長渕剛清志郎


共に同じ1980年に大ブレークし、 そして80年代はそれぞれの音楽 性とカリスマ性とマスメディア

への露出によって、類まれな存在に上り詰めて行きます。 


長渕さんは1956年生まれで1977年デビュー、 清志郎は1951年生まれ 1970 年デビューなので、

清志郎の方が年齢も芸歴も先輩にあたりますが、世の中に広く知られたのは清志郎は29歳の時なので、長渕さんに比べるとやや遅咲きと言えそうです。 


時代を代表する二人なので、きっと何かの接点があったんじゃないかな、と思い「検索ちゃん」 してみたら、やはりありましたね〜、嬉しいことに!




1980年8月23日の、 長渕剛の「オールナイトニッポン」 に、 清志郎とチャボが出演していました!




聞くと分かるのですが、 この生放送当日の23日に、 RCサクセションはライブ を予定しています。それが武道館で行われた 「ポップンロール300%」です。 出演者はRCサクセション、シーナ&ロケット プラスティックスの3組です。 そして、このライブで清志郎は、「こんな狭いライブハウスははじめてだぜ!」という名セリフを発します。 





のちに BOOWYの氷室京介さんが放った「ライブハウス武道館へようこそ!」 は、 清志郎のこの言葉へのオマージュでは?という説もあるくらい、ファンの間では 有名な名セリフなのですが、 その言葉を発した歴史的なライブなんですね、なんか、歴史の 再検証をしてる気分になりました(笑) 




その後二人はライブなどで共演したという話も聞いたことがないのですが、 実はこのオー ルナイトニッポンの放送のちょっと前の8月9日、私の地元静岡市の「日本平」 (そう、J 2清水エスパルスのホームスタジアム「IAIスタジアム日本平」があるところです)で、「HOT JAM'80」 が行われており、 RCサクセションと長渕さん、 出演しています。 




ただ、このオールナイトニッポンの放送を聞くと、「先日はどうも〜お疲れ様でした!」 みたいな話は出てきませんね。 また、長渕さんからしてみれば、この時はロックバンドのRCサクセションという認識より、 RC の 「僕の好きな先生」 や、 古井戸のフォーク的な側面 の認識がまだまだ強かったという印象です。古井戸とは、ラジオ関東の番組で一緒だったと も話されてます。 




さて、もう一つ指摘しておきたい、 長渕さんと清志郎との間接的な接点があります。 長渕さ んの1983年発売の名アルバム 「HEAVY GAUGE」 の1曲目に、 「Don't Cry My Love」 が収録されていますが、 この曲の作詞は長渕さんともう一人、吉見佑子さんがクレジットさ れています。




この方、 DJであり音楽評論家であり作詞家でもある方なのですが、 RCファンの中ではなんと言っても「シングル・マン再発売実行委員会」の代表者としてとても有名な方で、 RCを語る上での最重要人物の一人です。


きっと、長渕さんの曲の作詞をする中で、 吉見さん、 自分の大のお気に入りのRCの名アル バム「シングルマン」のことを長渕さんにも紹介し、共通の話題となったんじゃないかな。 一説には、長渕さん、シングル・マン収録の「スローバラード」をいたく気に入ったという 話がありました。 


振りかえれば長渕さん、この 「HEAVY GAUGE」 からロック色を強めていったように 思います。 

シングル・マンも、 RC3枚目のアルバムにして、初めてエレキ化したサウンド を前面に押し出したアルバムでした。 ホーンセクションもアメリカのバンド「タワー・オブ・ パワー」 を起用しています。 


また、スローバラードですが、作詞は清志郎と 「みかん」という方がクレジットされていま す。 みかんさん、当時の清志郎の恋人のようです。単なる偶然だと思いますが、 Don't Cry My Love もアーティスト本人と、他の女性 (吉見さん) との共作の詩、 ということになりま す。 当時別れることになった、 石野真子さんとのことを歌っているとの説を読んだことがあります。 


(みかん🍊さんについては、コチラ↓↓)



スローバラードも、詩の中には直接的な表現は出てきませんが、 恋人との別れの予感の切なさを含んでいるのではないかといった解釈が、 吉見さんのものだったように記憶しています。


そして、アルバムタイトルの 「HEAVY GAUGE」 ですが、 清志郎もチャボもこの当時はよ く「ぶっとい音」への拘りを話していました。 それはRCを脱退したギタリスト小川銀次さ んのギターの弦がとても細いこととの対比で使われることもありましたね。 長渕さんも「ぶ っとい音」への拘りをタイトルに込めたのだと思います。 これは、 従来のフォークシンガー とは違うイメージを打ち出そうと考えてのことかもしれません。 





80年という時代は、みんながロック、バンドサウンドを目指したと思います。 RCしかり、 オフコースしかり、 アルフィーしかり、 吉田拓郎しかり。 松山千春もハンドマイクで「長い夜」 を歌ってましたしね。 


いずれにしても、その音楽キャリアの中で交わる機会は殆どなかった二人ではありますが、 こういったエピソードを発見すると、とてもその時代の空気感が、決して古びることな く新鮮に伝わってくるので、嬉しい限りです。 以上です。