福沢の脱亜論は、近代日本人の思想あるいは意識の重要な一面を代表するものです。


福沢の死後(1901年)も、脱亜意識は弱まることなく、むしろ日本の発展とともに強くなりました。


日本の学問・思想は、大ざっぱに述べますと、脱亜的傾向をもって発展したと言えます。アジアとくに朝鮮の研究においても、それが顕著です。


朝鮮に関する学術研究は、明治20年代から盛んになります。


そのうち歴史学者の朝鮮研究については、主に経済の研究で画期的成果をあげ、その後の研究に大きな影響を与えた福田徳三を取り上げます。



福田徳三は明治35年夏、朝鮮を旅行し、朝鮮の実情を見聞し、同時に資料を集めました。


その見聞・資料に基づいて、翌明治36年から37年にかけて『韓国の経済組織と経済単位』という論文を書きました。ここで述べられるのは、朝鮮経済の発展経過が日本とは違い、「日本より著しく落伍している」という点です。


彼にはすでに、『日本経済史論』という著書があり、そこでは日本経済史の発展過程が西欧のそれと同じ経過をたどり、日本は東洋諸国と違って西洋同様の歴史を持つことを述べました。これにより、明治以後の日本の進歩が単なる西洋文明の模倣ではなく、それを生み出す歴史的根拠が日本にあったことを主張しました。


西洋の歴史の発展過程を基準にし、それに日本の歴史があうかどうかを検討し、「あうことを知って」日本の歴史に自信を持ち、日本の近代的発展の将来に期待するという発想です。



はてさて、現在日本においては「自国をひたすら持ち上げる」粗悪なマスターベーション本に溢れかえっておりますが、彼の書籍もその先駆けかもしれませんね。


大体、福沢諭吉の『脱亜論』然り、現実とは全くそぐわない欧米への片思いに基づいて、西洋文明への擦り寄りで自国の自我を保つなんて、さすがは明治初期に日本人を西洋白人への作り替えようとした「民族改造論」を唱えた国だけあります。


そして、まだまだ福田の論は続き、このような脱亜的思考をもってして、より一層、当時の朝鮮経済へのディスりを展開しまくります。



彼は、朝鮮の政治組織・社会組織・土地所有関係・商業機構・興行形態などを検討したのちに、朝鮮経済の著しい後進性・その落伍の根源としての封建制度の欠如を指摘し、朝鮮の現状は日本で言えば封建制度が成立していなかった藤原氏段階に相当すると言いました。


彼によると、西洋近代社会を生み出したのは封建制度、その存否が近代的発展の可能・不可能を決定するとしました。日本は西洋と同様に封建制度をもったから近代社会への発展が可能だったが、朝鮮は封建制度成立以前の極めて幼稚な段階にあるから、近代社会への自主的発展は望めないとしました。



はぁ・・・。こうやってアジアを見下して自分のマスターベーションに染まるから、近隣諸国から嫌われるんですよ。「嫌われるには理由がある」とネトウヨは、自身の差別の言い訳として口にしますが、最もそれは日本に当てはまることだと思います。江戸時代以前の国学~明治以後から、アジアを貶め、自らの同じグループに属しているのにも関わらず、腹の底では中華の「皇帝国」となりたいためとは言え、このような傍若無人な態度は、まったく弁明の余地はありません。


第一、福田が述べる「封建制度」が近代社会への発展の理由だったと言っていますが、イギリスが産業革命を起こしたのは1700年代後期同じ封建制度を持ったフランスが同革命に至ったのが数十年遅れて1830年代、またドイツに至っては、封建主義のせいで国がまとまらず、英仏に比べ近代化に大きく後れを取ってしまったくらいです。


そして福沢が恋い焦がれたアメリカについては、「封建制度」そのものがなく、黒人奴隷制に基づく共和制度で、一気に世界一の経済大国にまで昇りつめました



ましてや専制色の強い中欧の大国、ハプスブルク家のオーストリア・ハンガリー帝国、さらなる東のロシア帝国に至っては、封建制度云々以前に、農奴所有を主体とする完全なる皇帝独裁国家でありました。


こんなのも福沢諭吉は「強大文明国」、つまり近代化された欧米先進国とランク付けしたわけですから、その思想を強く受け継ぐ福田徳三にしろ、設定がガバガバすぎと言うか、彼の言う「封建主義」に基づく発展理論は完全に破綻していると言えます。


まあ結局、「西洋サマ」に少しでもお近づきになりたいが故のこじつけだったんでしょうが、少しでも「似ている」と思った点は、針小棒大に祭り上げて「ボクちゃん日本は優秀国」としたかったのでしょう。



そんなくだらない事を、いちいち学問のフィールドに持ち込んでほしくはありませんが、妄想なら手前の頭の中だけならまだしも、これを明治日本全体で共有し、その毒牙を近隣諸国にまで振りまいた罪は許しがたいものがあるでしょう。



<参考文献>


・『アジア・アフリカ講座 日本と朝鮮』第三巻 勁草書房