アントニオ猪木が亡くなりました。

この喪失感はなんだろう。とてつもなくデカいこの喪失感。。


今までも多くの昭和のヒーローを見送ってきました。ジャイアント馬場、美空ひばり、石原裕次郎、本田宗一郎、手塚治虫、渥美清、高倉健、水島新司、忌野清志郎、、


そして猪木。燃える闘魂、アントニオ猪木、あなたもですか。。



39年前の元日に放送されたアントニオ猪木に清志郎が肩車されながら「つきあいたい」を歌うRCスタジオライブ映像(NHK教育TVYou」)を昨年初めて見ました。ロックとプロレスの過激なコラボレーションです。


清志郎と猪木って、一見関係なさそうで実は結構共通点があるなと今更ながら思いました。


一つは、この頃は清志郎も猪木も間違いなく時代を代表するアイコンで、エンタメ界の主役だったと思います。


もう一つは、その過激さ!過激なプロレスと言えば猪木の代名詞で、新宿伊勢丹前でのタイガージェットシンとの乱闘や、リングでシンの腕の骨をへし折ったり、異種格闘技戦に心血を注いだり、とにかく既成の枠を超えてました。北朝鮮との外交も、誰もなし得ない「過激な外交」を体現していたと思います。


清志郎もタイマーズでのイベントへの乱入やゲリラライブ、夜のヒットスタジオでのFM東京事件、そして何よりインディーズから発売した「不死身のタイマーズ」の内容の過激さといったら過激を通り越しちゃってますよね!

一線を越えることが目的になってると感じるくらいです。2人ともその過激さの徹底ぶりは凄すぎます。


でも、とてもびっくりしたのですが、猪木さん、病床についてから「4回死のうと思ったが死ねなかった。」と発言しています。衝撃でした。でも、消えつつある最後の生命の炎を燃やして、私たちに最後のメッセージ、映像を届けてくれたのだとおもいます。本当に辛かった事でしょう。いまは心からゆっくり休んで下さい。合掌