忌野清志郎スーパースター烈伝
(2024年1月の投稿に加筆しています)
春日博文さん(通称:ハチ)
70年代に『カルメン・マキ&OZ』の
リーダー、ギタリストとして大活躍され、
3枚のオリジナル・アルバムを発売、
ライブでも大成功しています。
特に1stアルバムの
『カルメン・マキ&OZ』は
当時のロック・アルバムとしては
異例の大ヒットを遂げ、
特に収録曲の『私は風』
(作曲:春日博文)は人気が高く、
多くのフォローワーを生み出しました。
中森明菜もカバーしてたかな。
CMにも使われていました。
因みに2020年にカルメン・マキ&OZは
再結成ライブを行なっています。
春日さん、清志郎より学年は二つ下ですが、
18歳でカルメンマキ&OZに参加、
22歳でロスでアルバム「閉ざされた町」の
レコーディングを行うなど
その実力は只者ではありません。
音楽の才能に加えて、
かなりの胆力をもってる方なのだと思います。
また、清志郎とCharの交流が始まったのも、
春日さんとカルメン・マキとの繋がりが
あったからだと思います。
でも、春日さんの通称「ハチ」って、
多分、「お富さん」の春日八郎さんから
きてるんじゃないかと(笑)。
そんな春日さん、
RCサクセションを語るうえで
最重要人物の一人と言っても
いいんじゃないかと思います。
このあたりのいきさつなど、
以下に詳しいので是非ご参考ください。
↓↓↓↓
RC立て直しに剛腕を発揮?
春日さん、
5人組のロック・バンドとして
生まれ変わった
新生RCサクセションの
生みの親ともいえる方だと
思います。もしくは、
バンドに化学反応を起こさせる
触媒の役割を果たした方とも言えそうです。
もともと、3人時代の頃から
RCのライブを見ていて、
とてもRCのことを気に入っていたようです。
しかし、何年か後に見たRCのライブに、
かなりショックを受けたようです。
その頃は、リードギターの
破廉ケンチさんが脱退、
清志郎がエレキを弾くなど
バンドのエレキ化を
図っていたのですが、
なかなか上手くいかない時期で、
春日さんにしてみれば、
「なんで、俺の好きなRCが
こんなになっちまってるんだ。。」
と思ったようです。
タイミング的に、OZが解散した
直後だったということもあり、
春日さんからRCに近づきました。
そして、清志郎たちに四の五の言わせず、
妥協を許さない姿勢で、
自分の理想にRCを近づけようと行動します。
春日さん的には、
「いつやるの?今でしょ」
だったんじゃないかな。
清志郎も、春日さんと出会うまでは、
自分に矢印を向けることをせず、
上手く行かない理由を周りに求めがち
だったと思うのですが、
春日さんがある時突然RCのライブを
見にきて楽屋に押しかけ、
RCの曲は知ってるから
ギターを弾かせてくれ、
と清志郎に訴え、
後半に飛び入りで参加することに
なったそうです。
この時の演奏に、
清志郎も相当衝撃を受けたそうで、
これがキッカケで、清志郎の中の何かが
変わり始めたんじゃないかと思われます。
BABY A GO GOにおける苦悩
春日さん、1978年に
ギタリストとして正式にRCに参加します。
活動期間は1年程度と短かったのですが、
新生RCのセットアッパーとして
多くの種をまいてくれたのだと思います。
因みに1990年には、
新井田耕三さん脱退後、
ドラマーとしてRCに再び加入し、
ライブでも叩いています。
奇しくもエレキ化後のRCの初めと終わりの
場に大きく関わった方と言えます。
そのようなRCにとって
最大のキーマンである春日さん、
他にもRCや清志郎とは
多くの仕事を残しています。
1985年には、
チャボの『THE仲井戸麗市BOOK』、
1990年はRCの
『BABY A GO GO』を
プロデュースしています。
「レコード・コレクターズ2021Vol40」の
インタビューで、
春日さんはBABY A GO GOの
プロデュースについて
”慚愧に堪えないところがあります”
と話されています。
これはあくまで自分に矢印を
向けての発言で、
〜自分がもっと優れた
プロデューサーだったら、
もっとバンドを温かく包み込んだうえで、
よい方向に
持って行けたかもしれないが、
そうできなかった。。〜
ということのようです。
しかし、当時の状況はかなり厳しく、
プリプロなし、
日程まずありきのレコーディングに
強硬突入、
メンバー間の亀裂、脱退、
外国人エンジニアとの
コミュニケーション不全、
etc…
一つのバンドとしての作品を
作り上げるには、
相当厳しい状況だったようです。
このような状況でプロデュースを
引き受けてくれるのは、
もはや、春日さんしかいなかったのかも
しれません。
ただ、Baby a go go、
結果的にはRCを代表する
素晴らしい作品に仕上がったと思うし、
評価も高く、
このアルバムを支持するファンは
とても多いと感じます。
また、春日さん、
他にもRCサクセションの
曲づくりにも参加しています。
『DRIVE』 (ハートのエース)
作詞・作曲:忌野清志郎 春日博文
『すべてはALLRIGHT(YA BABY)』
(ハートのエース)
作詞・作曲:忌野清志郎 春日博文
『忠実な犬(Doggy)』(BABY A GO GO)
作詞:忌野清志郎
作曲:忌野清志郎 春日博文
が代表曲だと思います。
ウクレレと『ムーンビーチの砂の上』
清志郎がカルメン・マキに提供した曲でも
共作しています。
『ムーンビーチの砂の上』(UNISON)
作詞・作曲:忌野清志郎 編曲:春日博文
この曲を収録したアルバム「UNION」は、
春日さんがプロデュースしています。
この曲の清志郎のセルフ・カバーは、
清志郎のふぁんくらぶ会員への
プレゼントで配られたCDに収録されています。
春日さん、韓国での活動を
ひと段落をつけて、
日本での活動を再開し、
2018年に発売した
アルバム「独りの唄」にも
『ムーンビーチの砂の上』は
収録されています。
このアルバム「独りの唄」も、
なかなか味があります。
ウクレレをフィーチャーした
アコースティックなアルバムで、
清志郎のアルバム「KING」に
収録されている
『約束』も収録されています。
そういえば、春日さんが
ウクレレを弾くようになったのは、
清志郎がアルバム「OK」の
レコーディングでハワイに行った時、
お土産としてウクレレを春日さんに
渡したことが
キッカケのようです。
また、『ママ』という曲が
収録されています。
この曲、春日さん自身の
小学校時代のことを
歌った曲のようなのですが、
この曲を聞くと、なんとな~く、
直感的にですが、
春日さんと清志郎、とてもウマがあったのが
分かるような気がしてきますね(笑)。
因みにアルバムの何曲かはSpotifyでも
聞くことができます。
春日さんって、多分、清志郎にとっては、
恩人であり友達であり
よき理解者でもあったんじゃないかな。
そして困った時は駆けつけて
手を貸してくれるかけがえのない存在。。
そして、清志郎はとても強運な、
天から選ばれた人、だったんだと思います。
でなければ、
春日さんのような方と
巡り会うこともなかったんじゃないかな。
以上です。
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