忌野清志郎スーパースター烈伝
(2024年10月の投稿を加筆しています)
少し前の話になりますが、今年も
「FUJI ROCK FESTIVAL'24」
が7月の3日間、
苗場スキー場で開催されました。
96,000人が来場したそうで、
中止となった2020年、
コロナ禍での開催となった2021年と
苦しい時期もありましたが
完全復活し、
大いに盛り上がったようです。
そのフジロックと言えば、
日高 正博さん抜きでは
語れません。
とても有名な音楽プロモーターで、
株式会社SMASHを設立した
元代表取締役社長の方です。
勿論フジロックは
この方が始めました。
そして、清志郎がフジロックの
象徴的存在になったのも、
この方なしでは語れないと思います。
🔷フジロックの清志郎
フジロックの第1回は
1997年ですが、
清志郎は
第2回1998年に
初めて出演しています。
この1998年、
フジロックに出演したことは、
清志郎にとっても大きな
転機だったんじゃないかな。
清志郎は1998年年初、
デビュー時から1975年迄の間と
84年以降、
ずっと所属していた東芝EMIを
去ることになります。
また、RCの活動停止後も、
新譜発売やツアーも
コンスタントに続けていましたが、
ファンからすると正直やや停滞感を
感じ始めた時期だったと思うのです。
そんな中、豊洲のフジロックに
初登場し、サンシャインラブを
歌ってる姿を見て、
KING OF ROCK、KING OF LIVE
の清志郎こそ、
フジロックのステージがとても
似合ってることに感動を
覚えたものでした。
清志郎に出演をオファーした
日高さんの卓越したアーティスト眼が
あったればこそなのでしょう。
その直後、
清志郎はパンク版「君が代」を
収録した問題作「冬の十字架」を
インディーズから発売、
日本のロックシーンの
話題のど真ん中に戻ってきます。
フジロックの清志郎出演は、
豊洲の1998年、
苗場に移った1999年、
そして
01年、02年、04年、05年と
続きます。そして清志郎が
旅立った年の09年は、
日高さんの呼びかけで、
チャボ、Char、泉谷しげる、
CHARA、UA、Leyona、
トータス 松本、
甲本ヒロト&真島昌利、
YO- KING、
浜崎貴司
などが1夜限りの
「スペシャル・ メッセージ・オーケストラ」
を急遽結成、
清志郎を追悼し、
終盤には生前のライブ映像と
当日の演奏をシンクロさせる
演出が行われ、
「キング・オブ・フジロック」
忌野清志郎が
「最後のフジロック出演」
を果たしました。
清志郎が旅立った時の
日高さんのメッセージです。
非常に、誠に残念です。
今年のフジロックに
BOOKER T. JONESに来てもらって、
もしかしたら清志郎くんが
飛入り出演してくれたらと
思っていただけに悲しいです。
日本のロック・シーン、
フジロックを支えてきてくれた
清志郎くん、ありがとう。
雨があがってもあがらなくても、
フジロックで会おうね。
さようなら。
スマッシュ 日高正博
そして、09年フジロックを
前にした日高さんのメッセージは、
前記の「フジロックで会おうね」
に繋がる言葉でした。
俺たちのロックスター清志郎は今、
ギターと一緒にサイクリングしながら
銀河の色んな星を
ソロツアーしていますが、
7月25日土曜の夜、
フジロック、グリーンステージで
彼のバンド
NICE MIDDLE
with New Blue Day Horns と
ロックン・ロー ル・ショーをやります。
この夜は彼の音楽友達も参加します。
そして皆さんと
歌って踊って大騒ぎ をして、
清志郎君の久々の凱旋公演を
楽しみましょう。
FUJI ROCK FESTIVAL 主催
SMASH 日高正博
🔷ROUTE 17 Rock'n'Roll ORCHESTRA
日高さんの発案で始まった
ロック・オーケストラです。
ザ・ルースターズのドラマー
池畑潤二さんを中心に、
やはりルースターズのギター
花田裕之さんや
フジロックに馴染みの
トップ・ ミュージシャンが
結集したバンド・オーケストラです。
梅津和時(A.Sax)さんも
名前を連ねています。
今年はトータス松本、
TOSHI-LOW(BRAHMAN/OAU)、
後藤正文(ASIAN KUNG- FU GENERATION)
などをゲストボーカルに迎えました。
チャボも常連で、
1番多く参加しています。
トータス松本やヒロト、
奥田民生も何度も出演してますね。
2014年はチャボが雨上がりの夜空に
を歌い大盛り上がり、
2018年は
奥田民生がスロ ーバラードを歌っています。
2022年は
忌野清志郎Rock'n'Roll FOREVER
with ROUTE17
Rock'n'Roll ORCHESTRA
feat.仲井戸麗市(なが(笑))
として、TOSHI-LOW中心の
エセ・タイマーズや、
常連以外にもUA、 GLIM SPANKY、
チバユウスケ、Char他
最多のゲストだったようです。
清志郎の数々の名曲が苗場を
駆け巡ったわけです。
🔷フジロック・オフシャルテーマソング『田舎へ行こう』
↓↓↓清志郎の長女、百世さんのイラスト
田舎に行こう、
この曲は日高さんから
清志郎に直接制作を依頼したそうです。
日高さん、キャンドヒートという
アメリカのバンドの曲、
『田舎へ行こう』を気に入っていたらしく、
キャンドヒート Going Up the Country
↓↓↓↓
そんな感じで作ってみてと
リクエストしたそうです。
清志郎としてはやや困惑しながらも
キャンドヒートを意識して作り、
曲のタイトルはそのままもらったようです。
忌野清志郎の田舎に行こう
また、日高さん、
インタビューで、
井上陽水さんの出演を
清志郎と二人で口説いた
エピソードを紹介してくれました。
日本のアーティストは
それまで同じお客さんしか
相手にしてないので、
どんな曲をやっても
お客さんは全部知っているという
安全な状況だと。
むしろ洋楽ファンも多い
アウェーでの演奏もするべきではと、
二人で勧めたようです。
陽水が清志郎に、
「じゃあ、何から演奏したらいいのかなぁ?」
と尋ねたところ、
「傘がないに決まってるだろ」
と清志郎は即答したそうです。
さすがです。
今年のフジロックも、
YMOに大きな影響を与えた
クラフトワークや、
オアシス再結成のニュースが飛び交う
ノエル・ギャラガーなど、
ヘッドライナーには
さすがフジロックといった
大物アーティストが出演しました。
インバウンドの増加も手伝い、
大規模ロックフェスは
更なる隆盛を極めていく予感がします。
日本ではCDの売上が
どんどん落ちていますが、
決して音楽ファン自体が
減少しているわけではなく、
むしろフェスなどを通して
本来の音楽の楽しみ方に
接する人は増えているのかもしれません。
日高さんにしてみれば、
「そういうことよ、気が付いてくれた?(笑)」と、
思ってるんじゃないかな。
そんな状況の中で清志郎だったら、
どんな方向性を示したのかな、
なんて思ってしまいますね。
以上です。
















