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昨年、音楽活動からの引退を表明された吉田拓郎さん、今年2月のオールナイトニッポン55時間スペシャルで、とてもとても元気なトーク(笑)を篠原ともえさん、奈緒さんと繰り広げてくれました!

 

でも、ものごころついた時からずっと必ず音楽界に存在していて、私たちの目の前の道を音楽で照らし続けてくれていた吉田拓郎さんが現役としていない音楽界を、私たちは初めてこれから経験していかなければならない状況となってしまい、それはとても切ないことだなぁとつくづく感じます。

 

さて、その拓郎さんですが、忌野清志郎との交流は案外多かったと思います。勿論お二人とも長いキャリアをお持ちだし、デビュー時期が近いため、まだ売れてない頃いろんなライブの場で一緒になったこともあります。ただ、それだけではない、やはり波長があうところが二人にはあっんじゃないかな。

 

吉田拓郎は、最近ではオールナイトニッポンGOLD最終回で本人も語っていたように、ボブディランの影響を強く受けていたことは有名です。また、ビートルズやR&B、サム&デイブ、オーティス・レディング、サム・クック、ウィルソンピケットなどのソウルミュージックにも深く心酔していました。

 

そして、1980年リリースのアルバム「Shangri-La」は、自身初めての海外レコーディングをアメリカの西海岸Shangri-LAスタジオで行ったものですが、プロデューサーにはブッカーT&ザ・MG’Sオーティス・レディングのバックをやっていたバンドでもあります)ブッカーT・ジョーンズを迎えています。清志郎もMG'Sと日本でライブツアーをやってるし、ギタリストのスティーブ・クロッパーとは曲も一緒に作っているし、とても深い親交がありました。

 

こうしてみると、やはり影響を受けている音楽的ルーツが、拓郎と清志郎では共通している部分が多く、お互いそういったことをそれぞれがやっている音楽から感じ取れているところが、二人のシンパシーやお互いのリスペクトに繋がっているんじゃないかなぁ。

 

 

ライブでの共演は、まず思い浮かぶところでは、泉谷しげるさんが主宰した、1994年3月の長崎・普賢岳噴火災害救済コンサートですね。

 

 

 

 

 

同じアルバムに二人がそれぞれ曲を提供しているものがあります。ザ・モップスの1972年に発売された「モップスと16人の仲間」ですが、拓郎はあの有名な「たどりついたらいつも雨ふり」、清志郎は「マイ・ホーム」を提供しています。マイホームはRCサクセション オフィシャル・ブートレク「悲しいことばっかり」に収録されています。

 

 

 

そして、拓郎の1998年発売のアルバム「Hawaiian Rhapsody」には、清志郎は「こころのボーナス」を提供しています。この曲のセルフカバーは、リトルスクリーミングレビュー名義で1999年に発売した「冬の十字架」に収録されています。

 

ところで拓郎さんのアルバムタイトル、なんとセンスがいいじゃありませんか(笑)!これぜったいRCの名アルバム「Rhapsody」がヒントになってるんじゃないかな?

 

↓拓郎さんバージョン

 

↓清志郎セルフカバー

 

 

テレビでは、キンキ・キッズ吉田拓郎とMCを務めた「LoveLove愛してる」に清志郎がゲスト出演したこともありました。そこで拓郎さん、清志郎のことを「70年代の初期のころから、とても独特な存在で、楽屋に入ってくるとそこの空気が変わる」とおっしゃってました。

 

また拓郎さん、仲井戸麗市(チャボ)とも、古井戸のデビュー当時はエレック・レコードで一緒だったこともあって、旧知の仲だったようです。

 

 

 

拓郎と清志郎の共通点として改めて思うのは、二人とも音楽界の革命児であったことじゃないかな。

 

拓郎の偉業の一つは、それまでのフォークをよりポップなものへと昇華させていったことが挙げられるのですが、その過程で旧勢力にかなり偏見や対抗心をむき出しにされるなか、自分の信じること、自分の信じる嘘のない歌を、世に出し続け、いつの間にか拓郎の音楽が、そして拓郎自身が、「時代」を味方につけることになっていきました。

 

清志郎もほぼ同じ時期、それまで誰も歌わなかった詩、誰も演奏しないスタイル、誰も聞いたことのないボーカルで世の中に反抗し続けていたし、エレキ化後はそれこそ日本のポップシーンに、本格的な日本語ロックで殴り込みをかけ、最初はキワモノとして扱われましたが見事に大衆の支持を一手に集めるカリスマへと変貌し、バンドロックを産業としての成功に導いていきました。

 

やはりこの二人こそ、日本のポピュラー音楽のカリスマと言っていいと思いますね。

 

拓郎さんは引退し、清志郎は無期限出張中ですが、二人の残した作品は永遠なわけで、これからもより一層、聞いていきたいし、新しいファンも生まれ続けることと思います。

以上です。