南こうせつさん
と言えば、70年代フォークの象徴とも
いうべきグループ、
かぐや姫のリーダーにして、
誰もが知っている四畳半フォーク
最大のヒット曲の「神田川」を始め
数々の名曲を生み出した
偉大なシンガーソングライターです。
こうせつおいちゃん、
とてもユーモアに溢れていて、
加えて適度なエロさも
魅力でしたね(笑)。
神田川のイメージと真逆で
とても明るく、
吉田拓郎さんが「野の仏」で歌った
「笑ったような、
笑わなかったような?!」
表情がとても魅力的です(笑)。
あと、「妹よ」、コレも好きな曲です。
妹、いませんが、泣けてきます😅。
あの歌が思い出せない
さて、そんなフォークソングの
大家である南こうせつさんとも、
清志郎は縁がありました。
実はかぐや姫に曲を提供しています。
その曲は「あの歌が思い出せない」です。
作詞 忌野清志郎、作曲 武田清一
かぐや姫盤がこれです↓↓
RCサクセションでもレコーディング
していますが、
私この曲、3人時代のRCの楽曲の中でも、
大、大好きな一曲です。
この曲の特筆すべきは、
作曲の武田清一さんです。
武田さんは、フォークグループ
「日暮し」の中心メンバーですが、
デビュー前のRCサクセションの前身のバンド、
リメインダーズ・オプ・ザ・クローバーの
一員だった方です。
清志郎より1つ年上の、
中学の先輩でした。
清志郎は多くのことを、
武田さんから学んだんじゃないかな。
因みにRCサクセションのRCは、
このバンド名から受け継がれているわけです。
ザ・ベストテンで清志郎は、
黒柳徹子さんにバンド名の由来を聞かれて、
「あーる日、バンドを、さくせーしよう、
から、きました。」
と答えてましたが、あれは口からデマかせ
です😅😅。
そんなわけで、この「あの歌が思い出せない」、
清志郎作曲のレパートリーとは、
少し違った魅力を放っています。
因みにもう一曲、RCの曲で
武田清一さん作曲の作品が
「ありふれた出来事Part II」です。
これは二枚組の「マービー」に
収録されています。コレも良いんですよね〜!
元ジュン・スカイ・ウォーカーズの
寺岡呼人さんも
ライブでカバーしてました。
あなたの優しさが怖かった。。
ところで話は戻りますが、
神田川の作詞家、喜多條忠さんは
昨年お亡くなりになりましたが、
神田川の詩といったら、
♪ただ、あなたの優しさが、怖かった。。
の一節が、聞いた人の心に
ずっと残っているんじゃないかな。
この曲のとても重要な部分だと思います。
ささやかな幸せの中の、
「一縷の不安」とでも言いましょうか。。
神田川は73年の発売で、
その3年後、RCの「スローバラード」が
発売されます。
スローバラードには、
♪悪い予感のかけらもないさ
の一節があります。
神田川で歌われている「一縷の不安」など、
これっぽっちもない、と歌っています。
ただ、もしかしたら、
スローバラードも、
悪い予感のかけらもない、と、
敢えて言うことで、
神田川と同じように、
一縷の不安があることを
逆張り的に表現したかったのかも
しれません。
もともと、フォークとソウルバラードの違いや、
キーもEmとAと、全然違う雰囲気の曲では
あります。
時代の気分も70年代前半と後半では
変わって来てると思います。
でも、いずれの作品も、
とても素晴らしい詩だと、
感動ぜずにはいられません。
こうせつと清志郎、同じステージに立つ
さて、
89年の広島ピースコンサートには、
南こうせつさんと、ザ・タイマーズが
出演しており、
94年の「普賢岳災害救済スーパーバンド」では、
こうせつさんと清志郎、同じステージに立ってます。
このように、泉谷さんの両脇を、
こうせつさんと清志郎が固めるというこの構図、
とても貴重な瞬間だったと思いますね。
他にも素晴らしいメンバーが
たくさん集って行われていましたね。
日本のポピュラー音楽人たちの
輝ける記録と言えるんじゃないかな。
以上です。
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