『南北統一図』
https://ameblo.jp/cluttered-talk/
・日本社会の「大衆意識」とは何か?
本題に入る前に、ぜひ話しておかなければならないことがあります。
‐日朝・日韓歴史問題 自国史を再認識して「引きこもり思考」から脱する‐
こちらの方で、日本と朝鮮半島を取り巻く、さまざまな事象の考察と、その解決策についての意見を述べさせていただきました。
自分たちの「信じたい物語」に固執したり、感情を振り回して満足するだけの無責任な人々が多い中、世界レベルで日本が置かれている「深刻な状態」について、英語ブロガーのMichikoさんのお力も借りながら、拙ブログでは多くの警鐘記事を書いてきました。
未だに続く、日韓や日朝における「対立」(中国の関係においてもそう)、在日コリアンに対する差別にしろ、私としては「日本人の歴史知識の欠如」が、主たる原因として常にあったと感じている。
日々記事を書きながら、多くの問題を深掘りする過程で、それを認識する場面が数多く積み重なってきた。さらに言うと、これら歴史や政治、社会問題についての日本人自身の「無関心」「怠惰」が招いた結果だろうと、究極的には断言できる。
‐政治的無関心はこれだけヤバい!社会を壊されれば自分も壊されるのを知らない人たち‐
若者以外に、それ以上の世代においても、このような意識が「横断的に」日本社会を支配しています。
こちらの方で、友人の美容室の店主の「意識」について、40数年一度も選挙に行ったことがなく、山本太郎代表を含め、れいわ新選組についても、とても否定的な意見を持っていました。
話の中で見えてきたことは、「なぜ障害者を国会へ送るのか」「(舩後さんに至っては)文字盤なんか使って、仕事なんて出来るのか」という注文をぶつけ、生活保護に関しても、近親者の例を出して「彼らは、専用の公団アパートまで住んで、職員にゴネて、ものすごい得をしている」と、一部の体験だけで全体を語って、彼らへの露骨な差別意識を露わにしました。
しかしながら、概ね「政治的無関心層」について、若者の間で自民党支持が多いことを含め、これが、何千万も構成する日本社会における「意識」の総体なのだろうと、私自身は深く感じました。
そりゃ、ダメな国になるわなって。
・歪められた朝鮮史像
‐シリーズ 日韓会談と在日朝鮮人 その3(植民地支配に無反省な日本)‐
そうした意識をベースに、アジア諸国との関係においても、「まったく歩み寄りを見せない」日本人の姿は、うすうす納得のいく結末なのだろうと思う。
消費税も10%に上がり、経済も衰退し、日本全体がオワコンになっている中、今こそ「自分たちを変えなくてはいけない最後のチャンス」なのに、大局的な思考ができず、人の意見を聞いたり、深掘りした知識を身に着ける努力もせず、マスコミの言うことを鵜呑みにし、果ては自分たちの享楽のみに没頭する姿は、一種の終末的な風景なのかと絶望する。
殊に朝鮮半島との関係では、何かと自分たちの気に入らない批判について、何の論理も持たず「反日」とレッテル貼する姿は、まさに『反知性』の極みと、衰退国家における国民の「成れの果て」だと思いますが、まず「原点は何なのか」と探らなくてはいけないでしょう。
『韓国併合』
当時1910年8月30日付の『東京朝日新聞』(第三面)より
http://isi-taku.life.coocan.jp/newpage5.html
かつて日本が朝鮮を支配していた時代には、日本人が朝鮮史研究をほぼ独占していた。
朝鮮人による朝鮮史研究は抑圧され、他の外国人も朝鮮史研究に手を付けなかったので、朝鮮史研究はまさに「日本人の独壇場」でした。
そして、ずいぶん多くの業績があらわれ、個別的分野では精密な研究も出ましたが、物事の大本として朝鮮史の「全体像」を描くときには、例外なく、朝鮮はつまらない取り得のない国と印象づけるような歴史像を作り出した。
朝鮮社会は、ひたすら「停滞・落伍」していて、自力では発展しようがなく、日本と比べると李朝末期の朝鮮は平安朝の段階にとどまっていたという『停滞論』。
日本人と朝鮮人は同祖同源で血のつながりがあると同時に、大昔から日本が朝鮮を支配していたという『日鮮同祖論』。
さらに、朝鮮には独自の歴史がなく、朝鮮史なるものは大陸勢力の「朝鮮半島における波動にすぎない」とした『満鮮一体論』。
朝鮮人には、自力で歴史をつくる能力がなく、いつも大陸あるいは日本の強い勢力に依存していたという『他律性史観』が、当時の有力な歴史家によって主張された。
ハッキリ言いますよ。こういう他者に対する敬意もクソもない妄想を垂れ流す国家が、どうして尊敬されるのでしょう。もちろん、これらの思考の大本には、古くからある天皇崇拝の『国学思想』があったわけですが、そのすべては「超大国である中国へのコンプレックス」だったわけです。
‐韓国が天皇を「日王」と呼ぶ理由(中国と日本における文明比較の話)その1-
‐韓国が天皇を「日王」と呼ぶ理由(中国と日本における文明比較の話)その2‐
むやみやたらと、『皇』に固執したり、何百歳も生きた天皇を平気で書きつらねる『記紀』を史実と捉えたり、そもそも日本における歴史というものは、古代ギリシアにおけるヘロドトスやツギジデスのような「自由な探求心」から来るものではなく、その王朝を正当化するための史(フミ)でしかなかった。
このような、大きな矛盾を抱えた意識のもと、朝鮮総督府は任那日本府の復活であり、韓国併合は日本と朝鮮の関係を「昔の本来の姿にもどしたものだ」とすることまで、さかんに唱えられました。
同紙 第一面(広告その2)より
http://isi-taku.life.coocan.jp/newpage5.html
こういう考えによると、朝鮮は日本よりずっと遅れた国、大昔から日本の支配下にあった国、自立できなくて外国勢力に依存せざるえない国ということになります。ゆえに、そこからは「朝鮮はつまらない」という印象しか出てこない。
こういう隣国を蔑む意識は、人々から知的探求心やコミュニケーション能力を削ぐことになり、それは「ブーメラン」となって全部自分たちに跳ね返ってきます。
Will you accept a presence of foreign military?②
朝鮮を「のび太」に仕立て上げ、「ジャイアン」アメリカにひたすら媚びを売る「スネ夫」日本が、足元を見られ、世界的主潮からは取り残され、浮きまくった行動をし続ければ、その行く末はただただ暗いものでしかない。
ほんとうに、日本人自身が「意識を変えなければ」、大変なことになってしまう。
もうすでに、その片足が底なし沼にハマっている状態です。
話をもどすと、当時の日本当局者は、朝鮮の独立解放運動を警戒し、それに徹底的弾圧を下すと同時に、朝鮮人が民族意識をもつこと自体を恐れ、その民族的精神を抜き去るために異常な力を注いだ。
‐近くて遠い国 朝鮮 本編7(李氏朝鮮→大韓帝国→日韓併合)‐
同化政策・皇民化政策がそれである。
‐シリーズ 日韓会談と在日朝鮮人 その4(過去の歴史を振り返る)‐
‐シリーズ 日韓会談と在日朝鮮人 その5(徴兵・徴発・強制連行)‐
‐シリーズ 日韓会談と在日朝鮮人 その6(支配と同化が残したもの)‐
前述の朝鮮史像(『停滞論』『日鮮同祖論』『満鮮一体論』『他律性史観』)は、そういう植民地政策の中で生まれ、目的に叶うものでした。
朝鮮人にとって目を覆いたくなるような朝鮮史像が、教育や報道などを通じて朝鮮人に注入された。
それは朝鮮人にとって耐えがたい侮辱であり、当然反発した。しかし、強大な権力を背景にして、こういう歴史像が罷り通りました。
同様の朝鮮史像は、日本人にも注入された。それは朝鮮人の場合とは違い、あまり反発なしに受け入られた。それは当時、『皇国史観』が力を振るっていたことと密接な関係があった。同史観は、朝鮮支配の「天皇の恩沢」の普及、国威の発揚として礼讃されました。
『「朝鮮人を我が日本国民とし」云々』(1910年8月10日 『国民第一新聞』第一面より)
http://isi-taku.life.coocan.jp/newpage5.html
皇国史観の押し付けには、日本人の中にも相当の反発がありましたが、その中の「朝鮮に関する部分」は、あまり抵抗もなく日本人に受け入られた。
日本帝国主義の朝鮮支配に反対し、朝鮮人の解放運動を支持した者でさえも、古代日本の任那経営や朝鮮社会の停滞性・落伍性については同様の考えを持ち、それに疑問を抱かなかった。
戦後、日本の歴史研究や歴史教育は、皇国史観の束縛から解放され、目覚ましい変化と発達を遂げました。もはや皇国史観を主張する者は、ほとんどいなくなりました。朝鮮史についても神功皇后の『三韓征伐』(高句麗・百済・新羅)における新羅を「制圧」して国王を降参させたとか、韓国併合が朝鮮人への恩沢であるとか、侵略を露骨に礼讃して誇示することはなくなりましたが、現代においては、再びそのような言説がネットや巷で溢れかえっています。
無論、その根源にあるものは、今も日本人の持っている朝鮮観が、従来のものを克服できていないためであり、これらの延長線上の意識を引きずった人間は、しばしば表舞台に登場したりもする。
また、朝鮮が古くから大陸、特に中国の圧倒的影響下にあったという考えも、なお強く残っている。しかし、これ自体は「日本を含めて」事実だと思います。
中国の冊封体制について、当時最先端の政治哲学の理論から編み出された膨大な経学主義の賜物であり、儒教がおどろおどろしいシャマニズム的宗教主義の時代から徐々に進化していき、最終的には礼教制度として確立し宗教性と完全に分離して、2000年以上まで続く歴代王朝の統治理論として君臨した。つまり、これが東アジア文明国である事としての何よりのあかしでした。
それ以降時代をくだっていくと、儒教の礼教主義は朱子学へと変貌し政治論から宇宙論・存在論といった形而上学として更なる進化を遂げますが、これらを一言でいえば、「いかに戦争をしないか」という思想を突き詰め、大国と小国が共存しあって生きる、北東アジアの平和の伝統というべきシステムなのです。
しかし、時には戦争が起きます。
その時は、朝鮮半島にしても、当時世界帝国であった隋唐(これら二国は騎馬民族の征服王朝)相手に、何度も戦争に勝利してきた。
また近代においては、アジアで唯一「ヨーロッパに勝った国」であり、ナポレオン三世のフランス帝国による侵攻を退けています。
<参考資料>
・『朝鮮の歴史 朝鮮史研究会編 編集代表 旗田巍』 三省堂
・Cluttered talk blab blab blab 『60年前のアルジェリア独立戦争時の残虐行為を認めたフランス』記事
https://ameblo.jp/cluttered-talk/entry-12404944182.html
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