獄長日記 -7ページ目
さて、今日も英文電報を。
今日最初は、アジア歴史資料センター の『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/8 明治27年6月29日から明治27年7月2日(レファレンスコード:B03030205400)』から。
1画像目の・・・って、これ英文じゃ無ぇ・・・。(´Д`;)
幸い、4画像目に訳文があるので、そっちを見ていきましょう。
在日本ロシア公使ヒトロヴォから陸奥への、1894年(明治27年)6月30日付文書より。
朝鮮政府は、同国の内乱既に鎮定したる旨を公然同国駐箚の各国使臣に告げ、又清兵并日本兵を撤回せしむる事に付、該使臣等の援助を請へり。
因て、本官の君主たる皇帝陛下の政府は本官に命じ、日本帝国政府に向て朝鮮の請求を容れられん事を勧告し、且つ日本が清国政府と同時に在朝鮮の兵を撤回することに付故障を加へらるるに於ては、重大なる責に任ずべきことを忠告致候。
前陳の事を外務大臣閣下に申通すると共に、重ねて茲に敬意を表す。
日本に対しては、2月13日のエントリー の1894年(明治27年)6月18日付『第15号』で鎮圧通知されてたわけですが、諸外国に対しては、いつ通知したのかな?
とりあえず、朝鮮政府から内乱鎮定の旨が朝鮮駐箚の各国使臣に告げられ、清国兵と日本兵を撤兵させる事について、各国使臣の援助を要請した。
この時点で割と駄目駄目感が・・・。(笑)
兎も角、それによって、ロシア皇帝はヒトロヴォに命じて、日本政府に向かって朝鮮の請求を受け入れる事を勧告し、かつ日本が清国政府と同時に在朝鮮の兵を撤兵することに異議を申し立てるような事があれば、重大な責任を負うべきである事を忠告する、と。
つうか、朝鮮の撤兵請求の受諾勧告だけなら兎も角、何で同時撤兵に異議を申し立てただけで責任負わなきゃならんのだ?
5月2日のエントリー から始まるヒトロヴォとの対談や、
7月18日のエントリー の1894年(明治27年)6月29日付『機密第8号』、7月23日のエントリー の1894年(明治27年)6月29日発『電受第344号』とかの経緯、全部無視かよ。
喧嘩売られてますな、これ。
そりゃ陸奥も、この勧告拒否の関係について、『蹇蹇録(B03030023500の3画像目)』で「嗚呼、余は今に於ても当時の事情を追想するも、猶ほ悚然膚に粟するの感なき能はざるなり。 」とか言うっつの。
折角、「清国兵と日本兵を撤兵させる」って、朝鮮から援軍依頼で来たのに撤兵要求には応えないんか?って、面白いシチュエーションなのに。(笑)
さて、これを受けての取りあえずの動き。
同じく『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/8 明治27年6月29日から明治27年7月2日(レファレンスコード:B03030205400)』から。
5画像目の英文と6~7画像目の訳文を続けて見ていきます。
陸奥から西への、1894年(明治27年)6月30日発『電送第268号』。
Nissi, Petersburg
在日本露公使 brought me the following official despatch 六月三十日.
"Corean Government having officially informed foreign representatives in 京城 that insurrection has been suppressed already and having asked to assist them to effect the withdrawal of Chinese and Japanese troops, the undersigned has received command from His Majesty the Emperor to support the request of Corean Government by calling special attention of Japanese Government that they would assume a serious responsibility if they should put an obstacle to the simultaneous withdrawal of both Chinese and Japanese troops."
Reply to the above will be sent after cabinet decision and Imperial Sanction.
Main points of reply would likely be 1st insurrection has not yet been entirely suppressed.
2nd actual causes of insurrection still exist as proved by its recurrence a few days ago and it is naturally to be concluded that Russian Government was under misapprehension on this point.
3rd Japan's mission in Corea is entirely friendly and peaceful.
伊藤 and I are at one that Japan should never obey to the dictate of Russia.
Pending my informing you of exact reply to Russia, if there is necessity you may express in above sense as your own opinion.
Mutsu
在露西公使への電信訳 27年6月30日発
在日本露国公使は、6月30日左の公文を齎し本大臣へ交付せり。
朝鮮政府は同国の内乱既に鎮定したる旨を公然同国駐箚の各国使臣に告げ、又清兵并日本兵を撤回せしむることに付、該使臣等の援助を請へり。
因て本官の君主たる皇帝陛下の政府は本官に命じ、日本帝国政府に向て朝鮮の請求を容れられんことを勧告し、且つ日本が清国政府と同時に在朝鮮の兵を撤回することに付故障を加へらるるに於ては、重大なる責に任ずべきことを忠告致候。
前陳の事を外務大臣閣下に申通すると共に、重ねて茲に敬意を表す。
露暦
1894年6月30日
右に対する回答は、閣議決定勅裁を得たる上之を送るべしと雖ども、其要点は概ね左の如くなるべし。
第一.韓国騒乱未だ全く鎮定に至らず
第二.騒乱の起る原因は猶未だ鎮滅に至らず。而して其証拠には、数日前にも現に騒乱再発せり。故に露国政府は此点に就ては誤解したるものと云はざるを得ず
第三.朝鮮に於ける日本の目的は親交平和の外他意あるに非ず
伊藤伯と本大臣は同意見にして、則ち日本は決して露国の差図に従はざるべしとす。
露国へ対し確定の回答を閣下へ電報する迄に、若し必要の場合もあらば、閣下自己の説として以上の事を発言されても苦しからず。
前半部は、今回の冒頭でやったヒトロヴォからの公文の話。
で、これに対する回答は、閣議決定が勅裁を得てから送るだろうけど、その要点は以下の通り。
まずは、韓国の騒乱はまだ全然鎮定していない。
で、騒乱の起きる原因もまだ存在しており、その証拠に数日前にも実際に騒乱が再発した。
だから、ロシア政府はこの点については誤解したものと言わざるを得ない、と。
んー、騒乱再発の話は見てないんだけど、ハッタリなんだろうか?(笑)
3点目は、これまでも繰り返し述べられてきた、朝鮮での日本の目的は親交平和のほかに他意があるわけではない。
つうか、「日本が清国政府と同時に在朝鮮の兵を撤回することに付故障を加へらるるに於ては、重大なる責に任ずべきことを忠告 」されてますのでそれには触れず、それ以前の問題に対して事実誤認がある、って形を取ったんじゃないかなぁ。
こちらから積極的に、ロシアの軍事介入の口実を与えるわけにはいかないでしょうし。
で、伊東博文も陸奥宗光と同意見であり、日本は決してロシアの指図には従わないだろう、と。
もし、ロシアに対する確定した回答を電報するまでに必要になったら、西個人の説として3点について発言しても良い、と。
陸奥は『蹇蹇録(B03030023500の3画像目)』の中で、「当時の事態已に大に局面を変化推進し、仮令清国が朝鮮より其軍隊を撤去することありとするも、我は何の為す所もなくして我軍を撤去するを難しとするの事情あり 」と述べていますが、「大に局面を変化」したターニングポイントは、やっぱり所謂「第一次絶交書」と呼ばれる、3月6日のエントリー の1894年(明治27年)6月22日付『親展送第42号』と、5月8日のエントリー のヒトロヴォとの対談の中で、「清国が撤兵したら日本も撤兵すんの?」って言われた後の、「清国が日清協同で朝鮮改革の完結を担当することに同意した場合か、それを拒否するなら日本単独で朝鮮の独立を維持し、施政改良しようとするのを邪魔しない保証を与えろ」って言った時だろうなぁ・・・。
ってところで、今日はここまで。
日清戦争開戦まで(一) 日清戦争開戦まで(三十一) 日清戦争開戦まで(六十一)
日清戦争開戦まで(二) 日清戦争開戦まで(三十二) 日清戦争開戦まで(六十二)
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日清戦争開戦まで(三十) 日清戦争開戦まで(六十)
ねぶた祭りも、2日、3日と雨に見舞われ・・・。
まぁ、ハネトは雨程度じゃビクともしないわけですが、ねぶた本体と観光客は可哀想ですねぇ。
特に、観光客の方には楽しんでいって貰いたいのに。
ってことで、今日も30日発の英文電報の方を見ていく事にします。
前回 と同じくアジア歴史資料センター 『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/7 明治27年6月13日から1894〔明治27〕年6月30日(レファレンスコード:B03030205300)』の34画像目から。
元山の上野領事、かな?
から陸奥への、1894年(明治27年)6月30日発『電受第332号』。
Mutsu,
Tokio
It is rumored here that Corean Government made an agreement with China that Chinese soldiers will be stationed at two or three places of northern part of 咸鏡道 in order to defend Russian encroachments and also that Russian troops as the legation guard will be sent by overland route from Wladivostock.
Uyeno.
(Yonsan 25th through Eitaki)
内容的にやっぱり元山の上野領事からのものだと思うんだけど、何で龍山とか、Eitakiとか出てくるんだ?
7月14日のエントリー でも出てきてたけど、「Eitaki」って、誰よ?(笑)
永瀧久吉の事なら、この時期には在釜山総領事事務代理してたので、元山→龍山→釜山っていう経路か。
やっぱ、電信関係でまた何かあったんだろうなぁ・・・。(笑)
で、内容としては、こちらでは朝鮮政府がロシアの侵犯を防ぐため、咸鏡道北部の2~3ヶ所に清国兵を駐屯させる協定を清国と締結した一方、公使館保護のためのロシア兵が、ウラジオストックから陸路で派遣されるだろうという噂がある、と。
何か、7月7日のエントリー とか見ても、既に元山は別な世界にあるっぽいですねぇ・・・。(笑)
続いて35画像目。
天津の荒川領事から陸奥への、1894年(明治27年)6月30日発『電受第333号』より。
次の36画像目が訳文になってるんで、続けて見ていきます。
Mutsu
Tokio
Russian Minister stays at 天津 leaving per 肥後丸 for Russia via Japan and meet with Commissioner of customs at 天津 several times since 六月二十五日.
It is reported that he has suggested his Government to take good offices between Japan and China at the request of 李鴻章 and will leave here for Peking, if Russian Government accept his suggestion.
Arakawa
電信訳文
露国公使は天津に滞在し居れり。
肥後丸にて日本を経由し貴国の筈なり。
6月25日以来天津税務司と屡々会合せり。
聞く所に拠れば、同公使は李鴻章の依頼に応じて、露国政府の日清両国間に立て居仲周旋する事を其政府に建議し、而して同政府に於て其建議を採用せし場合には、北京に出向く筈なりと。
カシニー、まだ天津に居るようで。
で、6月25日から天津の税務司とたびたび会合し、聞くところでは、カシニーは李鴻章の依頼で、日清間の和睦周旋をロシア政府に建議し、それが採用されれば北京に行く筈、と。
この辺、これまでも何度か報告されてましたが、着日を考えると7月7日のエントリー の1894年(明治27年)6月28日発『電受第322号』に続く、第二報になんのかな?
次の37画像目からは以前やってますので、ちょっと飛んで42画像目。
小村から陸奥への、1894年(明治27年)6月30日発『電受第339号』より。
これまた43画像目が訳文になってますので、そっちも一緒に。
Mutsu
Tokio
王大臣 called upon British Minister 六月二十九日 and expressed their views on the situation taking care not to commit themselves.
They insist upon Japan's waiving the question of suzerainty and withdrawing troops as a preliminary step to negotiations.
I stated to British Minister that their withdrawal would neither facilitate subsequent negotiation nor remove danger of renewal of revolt.
Komura.
電信訳文
総理衙門王大臣は6月29日英国公使を訪ひ、朝鮮事件に関し深く言辞を慎み、其の意見を陳述し、且つ両政府に於て談判に取り掛る第一着手として、先づ日本をして朝鮮自主国論を唱ふるを止めしめ、竝に其の派遣兵を撤回せしむる事を主張したり。
本官乃ち英公使に答て曰く、撤兵の挙、必ずしも此後の談判に便宜を与へざるべく、又た朝鮮変乱再発の患を除く能はざるべしと。
王大臣から、イギリス公使経由で談判開始の条件提示。
一つは、まず、日本が朝鮮自主国論を唱えるのを止めること。
もう一つが撤兵。
これに対して小村は、撤兵は今後の談判を促進しねーし、朝鮮変乱の再発の憂慮もあんだろ、と。
つうか、撤兵が何で第一条件なのか良く分からん。(笑)
続いて、番号的に微妙に前後しますが、アジア歴史資料センター の『日清韓交渉事件ノ際二於ケル軍用電線架設関係雑件/1.軍用電信線架設ノ件(レファレンスコード:B07090434500)』。
9画像目から、大鳥から陸奥への1894年(明治27年)6月30日発『電受第337号』を見ていきましょう。
Mutsu
Tokio
Received your telegram 六月二十九日 about shipment of telegraph wire.
Otori
電信線発送についての6月29日の貴下の電文を受け取った、と。
いや、単に7月14日のエントリー の1894年(明治27年)6月29日発『電送第263号』で、「もしこの電信が届いたら、教えてくれ」って言われてるんで、返事しただけなんですがね。(笑)
ってところで、今日はここまで。
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さて。
7月18日のエントリー で、「今夜12時までに必ず返事よこせよ。( ´H`)y-~~ 」という大鳥の照会に対して、回答延期のお願いしてた外務督辨の趙秉稷。
大鳥は、趙秉稷のお願いを受け取ったわずか1時間後に、速攻で督促します。(笑)
『駐韓日本公使館記録2』から。
1894年(明治27年)6月30日付『第64号』。
迅啓者頃展貴暦甲午五月二十六日貴督辨来函承悉値有要公進
宮批於明日内容図佈復等因本公使閲読之下曷勝駭然而本公使既有言在先本不応稍緩片刻但持念素日情誼於此断不能緩頬中仍稍予通融展限於明日即我暦本月三十日上午八点鐘時刻待
貴督辨確覆可也倘或過此限期則再不稍移時刻即当有所決相応覆請貴督辨諒照爲盼
肅此順履
刻安
朝鮮暦甲午5月26日付の貴督辨の書簡に、「参内しなきゃ駄目なんで明日中に回答したい」ってあったけど、それを読んで愕然とした。
既に言ったとおり、これは少しも延ばすことができない。
ただ、普段の情誼により、延ばすことができない中でも多少の融通を持って、明日、即ち日本暦の今月30日午前8時まで期限延ばすから、それまでに返事よこせ。
それ越したら、決するところがあるから。( ´H`)y-~~
つうか、7月18日のエントリー でも言ったけど、独立国か属国かの回答って、即答できんもんかね?(笑)
ってことで、いつも通りの回答遷延策を許しちゃう日本側ですが、これに対して趙秉稷から返事が。
1894年(明治27年)6月30日付の書簡より。
敬覆者刻奉来函為本日上午八点鍾確覆一事当経閲悉惟該覆文裁繕另有訳本此件就整可延幾刻容特佈告尚望
涵諒稍展上午十二点時辰以便繕覆至所盼禱耑此仍頌
時祉
面倒くさいので超訳。
大鳥の書簡に午前8時まで返事よこせって書いてるけど、午前12時まで延ばしてくれないニカ?と。
で、12時までに来たのかどうかは分かりませんが、30日中には回答が来た模様。
1894年(明治27年)6月30日付『第16号』より。
大朝鮮督辨交渉通商事務趙 爲
照覆事照得我暦本月二十五日即貴暦六月二十八日接准
貴公使是日来文内開現奉我
外務大臣札開我暦本年六月初七日准駐東京清国欽差大臣汪来文内開派兵援助乃我保護属邦旧例等語惟査我国政府于始認朝鮮為自主独立之邦按明治九年二月二十六日所訂両国修好條規第一款首載朝鮮国自主之邦保有與日本国平等之権字様而今拠清国欽差大臣来文乃大相逕庭殊堪駭異也惟此事於日朝両国交際上所関綦重果是於朝鮮政府亦自認其為保護属邦与否之処確切詢明等因奉此相応照録清国欽差大臣公文照会貴督辨査照并望限於明日即我暦本月二十九日内核奪確覆是為至要等因准此査丙子修好條規第一款内載朝鮮自主之邦保有与日本平等之権一節本国自立約以来所有両国交際交渉事件均按自主平等之権辨理此次請援中国亦係我国自由之権利也与朝日條約毫無違礙本国但知遵守朝日定立條約認真挙行且本国内治外交向由自主亦為中国之素知至中国汪大臣照会逕庭与否応与本国無渉本国与
貴国交際之道只可認照両国條規辨理為妥相応備文照覆
貴公使請煩査照将此転達
貴外部大臣可也須至照覆者
右照覆
意訳。
朝鮮暦の今月25日、即ち日本暦6月28日に大鳥が送った書簡をみると、6月7日に清国の汪公使の送った文書内に、派兵援助については属邦を保護した旧例云々等の言葉があった。
日本政府は当初から朝鮮を自主独立の国と認め、1876年(明治9年)2月26日に締結した日朝修好条規の第1款でも朝鮮は自主独立の国で日本と平等の権利を持つという語句が載せてるのに、汪の文書は大きく隔たっており、非常に驚いてる。
これは、日韓両国の交際上重大な関係を及ぼすので、朝鮮政府が保護属邦を自ら認めるのかどうか、明確にして欲しいので、汪の公文書も送るから29日までに回答よこせや、とあった。
ま、もっと簡単に言うと、6月25日のエントリー で取り上げた、1894年(明治27年)6月28日『第59号』を見た、と。(笑)
で、日朝修好条規の第1款に載っている、朝鮮は自主の国であり日本と平等の権利を持つという1節について、朝鮮が自立を約束して以来、両国の交際・交渉事件でも均しく自主平等の権利を有しているとして適切に処理されてきた。
今回中国に救援依頼をしたこともまた朝鮮の自由の権利に係るものであり、日朝条約に少しも違えていない。
朝鮮はただ日朝間に成立した条約を遵守して誠実に履行するだけだ。
且つ、朝鮮の内治・外交が自主による事は、中国ももとより分かっているはずだ。
汪大使の照会に隔たりがあるかどうかは、朝鮮の関与するところではない。
朝鮮では、貴国との交際の道は、ただ条約に照らして適切に処理するのが妥当だと思っている。
かな。
まぁ、遵守とか言ってるわりに、防穀令事件とか起こすわけですが。(笑)
ってことで漢文史料が続きましたが、次からは英文史料。
割とグッタリ。(笑)
アジア歴史資料センター 『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/7 明治27年6月13日から1894〔明治27〕年6月30日(レファレンスコード:B03030205300)』の34画像目。
仁川の能勢領事から陸奥への、1894年(明治27年)6月30日発『電受第331号』より。
Mutsu,
Tokio.
It has been heard that 袁世凱 is planning to remove the King of Corea to 水原 京畿道.
加藤 telegraphed immediately to 大鳥 stating that it is deemed necessary to post Japanese soldiers at the gates of the Castle.
加藤 left for 京城 10.30. p.m. 六月二十七日 accompanied by 室田 but coming back 六月二十八日.
Nosse
袁世凱が、高宗を京畿道の水原に移す事を計画していると聞いた。
7月28日のエントリー や7月30日のエントリー での長岡外史の私報でも水原遷都の話は書かれてましたね。
で、加藤は、城門に日本兵を配置する必要だと考え、直ちに大鳥に打電した。
加藤は6月27日午後10時半に室田と同行して京城に出発したが、6月28日に帰ってきた、と。
加藤、28日に京城に着いたばかりの筈なのに、その日のうちに仁川に帰ってきたのか・・・。
つうかこの電信、何で下関発なんだ???
またどっか電信不通とかか?(笑)
ってところで、今日はここまで。
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日清戦争開戦まで(二十五) 日清戦争開戦まで(五十五)
日清戦争開戦まで(二十六) 日清戦争開戦まで(五十六)
日清戦争開戦まで(二十七) 日清戦争開戦まで(五十七)
日清戦争開戦まで(二十八) 日清戦争開戦まで(五十八)
日清戦争開戦まで(二十九) 日清戦争開戦まで(五十九)
日清戦争開戦まで(三十) 日清戦争開戦まで(六十)
飽きた飽きたと言いながら、結構頑張ってやってるなぁ、と自画自賛。(笑)
もう少し早く話が進展しないかなぁとは思ってるんですが。
< 2008年7月のエントリー >
もう少し、日清戦争開戦前の話では無い話も盛り込んでいきたい処なんですが、如何せん日清戦争関連の史料をまとめる方に手一杯で、他の史料を読む時間も無く。
休日は休日で家族サービスしたりですしぃ。
と、誰に向けてるのかも分からない言い訳をしてみたり。(笑)
『朝鮮人ノ氏ノ設定ニ伴フ戸籍事務取扱方ニ関スル件 』
2年も前の宿題。(笑)
巷間、総督府の強制により後半に「幾何級数的」に増加したと言われる、その統計数字について、「全て内地人式の創氏なのか」という点と、「戸主が届け出を行った時点でのカウントでは無いのではないか」という疑問が。
『日清戦争開戦まで(五十六) 』
仁川港中立問題に関する史料。
居留地って、租借地ではないだろうから朝鮮の主権が及ぶ地域なのかな?
だから、特別に中立にしてよ、という話でしょうねぇ。
『日清戦争開戦まで(五十七) 』
前半の上海港中立問題や、後半の元山の上野領事からの文書は、そんなに重要な話では無いですね。
「It does not seem politic at present to attempt expulsion by force of Chinese soldiers at 牙山. 」については、杉村の在韓苦心録の「乍去在牙山ノ清兵退去セシムルコトハ、現下ノ政略ニ背ク 」だと、「by forceが抜けてる」とか「politic"s"じゃなくてpolitic」なんて違いがありまう。
『日清戦争開戦まで(五十八) 』
清国側の動きに関する史料と、ロシアの動き、っつうか在清国ロシア公使の動きに関する史料。
長い割に、話としては全く進んでない。(笑)
『日清戦争開戦まで(五十九) 』
牙山の聶の布告に関する、李鴻章との往復文書と、日本兵の入京差し止めに対する朝鮮政府との往復文書。
前半は話が前進しておらず、後半は割とリンク集。(笑)
『日清戦争開戦まで(六十) 』
在朝鮮公使館側の発案による属邦問題に対する言及の話と、京釜線の電信線架設についての話と、上海港中立問題についての話。
属邦問題に対する言及の話は、何度も出てくるので新鮮味に欠けますねぇ・・・。
『日清戦争開戦まで(六十一) 』
上海の中立問題と、日本の内政改革要求の補足について。
日本の内政改革要求の補足である、陸奥から大鳥への内信は、これから重要になってくるんじゃないかな。
要チェック。
『日清戦争開戦まで(六十二) 』
朝鮮駐留中の清国兵の動きについての照会と、属邦問題に関する返事の督促。
後はロシア本国の動きに関する史料。
「お前、俺に東学党の乱は鎮圧したって言ってたけどさぁ、本当は掃討できないから清国にまた頼んで剿滅しようとしてんじゃね?」ってのは、割と悪辣な照会。(笑)
『日清戦争開戦まで(六十三) 』
イギリスとアメリカの動きについて。
「China is suzerain of Corea. 」という李鴻章の声明や、「Minister for Foreign Affairs requested me to induce you to communication of your demands on China and Corea 」っていうイギリス政府の要求など、英文史料の割にはかなり面白いというか興味深い内容。
『日清戦争開戦まで(六十四) 』
前半部分がロシア本国の動き。
ポイントは、後半部分の「If they answer that they recognize we shall immediately besiege royal palace and demand explanation and apology of their grave violation of article I 江華 treaty 」と、その返事の「I received your teregram 12 before resorting to violent measure wait for further instruction. 」。
どれが何に対する返事なのかは、押さえて貰いたいところ。
『日清戦争開戦まで(六十五) 』
旅団報告と混成旅団の参謀長岡外史から川上操六中将への私報。
旅団報告の臨検チックな話と、京城龍山間の軍用電線架設の話以外は、そんなに重要ではなさげ。
後は、京城入りしたわけじゃなく、龍山布陣ってのもポイントなのかなぁ。
『日清戦争開戦まで(六十六) 』
混成旅団の参謀長岡外史から川上操六中将への私報の続き。
朝鮮側の妨害工作の数々は結構面白い。
後は、水原遷都の話と清国軍による日本人抑留の話も、今後チェックしときたいポイント。
まぁ、これっきりな可能性もあるわけですが。(笑)
『日清戦争開戦まで(六十七) 』
混成旅団の参謀長岡外史から川上操六中将への私報の続きと、仁川の能勢領事から大鳥への報告。
軍としては、清国軍に京城方面を攻撃させて、それを迎撃するスタイルをとりたいようで。
ただ、軍略としてあれこれ考えて、日本軍有利な状況を作り出そうという所までは兎も角、実行に移す前に2月4日のエントリー の大島への訓示くらいは守れや、と。
内政改革要求の話あたりから、ゆっくりではありますが色々な事があちこちで起きてます。
メモっておかないと、今後ツッコんだり補足したりするの、忘れそう。(笑)
さて、今回も前回 に引き続いて混成旅団参謀の長岡外史から川上操六への文書を見ていくことにします。
アジア歴史資料センター さんが、どういう意図で切り分けたか分かりませんが、『明治27年自6月至9月 「明治27年 「秘密 日清朝事件 第5師団混成旅団報告綴」/川上中将閣下に上る私報(2)(レファレンスコード:C06060161100)』の左2行から『明治27年自6月至9月 「明治27年 「秘密 日清朝事件 第5師団混成旅団報告綴」/川上中将閣下に上る私報(3)(レファレンスコード:C06060161200)』へと続きます。
んでは早速。
○ 京城内の行軍
昨26日は、竜山幕営の一個大隊并に山砲中隊の整々堂々南大門を入り、京城内に行軍せしめたり。
本日は、外交武官とも協議し、成し得る丈けの騎馬隊(副官砲兵隊馬を以て)を編成し、京城内に入れんとする予定に有之候処、公使■不承諾を申し越したり。
我々の信ずる処に依れば、此の如き示威行軍を行ふときは益々世凱を困蹙せしめ、清兵の入京を余義なくせしめ、韓廷の決心を堅ふし、其内閣の更迭を速ならしめ、一挙数得の事と相考へ候得共、外交は六ヶ敷もの。
公使は断然承諾を拒みたり。
昨日26日は、龍山に幕営している一個大隊と、山砲中隊が正々堂々南大門から入って京城内を行軍・・・って・・・。
勝手に示威運動してんじゃねぇ!( `H´)y-~~
アホかっ!
で、本日、つまり6月27日には外交武官とも協議して、できるだけの騎馬隊を編成して京城に入れる予定だったけど、大鳥は不承諾。
当たり前だろ!( `H´)y-~~
で、長岡等はこのような示威行軍を行えば、益々袁世凱を困らせて清国軍の入京を余儀なくさせ、韓廷の決心を堅くしてその内閣の更迭を加速させ、一挙数得だと考えたけど、外交っつうのは難しいもんで、大鳥は断然承諾を拒んだ、と。
しかもそんな浅はかな考えかよ!
「外交は六ヶ敷もの 」じゃねぇ!
立派なのは髭だけかっ!( `H´)y-~~
と、大鳥も思ったんじゃないかなぁ・・・。(笑)
つうか、清国兵が入京すると、何か得になるのかなぁ?
○ 遷都(水源府)の事は、威力を以ても拒み得べき予定に有之候得共、彼れ野戦を知らざる清兵、其水源府附近に固着し、出でて京城に入ることを試みざるときは困りものに御坐候。
是れ月日を費やすと、又我旅団を二分せざるを得ざればなり(漢城守備并に義州街道に備ふる為めに)。
水原遷都の件については武力を使っても拒む予定だけど、野戦を知らない清国兵が水原附近から動かず、京城に入京することと試みない場合には困った事になる。
これは、月日を費やすことと、旅団を二分しなければならないからだ、と。
ああ、前回 も言ってたとおり、「拙速を貴び、巧久を厭ふ」んだから、相手側に籠城っつうか待たれるのは嫌で、攻めて来てくれた方が良いのか。
兵力分散も免れるし。
その辺で「得」なんですね。
まぁ、そもそもどうやって開戦するんだよっていう、根本的な対外的問題があるんですがね。(笑)
○ 旅団の工兵隊、通信術卒業者少く、3通信を備ふれば、勤務の交代を為さしむること能はず。
建築卒は僅に5、6名に過ぎず、然れ共建築の義は如何様にもせらるべく奉存候。
他日器機着の上は、直に京釜間に架設着手の見込に御坐候。
○ 右件々少暇を得て句卒記述し、閣下に上る乱筆御用捨奉願上候。
最後に電信関係で、工兵隊に通信術卒業者も建築卒業者も少ない。
まぁ、建築はなんとかなると思うし、後日器機が届けばすぐに京釜線架設に着手する見込みだけど、通信技師の方は足りんよ、と。
現地軍の参謀だから仕方ないのかも知れませんが、全体的に少なくとも2月4日のエントリー の大島への訓示くらいは守るように努力せいや。(笑)
さて、続いては『駐韓日本公使館記録2』から見ていくことにします。
仁川の能勢領事から大鳥への、1894年(明治27年)6月30日付『機密諸第9号』より。
目下清国軍艦の当地方に派遣せられ居るものは、仁川に鎮遠、平遠、揚威、超勇、探江、飛虎の6隻にして、其牙山にあるものは済遠、廣丙の2隻とす。
而して、平山八重山艦長の意見に拠れば、本港碇泊の清国軍艦は、各国軍艦の外域に位置を占めて、当時他に向て其錨地を移さざるものの如しとの事に有之候。
猶、目下在港各国軍艦は、英国アーチャー、仏国アンコンスタン、独イルチス、米ボルチモーア、露コレイツの5隻にして、英国軍艦は猶2隻両3日中に入港可致旨、アーチャー艦長より伊藤武蔵艦長へ直話致候趣に有之候。
米国軍艦より水兵入京の件、爾後独探問中に有之候処、陸路入京は困難に付水路に由る事となり。
夫れが爲め、スチームランチ1隻の備付なりしを俄かに2隻に増し、被服食料品等必要品は一切艦船又はボートに搭載し、スチームランチをして曳き往かしむる由にて、右艀船は堀久に於て何時にても調達する事に相成居候に付、米国駐在公使より電申次第出発の準備相整ひ居候趣聞込むに付、不取敢此段申進候也。
まぁ、清国の軍艦は兎も角として、諸外国の軍艦も結構来てんのね。
中でもアメリカ軍艦ボルチモアからは、水兵が京城入りの話が出ており、陸路で京城入りは難しいので水路によるらしい、と。
んー、アメリカの入京は、何が目的なのかしらん。
ってところで、ちょっと早めですが今日はここまで。
日清戦争開戦まで(一) 日清戦争開戦まで(三十一) 日清戦争開戦まで(六十一)
日清戦争開戦まで(二) 日清戦争開戦まで(三十二) 日清戦争開戦まで(六十二)
日清戦争開戦まで(三) 日清戦争開戦まで(三十三) 日清戦争開戦まで(六十三)
日清戦争開戦まで(四) 日清戦争開戦まで(三十四) 日清戦争開戦まで(六十四)
日清戦争開戦まで(五) 日清戦争開戦まで(三十五) 日清戦争開戦まで(六十五)
日清戦争開戦まで(六) 日清戦争開戦まで(三十六) 日清戦争開戦まで(六十六)
日清戦争開戦まで(七) 日清戦争開戦まで(三十七)
日清戦争開戦まで(八) 日清戦争開戦まで(三十八)
日清戦争開戦まで(九) 日清戦争開戦まで(三十九)
日清戦争開戦まで(十) 日清戦争開戦まで(四十)
日清戦争開戦まで(十一) 日清戦争開戦まで(四十一)
日清戦争開戦まで(十二) 日清戦争開戦まで(四十二)
日清戦争開戦まで(十三) 日清戦争開戦まで(四十三)
日清戦争開戦まで(十四) 日清戦争開戦まで(四十四)
日清戦争開戦まで(十五) 日清戦争開戦まで(四十五)
日清戦争開戦まで(十六) 日清戦争開戦まで(四十六)
日清戦争開戦まで(十七) 日清戦争開戦まで(四十七)
日清戦争開戦まで(十八) 日清戦争開戦まで(四十八)
日清戦争開戦まで(十九) 日清戦争開戦まで(四十九)
日清戦争開戦まで(二十) 日清戦争開戦まで(五十)
日清戦争開戦まで(二十一) 日清戦争開戦まで(五十一)
日清戦争開戦まで(二十二) 日清戦争開戦まで(五十二)
日清戦争開戦まで(二十三) 日清戦争開戦まで(五十三)
日清戦争開戦まで(二十四) 日清戦争開戦まで(五十四)
日清戦争開戦まで(二十五) 日清戦争開戦まで(五十五)
日清戦争開戦まで(二十六) 日清戦争開戦まで(五十六)
日清戦争開戦まで(二十七) 日清戦争開戦まで(五十七)
日清戦争開戦まで(二十八) 日清戦争開戦まで(五十八)
日清戦争開戦まで(二十九) 日清戦争開戦まで(五十九)
日清戦争開戦まで(三十) 日清戦争開戦まで(六十)
今日は、前回 に引き続いて、アジア歴史資料センター の『明治27年自6月至9月 「明治27年 「秘密 日清朝事件 第5師団混成旅団報告綴」/川上中将閣下に上る私報(1)(レファレンスコード:C06060161000)』を。
2画像目左から2行目より。
では早速。
○ 昨日旅団長入京、公使に協議の件洩聞き
1 外務衙門へ要求
仁川龍山共、朝鮮官吏其人民の我傭役に応ずるものを脅威し、事後捕盗庁に勾引する等種々の流言を放ち、若くは直接に告諭し、甚しきは廃井を修理したるものに汚穢物を擲げ込む等、我軍を妨害すること甚だし。
而て人民は、我傭役に応ずるを好むの実歴々たり。
朝鮮官吏の此の如き処置を為したるもの厳罸に処せられ度事。
爾今、各市街に掲示し、此等のものを戒飭すること。
2 大本営より釜京間に軍用電信架設の命令に接す。
不日着手すべきを以て、朝鮮政府篤く保護すべきこと。
並に、此電信は一時のものにあらずして、永久架設の権を我帝国に譲ること。
3 牙山に於て我帝国臣民を支那兵隊恣に■ことしたることの報告に接す。
十分厳談を要す。(日本新聞社主の書生、牙山に於いて抑留せられ、夜を以て逃れ帰る)
3 京城目下人心恟々たり。
国王陛下に敬意を表し及び戒厳する為め、若干の兵隊を以て王城を守備に充てらるる名誉を与へらるること。
此時公使より、袁世凱万策極まり、国王を奉じて水原府附近の離宮に移るべき兆候ありと説を聞く。
依て、一層前説を主張せられたれ共、公使其協議に応ぜず、漢江を警戒すべき旨を告ぐ。
漢江の警戒は、今日十分に施行しあり。
他日銃声一発せば、沿岸の渡舟を我有に握るの準備は既に成れり。
故に、外国兵を渡河せしめ、半途に撃つと撃たざるは、我旅団の掌中に握れり。
つうか、3が2個あったり、結構誤字多いな・・・。(笑)
大島旅団長が京城入りし、大鳥公使と協議したことを漏れ聞いた。
いや、参謀なのに協議内容を漏れ聞くって。(笑)
まず一つ目は、朝鮮政府への要求。
仁川でも龍山でも、朝鮮の官吏が日本の雇傭に応じた朝鮮人を脅し、「対日協力者は後で逮捕汁!<#`Д´>」なんて噂を流したり、直接言い聞かせたり、甚だしいところでは、使われてない井戸を修理したものに、汚穢物(多分糞尿)を投げ込むなど、日本軍への妨害が酷い、と。
でも朝鮮人は日本に雇われるのを好む実態はハッキリしてる。
朝鮮人官吏でこのような事した者には、厳罰に処して欲しい。
今後は、各市街に掲示して、これらの事について戒飭すること、と。
つうか、妨害工作やってるのバレバレじゃ、駄目よねぇ・・・。(笑)
で、二つ目。
6月2日のエントリー の1894年(明治27年)6月27日付『機密受第860号』なんかでも見たとおり、京釜電信線の架設については軍でも訓令が出ています。
で、遠からず架設に着手するだろうから、朝鮮政府は手篤く保護すること。
また、この電信線は一時的なものではなく、永久架設権を日本に譲ること、と。
頻出の話題ですな。
三つ目。
どうやら日本人が牙山で清国軍に抑留され、夜に逃げ帰ってきたらしく、十分厳談する必要がある、と。
んー、前回 の臨検的な話といい、朝鮮国内で清国軍が何やってんだよ。
最後に、京城の人心は恐れおののいており、高宗に敬意を表するとともに、厳重に警戒するため、若干の兵によって王宮の守備させろ、と。
しかし大鳥は、袁世凱は万策極まって、高宗を水原附近の離宮に移させる兆候があるという話を聞いた、と。
じゃあ一層王宮守備しなきゃ駄目じゃんと言ったけど、大鳥はその協議には応じず、漢江附近を警戒すべきだと告げた、と。
漢江の警戒は現在も十分に行っており、後日銃声が1発でもすれば、沿岸の渡し船を日本側に握る準備は既にできた。
ってことで、外国兵に渡河させて途中で撃つか撃たないかは、混成旅団の掌中に握っている、と。
んじゃ続き。
○ 拙速を貴び、巧久を厭ふ。
右は先般旅団長入京、昨日入京のときも懇々協議せられたり。
何となれば、清国は平分は朝鮮政府の御馳走になり、他の半分は奪掠して生活す。
接待使と云へるべきものを差遣し、道路の通行架橋の周旋至らざる所無きに引換へ、我旅団は薪炭味噌醤油迄の運搬せざる可らず。
兵の生活上に要する諸品は、総て本国の供給を仰がざるを得ず。
又、兵の起居に於ても、其不潔、其不規則。
清兵は能く韓人に類す■之毎日入浴せしめたる。
我兵卒は渡韓後未だ1回も入浴せざるものあり。
衛生及び給養の困難、彼此全く趣を異にす。
是、我旅団の拙速を貴ぶ所以に御座候。
若し荏苒日日を経過せば、幕営に代へて一部の廠営を為さしめざる可らざるものと愚考仕候。
昨26日の如き、其天幕内に於ては正午1百度に達したりと云ふ。
まぁ、そもそも朝鮮の依頼で来た清国軍と、日本の公使館及び日本人保護のために来た日本軍とでは、待遇が違うのは当たり前。
まして、清国軍のように掠奪はできないわけで。(笑)
ってことで、必要物資は全部日本本国から供給を請わなければならない。
おまけに、衛生状態も悪く、清国軍は毎日入浴させてるけど、日本軍は渡韓してから1度も風呂に入ってない者もいる。
これが、兵站・衛生等の面が混成旅団が拙速を貴ぶ理由・・・なのか・・・。(笑)
で、もしこのまま日数が経過した場合、幕営ではなく一部の廠営を作らなければならないと考えている。
6月26日正午なんか、天幕内の気温100度になったと言うし。
本当に水が沸騰する気温まで上がったのかなぁ・・・。
さて、この続きが何故か別ファイルになってますので、今度はそちらを見ていきましょう。
『明治27年自6月至9月 「明治27年 「秘密 日清朝事件 第5師団混成旅団報告綴」/川上中将閣下に上る私報(2)(レファレンスコード:C06060161100)』より。
○ 兵站監部の勤務は、兵数の増すに従って敏活を増さざる可らざるに、却て委縮す。
是れ、朝鮮官吏が袁世凱の内諭に応じ、我旅団の不自由を成べく増さしめんとする姦策に基く。
昨日、外務衙門へ公使よりする知照若し効無くんば、威力を以て之を為し遂ぐるか、若くは小蒸気舩10艘許りを追送せらるより外策なし。
漢江の水路兵站線は、最終に至る迄維持するの考案にあり。
清兵商人服を以て江華府に入り込むとの説あり。
偵察の上若し信なれば、預め送兵を要するものと愚考仕候
江華府派兵のこと、目下公使へ照会中に有之申候。
承諾を得ば、1個中隊を分遣さるる予定なり。
兵站の監督部の仕事は、兵員増加に伴って活発にならなければならないのに却って委縮している。
これは、朝鮮官吏が袁世凱の内諭に応じて、日本軍の不自由をなるべく増加させようという姦策に基づく、と。
冒頭の傭役の邪魔とか、井戸への汚穢物投げ込みとかも、その関係じゃねーの?(笑)
で、大鳥が昨日外務衙門へ出した知照の効果が無ければ、武力でそれを為し遂げるか、小さい蒸気船10艘程度を追送するしかない。
この文書が6月27日付けのものなので、6月26日に出した知照ってことなんでしょうけど、関係しそうなもんが見あたらない・・・。
兎も角、漢江の水路を使った兵站線は最後まで維持する考えだ、と。
清国兵が商人の格好で江華府に入り込んだという噂があり、偵察の上でもし本当なら、予め兵を送る必要があると考える。
その派兵については、現在大鳥に照会中。
もし承諾を得られれば、1個中隊を送る予定、と。
ってことで、今日も途中までですが、ここまで。
日清戦争開戦まで(一) 日清戦争開戦まで(三十一) 日清戦争開戦まで(六十一)
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日清戦争開戦まで(二十八) 日清戦争開戦まで(五十八)
日清戦争開戦まで(二十九) 日清戦争開戦まで(五十九)
日清戦争開戦まで(三十) 日清戦争開戦まで(六十)
前回 に引き続き、30日の史料を見ていきたいと思います。
今日は、いつものように旅団報告から。
アジア歴史資料センター の『明治27年自6月至9月 「混成第9旅団 第5師団 報告」/第10号、6月28日(レファレンスコード:C06061758600)』を見ていきます。
んでは早速。
第10号
6月28日
一 昨27日命令せる東十里東方高地に出ずべき部隊は、同日午前10時54分在京城歩兵第11連隊第1大隊より軍曹以下15名を出し、毒縣島に通ずる道路を監視せしむる旨、一戸少佐より正午6時報告し来る。
一 八重山艦長の報告、午後2時在京城福島中佐より通知あり。
其要領左の如し。
操江は6月26日午前9時、牙山より仁川に入港す。
午後3時、独艦イルチス号神戸より入港す。
午後5時、武蔵を以て浪速等先導出迎の為め、港外ベーカー(小島)附近に出ず。
6月27日午前4時、操江出港す。
同日午前、揚威牙山より入港。
午前10時、能勢領事より本邦人力武平八所有スクーナー形舩順駅丸、本月26日忠清道屯浦より帰仁の折、同夜12時頃白石浦沖航行中支那軍艦ボート1艘来り、内4名舩中に入り何名を積み居るやを尋ねたるに付、悉皆米なることを示したるに、舩内処々を捜索し帰りたりと。
其節同舩の目撃したる所に依れば、牙山碇泊の軍艦にして(ランプ)を点ぜずと云ふ。
一 龍山兵站司令部の報告に、午後3時左の物品を竜山に揚陸し、京城に向ふたりと報告す。
天津機器局(光緒5年4月製造)開花砲子
五拾箱位
二号槍薬
拾 箱位
独乙製弾薬
拾五箱位
甲戌別合副五拾斤入
貮拾箱位
大砲(但旧式)
貮 門
一 京城并龍山間軍用電線を架設し、通信を開く。
一 午前7時、在京城福島中佐より、兵庫丸、住ノ江丸、三河丸、熊本丸、越後丸、和歌ノ浦丸、酒田丸は第二次輸送諸隊を載せ、軍艦浪速号之を護衛し、昨27日午後5時46分仁川に到着する旨報告あり。
一 歩兵第11連隊より1中隊を露梁渡場附近に出し、同渡場及銅雀津の渡場を監視せしむ。
一 歩兵第11連隊第2大隊の3中隊及第1大隊の2中隊は、午後3時過ぎ当幕営地に到着す。
6月29日
一 昨28日午後3時40分、平壌発電報、同午後6時京城着、土橋中尉の報告左の如し。
支那兵をらず。
一 水原方向に出したる騎兵斥候の報告午後3時10分到着。
曰く、軍浦場及水源地方に支那兵を見ず。
当斥候は、尚南陽方向に進で捜索せんとす。
一 第二次輸送諸隊の内昨日到着せる残余は、本日午前2時半仁川出発。
炎熱の為め行厨腐敗。
為めに大なる困難に遭遇し、其先頭4時頃揚華津に到着す。
先着軍隊よりは急々行厨を炊爨し、直ちに揚■鎮に向て輸送し、以て兵の饑渇を救ふの手当をなす。
右報告仕候。
「支那軍艦ボート1艘来り、内4名舩中に入り何名を積み居るやを尋ねたるに付、悉皆米なることを示したるに、舩内処々を捜索し帰りたりと。 」って、臨検?臨検?(笑)
他に特記しておくのは、「京城并龍山間軍用電線を架設し、通信を開く。 」
「京城」がどこを指してるか不明ですが、大体4~5kmの距離って感じで良いのかな?
その間に軍用電線を架設した、と。
これも建前的には2月12日のエントリー の仁川の要衝や漢江沿岸への兵員配置と同じく、公使館警備の方法として必要不可欠だから、って事になるのかな?
つうか、今までどっかでこの軍用電線の話出てきたっけ?と思ってたら、アジ歴 の『明治27年 「秘密 日清朝事件 第5師団混成旅団報告綴」』の中に、混成旅団の参謀長岡外史から川上操六中将への私報が綴られてますので、一応引用してみたいと思います。
長いので、多分途中でぶった切る事になるかと。
まずは、『明治27年自6月至9月 「明治27年 「秘密 日清朝事件 第5師団混成旅団報告綴」/川上中将閣下に上る私報(1)(レファレンスコード:C06060161000)』から見ていきましょう。
川上中将閣下に上る私報 長岡参謀
小官は、第二次輸送兵を迎ふる為及び監督部と協議の目的を以て漢江を下る途中、■暇を得申候間、2、3景況申述候。
○ 兵を龍山附近に置かれたる顛末
去る23日午後、公使より仁川の兵を京城に集めよ。
第二次の兵も亦爾かするを望むと云ふ電報に接したり。
公使の考にては、京城に一大隊にては少なきを感ずる如しと雖も(上原少佐の言)、目下京城に多数の兵を容るる策の得たるものにあらず、却て混雑を生じ、特に夜戦に在って然ればなり。
目下、旅団直接に牙山方向を顧慮せざる可らず。
次に、義州街道を顧らざる可らず。
然るに、義州街道には今日迄士官斥候より何等の報なし。
旅団目下の策は、先づ牙山よりするものを撃ち、次に義州街道に当たんとするに在り。
此目的の為めには、龍山附近を適当の陣地を愚考仕候。
京城の大隊は、京城の死命を握れり。
龍山諸隊は、南大門に通ずる諸道路を扼せり。
諸隊の歩哨は、総て京城を瞰下し、南山の歩哨と通信旗を以て交通するを得る。
其歩哨線より余計に退きて龍山附近に幕営したるは、他日一朝渇水の際、漢江の水にて兵馬を養はんが為なり。
漢城附近図(2万分1)不精甚だし。
昨26日より3個の器械を以て測図に着手せしめらる。
測図完成後は、配布略図を出ずべし。
3月7日のエントリー で清国が日本の提案を拒否し、追加派兵の噂が入った事によって出された1894年(明治27年)6月22日発『電送第236号』の中で、「you are hereby instructed to concentrate all troops to 京城 immediately notwithstanding you may have more or less fear to create complications. 」という訓令が出され、23日午後には大鳥から仁川へ軍の移動指示が出され、4月14日のエントリー の1894年(明治27年)6月24日発『電受第300号』で報告があったように、6月24日午前1時に仁川を出発してます。
で、上原少佐は「大鳥公使は京城に1大隊じゃ少ないと感じているらしい」と言ってる、と。
つうか、訓令による京城への兵力集中なんですが・・・。(笑)
うけど、現今京城に多数の兵を入れるのは、却って混乱を生じ、夜戦になればなおさらなんだから不得策だ、と。
旅団的には、第一に牙山方面、第二に義州街道を考慮しなければならないが、義州街道では現在偵察士官からは何の報告も無いので、まずは牙山にいる清国軍を撃って次に義州街道に当たるのが目下の策。
この目的のためには、龍山附近への布陣が適当と考えた、と。
当然ですが、純軍事的な見方。
で、京城の大隊は京城の死命を握っており、龍山の諸隊は南大門に通じる諸道路を押さえる。
諸隊の歩哨は京城を見下ろして、南山の歩哨と通信旗で交信可能。
その歩哨線よりも更に下がって龍山に幕営したのは、今後渇水になった場合、漢江の水で兵馬を養うため、と。
仁川では、水で非常に苦労してましたからねぇ・・・。
で、京城附近の地図は非常に不正確のため、6月26日から測図に着手し、それが完成したら略図を作る、と。
途中ですが、今日はここまで。
日清戦争開戦まで(一) 日清戦争開戦まで(三十一) 日清戦争開戦まで(六十一)
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7月18日のエントリー で取り上げた、西公使から陸奥への1894年(明治27年)6月29日付『機密第8号』について、「「過刻電信を以て申進置候」って事は、これからやる英文電信の方に出てくるのかな?」なんて書きましたが、ここで出てることになります。
アジア歴史資料センター の『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/8 明治27年6月29日から明治27年7月2日(レファレンスコード:B03030205400)』から。
8画像目。
ロシアの西公使から陸奥への、1894年(明治27年)6月29日発『電受第344号』より。
Mutsu,
Tokio.
I declared 六月二十九日 to Russian Government contents of your last telegram regarding Corean question.
Russian Government consent to the object of our demands but do not approve.
Keeping troops because presence of both troops might cause serious collision between Japan and China and draw in also other Powers, therefore Russian Government recommend to withdraw our troops together with that of China and to settle this question diplomatically.
I explained them however that our troops should have been withdrawn long ago if we were sure that no more revolt will take place and our object can be attained after withdrawal of force, but present situation does not permit to do so.
在露公使
で、9~10画像目がこの電信の和訳になってますので、そちらを参考にして進めていきましょう。
西は、6月29日に朝鮮問題に関する陸奥の最後の電信の趣旨をロシア政府に宣言した、と。
陸奥の最後の電信ってのは、5月26日のエントリー の1894年(明治27年)6月26日発『電送第246号』の事かな?
恐らく、その文中の「閣下は、前記の旨意に基づき露国政府へ宣言すべし。 」を受けての宣言を思われ。
で、7月18日のエントリー の1894年(明治27年)6月29日付『機密第8号』でも見たように、ロシアは日本の要求の主意には同意。
ただ、日本兵を朝鮮に長く留まらせるのは、日清両国間に激烈な衝突を来たし、他の国々もそれに引き入れられる恐れがあるため、日本兵の駐韓が長期に渉るのは賛成しない。
ってことでロシア政府は、清国兵と共に日本兵を撤兵して、外交手段によってこの問題を結局させる事を忠告した、と。
西公使はこれに対して、韓国の変乱に再発の憂いが無く、且つ撤兵後に日本の計画する目的を達成しうる確実な見込みが付けば、すぐにでも撤兵できるけど、朝鮮の現在の情勢って、到底日本が撤兵させられるような状態じゃないしぃ~、と。
続いて史料は、アジア歴史資料センター の『韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻/1 明治27年6月8日から1894〔明治27〕年6月30日(レファレンスコード:B03050308100)』から。
55画像目を境に、英文電報とその訳文が載っており、どっちも重要っぽいので両方テキストに起こしておこうと思ったんですが・・・。
あああ。
訳文の方、7月14日のエントリー でもうやってるうぅぅぅぅ!
電信番号違うから、気付かなかったぁぁぁ!
しかも、触れておくべき事、触れて無ぇ!
_| ̄|○
気を取り直して、取りあえず英文電信の方をテキストにしておきます。
55→54→53→52画像目。
大鳥から陸奥への、1894年(明治27年)6月29日発『電受第327号』。
Mutsu,
Tokio
(12) 加藤 arrived morning 六月二十八日 and I have been reported fully your instructions; being firmly convinced that no effectual reform could be made unless China trampled down and Corea put under our influence as stated in my telegram 11 六月二十六日 and in order to carry out the Japanese Government.
I have 六月二十八日 sent official letter to the Corean Government appending copy of a letter from 在日本清国公使 to you and demanding explanations in a day whether they recognize suzerainty of China as mentioned in that letter; if they answer that they do not recognize it I shall press 袁世凱 on the one hand to withdraw Chinese soldiers immediately on the ground that the presence of those soldiers under the pretext of protecting dependent state is prejudicial to independence of Corea and also Corean Government on the other hand to drive out Chinese soldiers and if unable to do so in their power we have to take the matter into our hand.
If they answer that they recognize we shall immediately besiege royal palace and demand explanation and apology of their grave violation of article I 江華 treaty; if Corean Government prefer an equivocal course of reply that though they have been said to be a dependet state of China they have an autonomic right in respect to the internal affairs and foreign intercourse, I shall also resort to the same measure to be taken in the first case; in any case it is most necessary on our part to give assurance of our legitimate intention to other treaty powers in order to keep them in a neutral position, and such assurance you and I will give utmost; on the occasion of the audience 六月二十六日,
I have mentioned to the King administrative reform of this country and I going to present officially Corean Government our proposal at the earliest opportunity.
Use such means as you think the best to notify this telegram to 小村 and give him necessary instruction.
What measures will Japanese fleet take at this moment.
Remit at once 10,000 Yen.
Telegraph immediately your instructions.
Otori
まぁ、それこそ7月14日のエントリー でやった話。
触れておくべき事ってのは、「If they answer that they recognize we shall immediately besiege royal palace and demand explanation and apology of their grave violation of article I 江華 treaty 」の部分。
訳文だと「若し又朝鮮政府に於て其属邦たることを認むると返答せば、我兵を以て直ちに王室を圍み、江華島條約第一條を破りたるものとして彼より辨明と謝辞を求むべし。 」の部分。
以前、「囲む」「besige」を占拠・占領と読む不思議な人 と話した事がありますが、一番最初にそれ系統の話が出てきたのがこの時、という事になります。
朝鮮が清国の属国だと言ったら、日本兵で王宮を囲んで、江華島条約の第1条を破ったとして弁明と謝罪を求める、と。
6月23日のエントリー の1894年(明治27年)6月28日付『機密第110号』の中では、「又、若し朝鮮政府は清国の属邦に相違なき旨返答したる時は、我は一応督弁に面会して其利害を説明して、公文を撤回せしむべし。彼若し我説に服せざるときは、公然朝鮮政府に向て彼が修好條規第一款に背き、且つ訂約已来17年間我を欺きたる罪を責め、兵力を以て之に迫り、彼をして謝罪の実を挙げしめ、我に満足なる補償を取るべし。 」と表現されていた、全く解決になって無ぇ話でした。(笑)
多分、この1894年(明治27年)6月29日発『電受第327号』での「besiege royal palace 」も占拠・占領計画の証拠なんだろうなぁ、不思議な人にとっては。(笑)
これで29日の史料は終わって30日の史料に入っていくんですが、順番無視して、先にこの1894年(明治27年)6月29日発『電受第327号』に対する返事から見ていきましょう。
58画像目。
1894年(明治27年)6月30日発『電送第266号』。
Otori
Seoul
20 I approve (received) your (teregram 12) demanding explanation from Corean Government but before resorting to violent measure wait for further instruction.
「貴下の朝鮮政府からの説明要求について賛成するが、しかし」が、単に「貴下の電信12号を受け取った」に変わってます。
で、暴力的手段に訴える前にさらなる訓令を待て、と。
長くなりましたが、今日はここまで。
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日清戦争開戦まで(二十九) 日清戦争開戦まで(五十九)
日清戦争開戦まで(三十) 日清戦争開戦まで(六十)
海の日ですが、普段通りに更新。
今日は、英文電報の方を見ていきたいと思います。
アジア歴史資料センター の『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/7 明治27年6月13日から1894〔明治27〕年6月30日(レファレンスコード:B03030205300)』から。
38→37画像目。
イギリスの青木公使から陸奥への、1894年(明治27年)6月29日発『電受第334号』から。
Mutsu,
Tokio.
"The Times" 六月二十八日 contains statement of 李鴻章 about Corean question to the effect that China is suzerain of Corea.
Insurrection finished desires to withdraw but conjointly with Japan.
China admits our right to send troops but declines to overtures for joint occupation and administration or introduction of reforms to King with Japan and other Powers.
Please notice danger of last passage I have also previously established relations with "Times."
I am of the opinion that 天津 Treaty constitutes on China's part admission of a conjoint military protectorate.
This can be maintained by International Law and I used this argument here with good effect, You should not lose sight of this point in our favour.
I am taking also cautious means to draw over British Government to us by showing that China cannot be trusted with guardianship of Corea against Russia which is chief motive of British very friendly attitude toward China.
I recommend to publish eventually 天津 Treaty and your proposals to China together with our intention of introducing civilization into Corea.
Please send sufficient extra expenditure for political and personal purposes.
在英公使
6月28日付けのタイムスは、朝鮮問題について清国は朝鮮の宗主国である旨の李鴻章の声明を載せている。
反乱は終結したので、日本との同時撤兵を希望する。
清国は日本の出兵権は認めるが、日本や列強との共同占領や共同統治、共同での高宗への改革提議についての提案は拒否している。
・・・つうか、何その共同占領とか共同統治とか「列強との」とかって。(笑)
しかもお前、「在京城公使の力で高宗を説得して、行政なり財政なり軍事なりを助言・勧告するのはオッケー」って言ってたじゃん。
分かっててやってるのやら、本当に分かってないのやら・・・。
で、最後の一節に注目して欲しい、と。
んー、ピリオドとかの場所が違う気がする・・・。
私は前もってタイムスとの関係を樹立した。
私は、天津条約は清国側と共同軍事保護権を制定したものであるという見解を持っている。
これは国際法によって主張することもできるし、イギリスではこの論拠により良い効果を収めた。
我々に有利なこの点について、見逃してはならない。
つうか、天津条約で共同軍事保護権が成立したって、本当かよ。
青木、何かずれてる処があるっぽいので、信用できねぇんだよなぁ・・・。(笑)
で、私は、イギリスが清国の方に非常に友好的な態度をみせる根本的な動機である、ロシアに対抗するための朝鮮の保護について、清国に任せられない事を見せることで、イギリス政府を日本側に引き込む慎重な方法をとっている。
私は、ゆくゆくは天津条約と清国との共同による朝鮮への文明化の導入についての提議を発表することを提言する。
最後に、政府や個人を目的にした充分な追加経費を送れ、と。
ここでも工作費ですね。
さて、続いてはアメリカの反応。
同じく38画像目から。
アメリカの建野公使から陸奥への、1894年(明治27年)6月29日発『電受第336号』より。
Mutsu,
Tokio
On receiving your telegram of 六月二十二日 I explained informally to the Secretary of state situation in Corea.
I infer from a conversation with secretary of state today that the Corean Minister has asked intervention of United States representing that China is prepared to withdraw troops but that Japan declines to do so demanding changes in Corean Government.
Although the United States will not interpose in the Corean question, it is desirable that I should be more fully informed as to the attitude of Japan.
在米公使
39画像目に訳文が載ってますが、面倒くさいのでテキスト化は省略。(笑)
6月22日の貴下の電信ってのは、恐らく3月4日のエントリー で西公使経由で送られた1894年(明治27年)6月21日発『電送第234号』の事でしょう。
それを受け取った後、アメリカの国務大臣に面会して朝鮮事情を非公式に説明した。
本日の国務大臣との面会から、朝鮮公使が清国は撤兵を望んでいるのに、日本は朝鮮政府の変化を厳しく要求し、撤兵を拒絶しているという事を述べ、アメリカの調停を願っていると推測される。
で、アメリカは朝鮮問題に関して中間に立つ事はしないだろうけど、建野はもう少し日本の意向を詳しく知りたい、と。
まぁ、アメリカは利害があまり直接絡まないので、建野公使のとこにもそれほど情報行って無いんでしょうね。
続いては、再びイギリスの青木公使からの電信。
40画像目。
1894年(明治27年)6月29日発『電受第338号』。
Mutsu,
Tokio
Minister for Foreign Affairs sent for and told me that British Minister to China reported that 李鴻章 had invited Russia to intervene in the Corean question in order to exercise pressure on Japan.
Under these circumstances a great complication might arise to which England could not be indifferent.
Minister for Foreign Affairs requested me to induce you to communication of your demands on China and Corea probably with a view of mediating for their acceptance.
在英公使
これも41画像目に訳文が載ってますが、それもテキストにはしないでおきます。
イギリス外務大臣に呼ばれ、在清イギリス公使の報告によれば、李鴻章は朝鮮問題について日本に圧力をかけるために、ロシアの仲裁を頼んだ、と。
このような状況を受けて、大きな紛糾を生じる恐れがあり、そうなればイギリスとしても無関心ではいられない。
イギリス外務大臣は、日本から清国及び朝鮮政府に向かって提議した要求の件を、陸奥から通知するように青木に請求してきた。
日本の提議を承諾させるように仲裁する目的だろう、と。
んー、パワーゲームだねい。(笑)
つうか、昨年の4月16日のエントリー の1894年(明治27年)6月16日付『電送第208号』の心得の部分の話とか、5月26日のエントリー の1894年(明治27年)6月21日発『電送第234号』とか、どうなってるんだろう???
ってところで、今日はここまで。
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日清戦争開戦まで(十九) 日清戦争開戦まで(四十九)
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日清戦争開戦まで(二十一) 日清戦争開戦まで(五十一)
日清戦争開戦まで(二十二) 日清戦争開戦まで(五十二)
日清戦争開戦まで(二十三) 日清戦争開戦まで(五十三)
日清戦争開戦まで(二十四) 日清戦争開戦まで(五十四)
日清戦争開戦まで(二十五) 日清戦争開戦まで(五十五)
日清戦争開戦まで(二十六) 日清戦争開戦まで(五十六)
日清戦争開戦まで(二十七) 日清戦争開戦まで(五十七)
日清戦争開戦まで(二十八) 日清戦争開戦まで(五十八)
日清戦争開戦まで(二十九) 日清戦争開戦まで(五十九)
日清戦争開戦まで(三十) 日清戦争開戦まで(六十)
さて。
今日は前置き無しで早速。
今日の史料は、『駐韓日本公使館記録2』から見ていきます。
まずは、1894年(明治27年)6月29日付『第62号』から。
敬啓者竊聞清国兵丁之屯駐天安者向全州前行等説本公使雖未悉此説之果属確実惟曩拠貴暦甲午五月十五日第十五號
来文内開昨接我巡辺招討両使電稟内称湖南匪魁既已就殲脅従餘党之散逃者齊訴乞哀亦皆釈去兵器翕然帰化妖氛永銷云々而今忽有淸兵南下之説本公使聞之竊不得無所疑惑者焉蓋謂
貴督辨雖向本公使聲明南匪業已剿定而実則未曾一體肅清因由
貴政府更請清兵前進以期収剿滅実効者乎爲此函請
貴督辨明晢垂
示以釈本公使之惑則幸甚耑此泐佈順頌
台祉
天安に駐屯している清国兵が全州に行ったという噂を耳にした。
この話が果たして確実なものかどうかはまだ分からないが、2月13日のエントリー でとりあげた1894年(明治27年)6月18日付『第15号』では、「巡辺使と招討使の両使から、「湖南の匪賊の主魁はもう殲滅し、脅されて従っていた者も逃げ散って、一斉に哀願しながら武器を捨てて帰順したので、妖気は永遠に消えた」と言ってきた。」とか言ってたのに、清国兵南下の話聞いたら信じられなくなってきたよねぇ。
お前、俺に東学党の乱は鎮圧したって言ってたけどさぁ、本当は掃討できないから清国にまた頼んで剿滅しようとしてんじゃね?と。
もの凄い罠チックな照会。(笑)
「頼んで無いnida!<#`Д´>」って言えば、東学党の乱が鎮定されている筈なのに、朝鮮政府に断り無く勝手に軍を動かす清国について突っ込めるし、「頼んだnida。<;`Д´>」って言えば、鎮圧報告自体が嘘に。
結局、「そんな話は知らないnida!」ってしか返事できないという。
まぁ、その時は知らないで通せるかも知れませんが、事実が出てきた時には同じ事か。
で、同日付けで属邦問題についての照会の督促も行われています。
1894年(明治27年)6月29日付『第63号』。
逕啓者所有貴国自認為清国属邦與否昨経以公文第五十九号照詢限於本日内確切核覆等因在案而迄今仍杳如不見
明覆惟査此事攸関甚重不可稍事従容因限本日夜十二點鍾務必確覆倘仍宕延則本公使亦自有所決耳特此預先聲明即希
貴督辨諒照可也肅此順頌
晩安
貴国が清国の属邦であることを自認するかどうか、6月25日のエントリー の1894年(明治27年)6月28日付『第59号』で照会して、今日中に返事寄越せって言ってあったけど、まだ明確な回答もらってねぇんだよなぁ。( ´H`)y-~~
重大でのんびりしてられる話じゃないから、今夜12時までに必ず返事よこせよ。
もし引き延ばしたら、俺も考える所があるからな、と。
6月18日のエントリー から始まる1894年(明治27年)6月28日付『機密第110号』や、7月14日のエントリー の1894年(明治27年)6月29日発『電受第112号』で述べてた大鳥の考えどおりに、矢継ぎ早に属邦問題について手を打ってる感じ。
で、これに対する外務督辨趙秉稷の回答。
1894年(明治27年)6月29日付の書翰より。
逕復者頃展
大函悉為清国属邦與否本日夜十二鍾務必確復一事閲悉種切査本督辨値有要公進
宮稍緩修復斂悚良深擬於明天内容圖佈復尚望諒原可也耑此順頌
台祉
清国の属邦か否かについて今日の12時までに返事しとってのは見たけど、俺ちょっと参内しなきゃ駄目なんで回答を延ばしてくれよ。
明日中には回答すると思うからさ、と。
この書翰を日本側で受け取ったのは、30日の午前3時半。
既に期限過ぎてますが・・・。
つうか、即答できんもんかね?(笑)
まぁ、「誰か」の指示がなきゃ返事もできないのかも知れませんが。
さて、続いてはロシア方面の動向について。
アジア歴史資料センター の『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/10 明治27年6月29日から明治27年9月8日(レファレンスコード:B03030207000)』。
13画像目から。
1ヶ月半も経った8月14日になってようやく接受された、在ロシアの西特命全権公使から陸奥への、1894年(明治27年)6月29日付『機密第8号』より。
本月26日を以て、朝鮮事件に付閣下よりヒトロヴォ公使へ御答への趣相通ぜられ、之を当国政府へ可申渡との電信は、昨28日晩に■■有之候。
本日は、当国の外務次官シーシキン氏は不在なりし由(外務大臣は猶病気にて府外に在り他人に会はず)。
アジア局長に面会し、我政府より貴国政府へ申出之事あり。
右は誰へ話して然るべきやを問ひしに、若し朝鮮事件なれば拙者聴くべしとの答へに付本人に御訓諭の趣を陳へ、且同局長は之に対し、当国政府の名を以て猶勧告したる大略は過刻電信を以て申進置候通りにて、■り■■■於ては我邦の朝鮮をして内政を改革せしめ、其独立を保たしむるの目的には賛成する所なるも、之を達する為め乱既に定りし後、猶兵を彼地に留め置て両方の兵の衝突すべき危機を顧みられざるの一事に至ては解せざる所なり。
如何となれば、若や両国の兵衝突して遂に戦争に■■■日には、各国の交渉亦自ら免れざる所なれば、其戦争たる両国間の事に止らざるべし。
然る時は、貴国の責任亦大なるを知るべし。
故に我政府に於ては、貴国の清国と共に早く兵を引揚せられ、所望の件には交際手段に由て平和的に談判を遂けらるるを望み、之を勧告すとの趣意にて有之。
又拙官には、貴国に於て既に我政府の目的を賛成せらるる以上は、其目的の早く達するを望まるるこそ当然と思ふなり。
我方に於ては平和趣意なるを以て、若し内乱再発の虞なく、且後ちに尋常の外交手段に由て我目的を達し得る見頭あれば兵は既に引揚げし事なるべくも、事此に至り、清国に於て我要求の一を承諾せざる間は外に致方なし。
両国の兵、出先に於て衝突の危きは、我に於ても顧みざるに非ず。
故に之を避くるの術は盡し居れり。
然ども是固より其安全を保証し得らるべきに非ず。
何れにしても、現今の論は清国の取捨如何に在れば、将来の出来事に至ては我の知る所に非ず。
隨て、我の責に任ずべきに非ず等の趣を以て弁じ置候。
然れども、到底各々自己意見の弁論に止り候。
抑々、当国の朝鮮に於けるや漸々之を懐て、平和手段を以て永遠其利を収むる方略を取り居、且常に我邦の朝鮮を分取するに意あるを疑ひ居候へば、清国の朝鮮を保護し其成形を保たしむるは我邦の侵略を防ぐ為め利ありとして居候処、今忽ち事変発して兵を用ひざるを得ざるに至候如きは、其好まざる所なり。
故に是非とも之を止めんと欲する事と■察候。
然し、若し調停の策行はれずして弥々我と清国と戦争にても相成る日には、当国は朝鮮国の完全を維持するを名として清国に同するか、或は独立の軍事挙動を為すか、何れにしても最初は朝鮮恢復を以て事とし、自己の私なきを示して思を朝鮮に帰するの策に出づべくして、略取の企てには及ばず候処と存じ候間、此段御参考に供し置候。
拙官の意見を陳ずれば、若し我方に於て清露両国と兵を交へ勝算ある者とせば、全力を挙げて我目的を達するも可なりと雖、今仮りに英国我に與之する者としても、英の利害関係の大小を考ふれば其応援の程度亦測り難く、且朝鮮自ら既に我の敵対の地位に在れば、此挙たる到底我邦の不利に帰する者と断定せざるを得ず。
故に、程善く処に局を結ばるる方得策と存じ候。
此段得貴意候也。
敬具
追て過日電信を以て数ヶ月前露国政府より清国に約するに、朝鮮国を完全に傷けざるべし。
亦其国事にも干渉せざるべきを以てせりと聞けりと報じ置候処、右は弥々事実なりしと聞かれ、此2、3月頃清露両国間に於てパミル問題を議するに当り、当国の在北京公使■■清国に於ては太た我の朝鮮を侵すことあるべきを憂へ居るにより、今若し我より其意なきを保たば大に清国の驩心を獲るを得べしとの趣を申出、由て之に従ひ右様約せしめたりとの事に候。
26日云々ってのは、5月26日のエントリー でやった1894年(明治27年)6月26日発『電送第246号』の事でしょうね。
ヒトロヴォとの対談中の、撤兵に関する趣をロシア政府に宣言しろってヤツ。
で、西公使は結局ロシアのアジア局長と面会してその旨伝えると、それに対して局長はロシア政府の名で何か勧誘したらしい。
「過刻電信を以て申進置候」って事は、これからやる英文電信の方に出てくるのかな?
で、ロシアとしては日本の朝鮮の内政改革と独立保持ってのには賛成するけど、その目的を達するのに、まだ兵を朝鮮に留めて清国と衝突する危険を顧みないのは解せない、と。
もし戦争になれば、各国の交渉も自然と免れず、それは戦争した日清両国の間に止まらないだろう。
そうなれば、日本の責任は重い。
だからロシア政府は、日本が清国と共に早く兵を引き上げ、日本の言う内政改革と独立保持については外交手段で平和的に談判する事を望み、これを勧告するって事だった、と。
そこで西公使は、ロシアが既に日本の目的に賛成した以上は、その目的を早く達成する事を望むのは当然だ。
日本は平和を趣意としているので、もし内乱再発の恐れがなく、かつ通常の外交交渉で日本の目的を達成できる目途が立ってれば撤兵するだろうけど、事ここに至って清国が日本の要求の一つでも承諾しない間は仕方ない、と。
日本も両国の兵が朝鮮で衝突する危険性を顧みていないわけではなく、それを避ける術は尽くしている。
しかし、安全を保証できるわけではない。
いずれにしても、現状清国の出方次第なので、将来何が起こるかは日本の知るところではなく、日本の責任とすべきでないといった趣を述べておいたけど、これは個人的意見としての弁論に留めている。
ロシアはそもそも朝鮮を徐々に手懐けて、平和的手段で永遠にその利益を得る方略をとっており、いつも日本が朝鮮を分捕るつもりじゃないかと疑っているので、清国に朝鮮を保護させとくのは、日本の侵略を防ぐために利益があるとしているので、今事変が起きて兵を用いるような事は好まない。
だから、是非ともそれを止めようとしているのだろう、と。
しかし、もし調停が不調に終わって日本と清国が戦争にでもなれば、ロシアは朝鮮の完全を維持する名目で清国に与するか、あるいは独自に軍事行動を起こすか、いずれにしても最初は朝鮮の回復を目標として、自分の私心が無いことを示して朝鮮に近づく策に出るだろうから、ロシアによる侵攻って事にはならないだろうと思う。
西の意見としては、もし日本が清露両国と交戦して勝算があるなら、全力で日本の目的を達成するのも良いだろうけど、例えイギリス辺りが日本の側についても、その利害関係を考えればどこまで応援してくれるかは分からないし、第一朝鮮自体が既に日本に敵対する地位にあるんだから、こういう公道は日本の不利になるものと断定せざるを得ない。
ってことで、適当なところで手を打った方が得策だと思う、と。
追伸部分では、数ヶ月前にロシアが清国に、朝鮮を傷つけずその国事にも干渉しない事を約束したと言う話を3月17日のエントリー の1894年(明治27年)6月23日発『電受第298号』でも報告したけど、これは事実だったようで、2~3月頃に清露両国の間でパミール問題の会議で、ロシアの在北京公使は清国では日本の朝鮮侵略を憂いているので、今ロシアにはその意思が無いことを約束すれば、清国の歓心を買うことが出来るだろうという趣を申し出、それに従ってそのように約したという事だそうだ、と。
何か、気がついたらもの凄ぇ長くなってるので、今日はここまで。
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