2023年3月28日、坂本龍一さんがお亡くなりになりました。享年71歳。。厳しい闘病生活の中でも、音楽活動への情熱を注ぎ続けておられることは知っていましたが、こんなに早く逝かれてしまったこと、とても残念でしかたありません。心よりご冥福をお祈り致します。

 

坂本龍一さんの足跡は、多くのメディアで伝えられているところですが、その中で私の心の中にスッと入った坂本さんの偉業を説明する言葉に、「アカデミックな面と世俗的な面の両方に卓越していた」というものがありました。

 

やはり私たちの世代では、どちらかというと坂本龍一さんの「世俗的」な面に、より拍手喝采を送って来た方じゃないかな。その中心がYMO時代ですね。1979年から1981年はまさにYMOは時代の寵児だったと思います。

 

1980年は、私たちの世代にとってはとても重要な年だったと思います。ある意味、1980年以前、1980年以後、紀元前、紀元後、レベルの境目を現すほどのインパクトのあった年だと思うのです。

 

年初、あの、ビートルズの、憧れのポールマッカートニーが日本に入国できず逮捕され、12月にはジョンレノンが射殺されるという歴史的大事件が起こりました。6月5日にはRCサクセションの日本ロック史に燦然と輝くアルバム「ラプソディー」が発売されました。そして、奇しくも同じ6月5日、YMOの「増殖」が発売されました。

 

 

YMOは前年の2ndアルバム「ソリッドステートサバイバー」、1980年発売のライブ盤「パブリックプレッシャー」が大ヒット、一大ブームを巻き起こしており、当時の人気ドラマ「池中玄太80キロ」(これ、熱心に見てました!)に出演していた杉田かおる演じる西田敏行(玄太)の高校生の娘も、ドラマの中で「イエローのソリッドステートサバイバー、すっごくいいんだよ!」ってセリフがあったくらいです(笑)。

 

そのような人気が頂点の時に発売されたオリジナル3rdアルバムが「増殖」でした。これには参りましたね、すごくインパクトのあるアルバムでしたし、田舎の高校生の私にも、とてもわかりやすかった!当時通っていた高校のお昼休みの校内放送で、放送部がこのアルバムを流したんです。もちろん曲と曲の間のスネークマンショーもです!もう、校内バカ受け!なんなんだこれは!めちゃくちゃいいじゃん!でもなんかカッケー!ナウい!えー?これってYMOなの?と称賛の嵐でした。考えてみると、放送部のみんな、結構度胸あるな、なんて今更ながら感心してしまうのですが(笑)

 

私も含めて田舎の高校生たちにとっての初めてのリアルYMO体験だったのかもしれません。その後、目ざとく、LPを買った友達にテープに録音してもらい、何度も聞いたものでした。

 

 

 

そして、次の坂本龍一体験が、清志郎との「い・け・な・い ルージュマジック」ですね。

そして、「戦場のメリークリスマス」、その後、少し芸術家の色合いが強くなって「ラストエンペラー」と、私たちを楽しませ続けてくれました。

 

そして、もう一つ忘れられない坂本龍一さんは、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」の罰ゲームで、浜ちゃんがニューヨークの坂本さん宅に松ちゃんが貸したままになっているシャープペンを返してもらいに行くという企画です。はるばる日本からやってきた浜ちゃんに対し、坂本さんは、ドアチェーンを外さないままの塩対応でシャープペンを返したのですが、もう、そのシーン、大爆笑でした!坂本龍一さんのドア越しにちょっとだけ見せた無表情がおかしくておかしくて。イヤーすばらしかったです!

 

 

あと、清志郎と坂本龍一さんって、同学年なんですね。清志郎は1951年4月生まれ、坂本さんは翌年1月生まれです。それもあってか、音楽のジャンルは全然違うのですが、とてもウマがあったような気がします。これはラジオでの二人の対談です。

 

 

清志郎はああいう性格ですので(笑)、特に若い頃はインタビューなどでもテキトーで、言葉少なで、人をくったような対応が多かったのですが、この坂本さんとの対談ではとても素直で無邪気で少年っぽい印象を醸し出しています。信頼し心許せる「ともだち」って感じで話していることが伝わってきます。

 

そして、清志郎が無期限の長期出張に旅立った後の坂本龍一さんの言葉がこちらです。

 

 

坂本さん、清志郎のよき理解者で、その音楽性をいかにリスペクトしていたかが伝わってきますし、大きな喪失感を感じます。

 

清志郎と坂本龍一の共通点として私が思うのは、二人とも根っからの芸術家なんだなということ。きっと、そういったことがお互いが言葉にしなくても無意識の中で通じあってる二人だったんじゃないかな。そして、二人ともユーモアを忘れなかったし、とてもそれは大事なものであることを体現していたように思います。そして特に反戦については同じ意思をもっていたんじゃないかな。

 

かえすがえす、ほんとうに惜しい方をなくしてしまいました。まだまだやりたいことがいっぱいあったでしょうに。。坂本龍一さん、あちらの世界では是非清志郎との旧交を温めて、

「坂本君、いやーはやかったね。」「清志ちゃんが早すぎるんだよ(笑)、まあ、またよろしくね」なんて言葉を交わしていて欲しいなと思います。合掌。