最近、吉田拓郎がオールナイトニッポン55周年記念イベントに出演したことを書かせて頂きました。拓郎がそこで語った話の中で、フォーライフレコードでの社長業は今考えても全く自分らしくなく、やりたくないことをやってしまったと話していましたが、そのフォーライフのキーマンの一人が井上陽水です。


というか、「フォーライフ」とは、4LIFEの意味も込めていて、4(フォー)とは、小室等、吉田拓郎、井上陽水、泉谷しげるの4人のことだと聞いたことがあります。小室さんに誘われた拓郎が、「陽水も参加するのなら俺も参加する」と、自分の参加の条件として井上陽水を名指ししたらしいですね。

 

この頃の陽水は、「氷の世界」が日本で初めて100万枚をセールスしたLPとなり、飛ぶ鳥を落とす勢いでした。

 

 

ちょっと以外な印象を受けますが、当時陽水が所属していたのが芸能プロダクション大手のホリプロでした。そこで出会い、その後もずっと親交が続いた盟友が同じホリプロ所属の

RCサクセションの忌野清志郎でした。

 

二人の出会い後、最初はRCの「ぼくの好きな先生」がスマッシュヒットし、またテレビ神奈川の番組でレギュラーを持ったこともあり、ライブではRCの前座を井上陽水がすることがありました。しかしその後は陽水が頭角を現しヒットを重ねていったので、陽水の前座をRCが行うという逆転現象が起こっています。

 

まだ二人が暇なとき、清志郎の部屋で一緒に作った曲が「氷の世界」に収録されている「帰れない二人」と「待ちぼうけ」です。特に「帰れない二人」はシングル「心もよう」のB面で、その後もよく二人で演奏しています。


清志郎は貧乏暮らしの中で幸運にも当時のギャラに比べれば遥かに大金の印税収入を手にすることとなり、確かハモンドオルガンを買ったんじゃなかったかな。ここでしっかり楽器を買って自分に投資するところなんて、さすが清志郎だと思います。

 

 

 

その後陽水は、ホリプロのマネージャーが独立し立ち上げた会社に移籍、レコード会社もポリドールからフォーライフに移籍、一方同じホリプロのマネージャーだったRCは同マネージャーの独立騒動に巻き込まれホリプロに干され、せっかくレコーディングした力作「シングルマン」の発売も目途がつかなくなりました。

 

RCはようやく契約期間終了によりホリプロから離れ、陽水が移籍した事務所「りぼん」に移籍、「シングルマン」はポリドールから発売されます。その後陽水を育てた多賀英典氏がポリドールから独立して立ち上げたキティレコードに移籍します。

 

 

清志郎は、若い頃は相当ホリプロを恨んでいたと思います。そりゃそうです、散々辛酸を舐めさせられたわけですから。


でも考えてみれば、ホリプロに入らなければ、井上陽水との出会いもなかったかもしれないし、陽水が移籍した事務所にRCも移籍しなければその後の大ブレークももしかしたらなかったかもしれない。。


もしもなんて考えてもそれはくだらない事だけど、人間万事塞翁が馬、捨てる神あれば拾う神あり、成功を夢見て努力を続けていればきっと何かが起こるという好例なんじゃないかなと私は感じます。

 

 

陽水との共作の「帰れない二人」、RCサクセションでは「指輪をはめたい」という曲になって、RCのアルバム「OK」で聞くことができるし、「ラプソディーネイキッド」ではさらにライブ盤のフルバージョンで聞くことができますが、これがまた圧巻で感動の嵐です。

 

 

 

 

 

 

ホント、陽水と清志郎って、一見、交わることがなさそうなアーティスト同士なのに、現実ってホントに面白いなとつくづく思います。以上です。