ゲロッパ!
動くジェームス・ブラウンに、リアルタイムで最初に出会ったのは、映画「ロッキー4」でした。
共産主義国ソ連の象徴で、殺人マシーンのようなドラコを前に、自由の国アメリカの象徴のようなJBが思い切りThis Is Americaを体現するかのように歌うパフォーマンス、とても印象的で好きなシーンです。
映画「ブルース・ブラザーズ」を見たのはその後なのですが、こちらではジェームス神父として歌ってましたね。
清志郎は。その著者「瀕死の双六問屋」に、
JBのアルバム
「Say It Loud, I’m Black & Proud」を紹介しながらキング牧師暗殺後のアメリカの空気感を書いています。
そしてなんと清志郎は、雑誌の対談でJBと対面しているのですが、その時のエピソードがまぁ振るってます😆。
JBはその時ことのほか上機嫌で、清志郎が見せた自身のシングルレコード「ステップ」を見て、
「僕の若い頃にそっくりじゃないか!」といたく気に入り、「Soul Brother No.2 」とサインしてくれたそうです。それはそれは清志郎、大喜び大はしゃぎだったそうです😆。
翌日、JBのライブの楽屋を訪ねていったら、サインをもらった時もJBの横にいた大柄で屈強そうな黒人のボディーガードが出てきて、「お前なんか知らない、さっさと帰ってくれ」と全く相手にされなかったそうです😅。
その後、判明した事実としてJBはサインを書く時は相手が誰でも必ず「Soul Brother No.2 」と書くという事を清志郎は知ったそうです😅😅😅。
そんなつれないJBだったのですが、清志郎は2003年発売のアルバム「KING」発売以降のライブではJBの専売特許である「マント・ショー」を必ずやるようになります。曲は「Baby何もかも」ですね。
元祖JBのマントショーはこんな感じです。
清志郎のマント・ショーはこんな感じです。
進化系の「ふとん・ショー」もありました😅!
RCの1983年渋谷公会堂ライブでもやってましたが、本格的にやり始めたのは、やはり2003年からじゃないかと思います。
こういったところからも、清志郎の黒人ソウルミュージックへの傾倒とリスペクトが感じられるし、ライブでは常にお客さんを喜ばせようというサービス精神とちゃめっけがいいな〜と思います。
以上です。