドロップハンドル禁止でした😅。

 

高校は自転車通学だったので、ロードマンを、高校の規則に合わせてセミ・ドロップハンドルをひっくり返して取り付け、荷物を入れる為フロントにカゴを設置、リアには荷台を取り付け(学生鞄はカゴに入れて走ってはいけないルールでした)、完璧な通学仕様に改造しました。


ついでに言うと雨の日は学校指定の雨ガッパを着ることになってましたね。

 

ただ、そうこうしているうち嗜好も変わり、こういった通勤仕様の自転車よりママチャリの方が渋く思うようになったりして、ロードマンへの気持ちは冷めていき、以来自転車への興味も長い間ないままでいました。

 


し、しかし、前置きが長くなったのですが、そんなロード・スポーツへの憧憬を想い起こさせてくれたのが、忌野清志郎でした!!

 

清志郎にインスパイアされてしまった私は、一大決心して当時住んでいた熊本で自転車屋さんにロードスポーツを買いに行ったのですが、


ちょっとまだ時代が追いついてなかったのかな、マウンテンバイクは品数もそこそこあるのだけれど、ロード・スポーツらしき自転車はGIANTのが一種類置いてあるだけでした。


但しさほど高くなかったのですぐ買ってしまいました😅。10段変速です!その後何年かたって、リアのギアを交換し12段にしました。

 

 


人間本来の力を取り戻さなければならない


 

ところで、何で清志郎は突然50歳を過ぎてから自転車を始めたのでしょうか?当時本人がいろんなところで話してたのですが、

 新聞で、このような記事を目にしたそうです

 


東北電力の作業員3人が雪崩に巻き込まれて生き埋めになるという痛ましい事故が発生、 


連絡を受けたその中の1人のお父様(80歳過ぎ)は、何としても助けだそうと、スコップ片手に10キロ歩いて雪山へ1人で捜しに出かけたました。


そこはその息子の作業員が子供の頃に遊び回った山で、その当時と同じようにその親子にだけ通じる独自のコールを繰り返し叫びつつ必死に捜したところ、


雪の中から弱々しくもレスポンスが!息子を見つけ出し救助したのでした!

 


清志郎はこれを知り激しく心を動かされたそうです。


その歳でもお父様は足腰がしっかりしてて凄いじゃないか。翻って、じゃあ自分はどうか?やがて年老いた時、そのお父様のように歩けるか?息子を助けることができるのか?


と考え、「ここはいっちょ、鹿児島の雅叙宛まで歩いて鍛錬せねば!」と思い付いたそうです(笑)。

 

しかしすぐ思い直し、「でも、やはり歩いて行けば、きっと電車やバスにズルして乗ってしまうだろう。


ならば自転車はどうだっ!? 自転車で行くのなら、乗り捨てるわけにはいかないし、歩くよりも楽に短期間で行くことが出来るはずだ!」と。 


これがそもそも自転車に没頭するきっかけとなったのでした😅。

 


でもそう決意したら、さすがKING OF ROCK、その夢に痛く共感する仲間がすぐさま現れました。


CDジャケットなどのデザイン担当の小嶋さん、そして当時CHABO BANDの早川岳晴さんです。


早川さんは、鹿児島まで自転車で行く構想を聞くと、


「それにはLSDが絶対必要だ。LSDがあればなんとかなりますぜ。」と答えたそうです💦。なんかかなりヤバイ話か?

 

↓↓↓↓ LSDのステッカー




清志郎愛用の自転車を紹介


 

いやいや、この場合のLSDとは、

Long Slow  Distance、長い距離をゆっくり行くこと、だそうで、早速これを鹿児島をめざす(ツール・ド・鹿児島)自転車Team名に決めたそうです。

 

加えて、もの凄く強力な助っ人が現れました。「サイクルスポーツ」誌の編集長、宮内忍さんです。


その宮内さん、ナ、ナント、清志郎の小学校時代の同級生で、清志郎と一緒に自転車で遊んでいたお友達だそうです。


清志郎が自転車を始めたという情報を得たことを発端に何十年ぶりに旧交を温めたそうです。その後、アドバイザーとしてずっと関わって頂いたようです。

 



さて、ちょっとマニアックな話となりますが、清志郎の自転車を簡単に紹介しておきます。

 


最初の愛車はケルビム号です。

名前はピンキー、色はピンクです。東京・ 町田の今野製作所で採寸し、オー ダーしました。クロモリを溶接で組み上げたハンドメイドフレームに、シマノ・アルテグラコンポーネントを組み込み、ツール・ド・鹿児島のころにはデュラエースへグレードアップとのこと(清志郎のコメントあり)。


50歳の自分へのプレゼントだったそうです。

 






2代目はTREK号です。

名前はファイヤーガールで、アメリカ・トレック社よりフル・カーボンフレームの日本人第一号オーダーとして提供されました。


ツール・ド・フランス6連覇のランス・アームストロングと同じフレームをベースに、イタリアのカンパニョーロ製レコードコンポーネントで組み上げたものだそうです。


ちょっと何言ってるかわかりませんが(笑)。宮内忍さんのコネが効いたようですね。

 

そして3代目が有名なオレンジ号です。

つくば市のスポーツバイク・つくば・マツナガさんのフルオーダーカーボンフレームだそうです。


カンパニョーロ・レコードなど最高のパーツが組み込まれているそうです。


やはりちょっと何言ってるかわかりません(笑)。オレンジのロゴは、英国製ギターアンプ「Orange」日本代理店の許可を得て使用しているそうです。

 


2000年代の清志郎の活動・行動力はとても旺盛で、マルチに大活躍しています。レコードディング、ライブ、俳優、絵本、そして自転車などなど。


思うに、これらのエネルギーの源となったのは、自転車なんじゃないかな。


勿論、健康で強靭な体づくりに資するのは間違いないですが、何よりポジティブなマインド、気力の充実を今まで以上にもたらしたんじゃないかな、と想像しちゃいますね。



他にも色々ありましたので、その❷に続きます。

お付き合いくださり感謝、感謝For Youです!

以上です。