友部正人さん


清志郎より一つ歳上のフォーク・シンガーです。

友部正人さんについてはあまり詳しくない

のですが、

気になったのは、清志郎から12弦ギターを

譲ってもらったことがあるという点です。


以下は友部さんご本人のblogの引用です。


〜「気球に乗って」も 12弦ギターを弾いて歌いました。実はこのギターは忌野清志郎さんからずいぶん前に譲ってもらったギターです。 清志郎さんが亡くなった時はニューヨークにいました が、突然のニュースに信じられない気持ちでした。〜




想像でしかありませんが、70年代、RCサクセションがロックバンド編成となる前、3人のアコースティックグループとしてハード・フォークをやっていた頃、様々なイベントにRCも参加していたので、そう言った場で清志郎は友部さんと知り合って気脈を通じていたのかもしれません。


ただ、そんなに親しい関係でもなかったかもしれません。再度友部さんのblogを引用します。



寺岡呼人くんのシリーズ化されているイベント、ゴールデン・サークルを聞きに行きました。会場は渋谷公会堂のすぐ近くのAXというところでした。


呼人バンドの後、ゆずと斉藤和義くん、そして忌野清志郎くんでした。


今回のゴールデンサークルは盛り沢山でしたが、清志郎くんばかりが 目立って、忌野清志郎サークルでした。どうして人のコンサートを自分のコンサートにしてしまうのでしょう。これからは清志郎くんが出るゴールデンサークルは聞きに行かないことにします。〜



なるほど、友部正人さんにはそう映ったのでしょう。確かに清志郎が出演するということは、

自然の摂理のように、大概全部持っていってしまうかもしれませんよね(笑)。


これはむしろ予見できること、として捉えるべきかな。寺岡呼人さんもそれは百も承知だったと思うし、清志郎に忖度を求めるなんて、誰が考えても不可能ですから😅😅。


清志郎はどんな場所でも、どんなシチュエーションでも、お客さんが少なくても、必ず全力を尽くす人ですからね。


そう言う意味でも清志郎と友部さん、あまり相互理解のある、近い存在ではなかったように思えます。


ただ、親交が長く、自分をリスペクトしてくれていてイベントのメインとして招聘もしてくれる寺岡さんに対し、寺岡さんの心境を代弁してあげたい気持ちが友部さんにあったのかも。。

それと、もしかしたら寺岡さんと清志郎の強い関係性を、友部さんはご存知なかったのかもしれませんね。



さて、寺岡さんもそうなのですが、
単なる偶然なのか、友部さんは清志郎と親しい関係のミュージシャンとのコラボが多いように思います。

◆どんと
例えば、どんと。共作していますね。
『かわりにおれは目を閉じているよ』という曲です。友部さん、「soul of どんと」にも出演されています。




◆藤井裕
関西コネクションなのか、藤井裕さんとも
親交がありました。藤井さんはLSRやラフィータフィーで清志郎と組んでました。

藤井裕さんのソロアルバム発売を記念したライブに、友部さん、駆けつけています。
このアルバムには、裕さん曰く「友部さんの詩に
勝手に曲をつけた」という「港の話」が収録されています。

友部さんって、詩人でもあるので、出版されている友部さんの詩に裕さんが曲をつけたということなのかな?

◆リクオ
リクオさんは、デビュー前、渋谷ジャンジャンで友部さんのサポート・ピアニストを務めたそうです。その際、チャボ(仲井戸麗市)も出演したそうで、清志郎もそのライヴを見に来ていたというエピソードをリクオさんが紹介しています。

ここでも友部さんと清志郎、直接会ってはいないかもしれませんが、なんか近い感じがします。




◆三宅伸治
そしてなんとこの方、三宅伸治さんとも、とても良い関係のようです!


それと、鮎川誠さんを含めたトリオでも、




他にもYO-KINGさん、大島賢治さん(元2’3s)

など清志郎と関係の強い方で、友部さんをリスペクトする方ってとても多いような印象です。


友部さんは、その楽曲を聞いてみるととてもボブ・ディランに影響を受けた方だと分かります。

アイ・シャル・ビー・リリーストをカバーしていたりもします。

清志郎もアルバム「コブラの悩み」の一曲目でこの曲をカバーしています。勿論、替え歌で。


12弦ギターの逸話が残っていること、

これだけの清志郎と共通の音楽仲間がいること、

などからも、きっと2人には共鳴する何かが、

2人の間に横たわっていたんじゃないかな。

以上です。



友部正人編

番外編・エイト・ジャム

どんと編

どんと編