今年ももう9月ですが、9月はRCサクセションの「九月になったのに」とサザンオールスターズの「夏をあきらめて」を思い出します。


3人時代のRCは、暑苦しい夏はさっさと消えてくれと歌ってます。逆に行く夏を惜しむ健全な精神の代表曲が、「夏をあきらめて」じゃないかな。





方や、行き詰まった出口の見えない陰鬱な青春をおくる若者を歌ってるイメージ、こなた、青春の夏の1ページを感傷に浸りながら綴っている若者を歌ってるイメージです。


やはりRCとサザンは水と油かな、ともとれますが、実は清志郎と桑田佳祐、信頼関係で結ばれていたんじゃないかな⁈


清志郎と桑田との重要な接点としては80年代に3つ思いつきます。


1983真駒内競技場での対バン


1986年桑田プロデュース「メリークリスマスショー」での共演


1988年桑田が「カバーズ」レコーディングへ参加


❶の顛末は清志郎本人が綴った「忌野旅日記」に詳しいですが、当時清志郎は桑田を「案外かわいい奴だな」と思ってたようです。一方桑田はライブではRCに完敗したと感じたようです。




この頃と言えば、サザンも「チャコの海岸物語」、前述の「夏をあきらめて」や「匂艶ザナイトクラブ」とヒットを連発してノリに乗ってた頃です。「YaYaあの時代を忘れない」というバラードの名曲もヒットしてたかな。


しかし、桑田曰くサザンは完敗だったと。。RCの当日のセットリストを見た時に思ったのですが、これがまた大ヒットナンバー(正確に言えば大人気曲😅)を次々と惜しげもなく繰り出しており、マジにサザンを潰しにきてるな、と思っていました。😅


そうなると百戦錬磨で叩き上げのKing of Liveに対しては、流石のサザンも全く歯が立たなかったということなのかな。


清志郎が旅立った後、新聞のコラムで原坊も、「あの日、桑田は舞台の袖で悔し涙を流していた」と書いてたように記憶してます。


そう言えば、「生卵」に、桑田が清志郎について書いたエッセイが載ってるのですが、そこでは高校生の頃、自分の姉の気を引こうとしていた姉の男友達に清志郎を重ねていました。その男友達にもくらい負けだったようです😅。でも同時に大人っぽさも桑田少年はその男友達に感じてたみたいな事が書いてありました。





1986年のこれも有名な共演です。確か「セッションだ!」という曲で2人で暴れて、山下洋輔さんの弾いていた高額なピアノに水をかけてダメにしてしまったという逸話が残っています。桑田は、真駒内の仇を日テレで取ろうとしたのかな😅。。因みに87年も清志郎は出演していて、第九を歌ったと記憶してます。





❸そして「カバーズ」です。親友の三浦友和坂本冬美山口冨士夫などがレコーディングに参加しています。泉谷しげるも盟友なので参加してますが、この路線には反対を表明し、清志郎とは口論となったようです。またRCの大ブレイクに手を貸してくれた糸井重里なども首をひねってた方じゃないかな。。


そのようないつもと違うアルバムなのですが、桑田はレコーディングに駆けつけてくれてます。クレジットでは「Kuwatake Isuke」となってますが、「バラバラ」と「サント・ワ・マミー」にコーラスで参加しています。




他にも2人には共通点がいくつもあります。


・生まれ育った土地の風景が重要な背景となっている曲があります。国立、甲州街道、たまらん坂、中央線、湘南、えぼし岩、江ノ電、鎌倉etc


人間や社会を風刺した曲が結構あるように思います。


エロチックでキワドイ詩も多いですよね。持ち味と言っても過言ではありません。桑田の方がより直接的かな😅


2人ともユーモアを忘れていません!


・テレビでは出禁覚悟のパフォーマンスを繰り広げました。清志郎は夜のヒットスタジオ、桑田は紅白歌合戦でしょうか



他にもまだまだ沢山ありそうです。

しかし、これがやっぱり最強の共通点じゃないかな(笑)?↓↓↓


清志郎は、77年から78年にかけて、「栗原清志とオールスターズ」を名乗ってライブ演ってました。オールスターズ繋がりか⁈😅


https://youtu.be/QXdhfs2YNI4




RCの再結成はないですけど、サザンにはストーンズのように生涯現役を貫いてほしいと切に思いますね。

以上です。