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・日本は「最初から」 アジアを敵視していた

 

 

2020年7月9日号 『週刊文春』記事より

 

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明治時代における大日本帝国の行いや、係る支配者たち思想はひどいものです。

 

出口氏の論述では、日本居留民が「殺害されたから」、怒った福沢が感情任せに書き、それだけで彼を否定することは出来ないとされますが、金玉均との絡みを深掘りしたり、福沢諭吉当時の大日本帝国支配層『主流言説』を考察すれば、極めて「黒」に近い結論が導き出されます。

 

‐福沢諭吉の思想をたどる(日本軍国主義の淵源)‐

 

 

『朝鮮の歴史 朝鮮史研究会編 編集代表 旗田巍』 三省堂 171頁より

 

そもそも日本は朝鮮を助ける気など毛頭なかったし、とにかく侵略して「自国領土」とした上で、かの『江華島条約』など、露骨に外国の主権を無視した事件や不平等条約を結んで、かの国に対する野望をたぎらせておりました。

 

金玉均グループに対する、日本政府からの借款で財政の「近代化」を実行など、当時の日本政府側には、もともと巨額の借款を彼に供与する気もなければ、そういう財政余力もありませんでしたし、ひとえに金玉均らを「親日派」に転化させて利用するために、無責任な空約束をしたに過ぎませんでした。

 

そして「三日天下」の革命が終焉すると、清仏戦争がおさまったあたりで、日本政府はすばやく無関係を装い、逆に臆面もなく公使館の損害などに対する朝鮮政府の賠償を強要して『漢城条約』を結ばせ、清国との間には、一時的妥協をはかるための『天津条約』を締結した。

 

亡命してきた金玉均らについては、これを厄介者扱いして、北海道から小笠原へと僻地に追いやり福沢諭吉らの態度も、政府のそれと何ら変わらず、自らの責任を棚に上げて朝鮮の開化派に言いたい放題の悪口を浴びせるようになり、翌1885年には『脱亜論』を仕上げ、後々と露骨極まりない侵略主義を公然と煽り立てるようになる。

 

何よりも、彼らが思想的バックに携えた『国学思想』こそが、自国優越×アジア敵視の結論へと支配者たちの考え決定的にし、その物言いは極めて傲慢かつ排他的、またエゴイズムに満ちたものであり、現代のアジア諸国に対する差別や敵対感情のベースとなっています。

 

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もとをただせば、その国学思想(日本版中華主義)のルーツは、圧倒的な中国文明に対する「劣等感」や「尊崇の意識」が内在化して、周辺国を見下したり、自国の優越主義にあわせ、それが近代の『帝国主義』と合致することによって、より悪辣さを増していったことは事実です。

 

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<参考資料>

 

・2020年7月9日号 『週刊文春』記事

 

・『朝鮮の歴史 朝鮮史研究会編 編集代表 旗田巍』 三省堂

 

 

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