忌野清志郎スーパースター烈伝
※2023年に投稿したブログに
一部加筆しています。
吉田拓郎編
昨年、音楽活動からの
引退を表明された吉田拓郎さん、
今年2月の
オールナイトニッポン55時間スペシャルで、
とてもとても元気なトーク(笑)を
篠原ともえさん、奈緒さんと
繰り広げてくれました。
でも、ものごころついた時から
ずっと必ず音楽界に存在して、
私たちの進む道を音楽で照らし続けて
くれていた吉田拓郎さんが、
現役として存在しない音楽界を、
私たちは初めてこれから
経験していかなければならない
状況となってしまい、
それはなんとも切ないことだと、
つくづく感じます。
さて、その拓郎さんですが、
忌野清志郎との交流は
案外多かったと思います。
勿論お二人とも長いキャリアを
お持ちだし、
デビュー時期が近いため、
まだ売れてない頃
いろんなライブの場で
一緒になったこともあったようです。
ただ、それとは別に、
二人は音楽の波長が
合ったんじゃないかな。
ディラン、ビートルズとソウル
吉田拓郎は、最近では
オールナイトニッポンGOLD最終回で
本人も語っていたように、
ボブディランの影響を
強く受けていたことは有名です。
また、ビートルズやR&B、
サム&デイブ、オーティス・レディング、
サム・クック、ウィルソンピケット
などの
ソウルミュージックにも
深く心酔していました。
そして、1980年リリースのアルバム
「Shangri-La」は、
自身初めての海外レコーディングを
アメリカの西海岸
Shangri-LAスタジオ
で行ったものですが、
プロデューサーには
ブッカーT&ザ・MG’S
(オーティス・レディングの
バックをやっていたバンド)の
ブッカーT・ジョーンズを
迎えています。
清志郎もMG'Sと日本で
ライブツアーをやってるし、
ギタリストの
スティーブ・クロッパーとは
曲も一緒に作っているし、
とても深い親交がありました。
こうしてみると、
やはり影響を受けている
音楽的ルーツが、
拓郎と清志郎では
共通している部分が多く、
お互いが其々のルーツを、
其々がやっている音楽から
感じ取れているところが、
二人のシンパシーにも
繋がっているんじゃないかな。
拓郎とのコラボレーション
ライブでの共演は、
まず思い浮かぶところでは、
泉谷しげるさんが主宰した、
1994年3月の
長崎・普賢岳噴火災害救済コンサート
ですね。
同じアルバムに
二人がそれぞれの曲を
提供しているものがあります。
ザ・モップスの1972年に発売された
「モップスと16人の仲間」ですが、
拓郎はあの有名な
「たどりついたらいつも雨ふり」、
清志郎は「マイ・ホーム」を
提供しています。
マイホームはRCサクセション
オフィシャル・ブートレク
「悲しいことばっかり」に
収録されています。
そして、拓郎の1998年発売のアルバム
「Hawaiian Rhapsody」には、
清志郎は「こころのボーナス」を
提供しています。
この曲のセルフカバーは、
リトルスクリーミングレビュー名義で
1999年に発売した
「冬の十字架」に収録されています。
それと拓郎さんのアルバムタイトル、
なんとセンスがいいじゃありませんか(笑)!
これ絶対、RCの名アルバム
「Rhapsody」が
ヒントになってるんじゃないかな?
↓拓郎さんバージョン
↓清志郎セルフカバー
テレビでは、キンキ・キッズが
吉田拓郎とMCを務めた
「LoveLove愛してる」に
清志郎がゲスト出演したこともありました。
そこで拓郎さん、清志郎のことを
「70年代の初期のころから、
とても独特な存在で、
楽屋に入ってくると
そこの空気が変わる」
とおっしゃってました。
番組全編の、
Kinkiの二人と拓郎、清志郎のやり取りの
聞き起こしがありました!
かなり面白いです🤣!
↓↓↓↓
また拓郎さん、
仲井戸麗市(チャボ)とも、
古井戸のデビュー当時は
エレック・レコードで
一緒だったこともあって、
旧知の仲だったようです。
音楽界の二人の革命児
拓郎と清志郎の共通点として
改めて思うのは、
二人とも音楽界の革命児で
あったことじゃないかな。
拓郎の偉業の一つは、
それまでのフォークを
よりポップなものへと
昇華させていったことが
挙げられるのですが、
その過程で守旧派にかなり
偏見や対抗心を
むき出しにされるなか、
自分の感性に正直な歌を
自分の信じる嘘のない歌を
世に出し続け、
いつの間にか自分の音楽が、
そして拓郎自身が、「時代」を
味方につけることになっていきました。
清志郎もほぼ同じ時期、
それまで誰も歌わなかった詩、
誰も演奏しないスタイル、
誰も聞いたことのないボーカルで
既成のフォークに
反抗し続けていたし、
エレキ化後はそれこそ
日本のポップシーンに、
本格的な日本語ロックで
殴り込みをかけ、
最初はキワモノとして扱われましたが、
見事に日本語ロックの
アイコンへと変貌し、
産業としてのバンドロックを、
成功の軌道に導いていきました。
やはりこの二人こそ、
日本のポピュラー音楽の
カリスマと言っていいと思いますね。
拓郎さんは引退し、
清志郎は無期限出張中ですが、
二人の残した作品は
永遠なわけで、
これからもより一層、
聞いていきたいし、
新しいファンも
生まれ続けることと思います。
以上です。
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