前回の記事

 

‐東アジアの今とこれから その10(大逆事件と明治社会主義者の総括)‐

 

 

 

韓国併合

 

当時1910年8月30日付の『東京朝日新聞』(第三面)より

 

http://isi-taku.life.coocan.jp/newpage5.html

 

 

同紙 第一面(広告その1)より

 

http://isi-taku.life.coocan.jp/newpage5.html

 

 

同紙 第一面(広告その2)より

 

http://isi-taku.life.coocan.jp/newpage5.html

 

 

『「朝鮮人を我が日本国民とし」云々』(1910年8月10日 『国民第一新聞』第一面より)

 

http://isi-taku.life.coocan.jp/newpage5.html

 

 

韓日併合を暗示した絵葉書(1909年発行)。日本人(右)が上から目線、朝鮮人は下から見上げている(民団ホームページより)

 

http://www.mindan.org/front/newsDetail.php?category=0&newsid=22852

 

 

「小見川、加藤、小西(豊臣秀吉の朝鮮侵略時における武将)が世にあらば、今宵の月を如何に見らむ」

 

「大閻を地下より起し見せばやな、高麗やま高く登る日の丸」

 

(朝鮮併合条約調印が終わった夜に、宴の中で詠まれた、統監寺内正武と、宴に侍していた小松緑との唱和)『明治史実、外交秘録』(1927)

 

 

 

石川啄木(Wikiより)

 

https://en.wikipedia.org/wiki/Takuboku_Ishikawa

 

地図の上朝鮮国に黒々と墨をぬりつつ秋風を聞く

 

「啄木の批判は1910年9月9日に作った1首の歌でなされた」『石川啄木韓国併合批判の歌 六首』(近藤典彦氏・執筆)より

 

http://isi-taku.life.coocan.jp/newpage5.html

 

 

「この歌は石川啄木の『朝鮮併合』批判の歌として有名だ。日本国政府は『韓国』という呼び名も『朝鮮国』と言う呼び名も拒否して樺太や台湾と同じく朝鮮としたが啄木は『朝鮮国』としている」

 

「今から100年前の1910年8月29日の官報に韓国『併合』が公布された。啄木は『朝鮮併合』を1910年8月29日直後の時点でメディアを通して批判した唯一の日本人だ。9月9日に執筆を始めたと思われる『時代閉塞の現状』は強権に真っ向から闘いを挑むもので朝日新聞への掲載を断られた」

 

『石川啄木韓国併合批判の歌 五首』(『大津留公彦のブログ2』)より

 

http://ootsuru.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-8bef.html

 

 

この詩については、以前拙記事で触れたことがあります。

 

‐本田圭佑選手が朝鮮学校訪問の理由を語る‐

 

 

 

東京朝鮮中高級学校 도꾜조선중고급학교 Tokyo Korean Junior and Senior High SchoolFBより)

 

同 『思いやりで差別を解消(東京朝高学生の記事 東京新聞より)&本田選手が朝鮮学校で語った事の共通点』記事より

 

https://ameblo.jp/sanpurena/entry-12411346469.html

 

 

『大逆事件』にて、幸徳らが投獄された3カ月後に、日本の朝鮮併呑は名実ともに歴史となりますが、その直後1910年9月15日付の『週刊平民新聞』は、『日韓併合と我責任』と題して、次のような驚くべき論文を掲載しました。

 

日韓併合は事実となつた。之が可否を云々する時ではない。今日の急務は我新朝鮮を治むるに当り高妙なる手段方法を用いることである。彼等が我に同化するとか仕ないとかは問題ではない。朝鮮人に是非共与へなければならない物が一つある。此一を与えざれば彼等は我に禍するかも知れぬ。厄介者となるかも知れない。其一とは何であるか他なし日本帝国臣民としての独立心である

 

抑も朝鮮は我よりも古い歴史を持って居る、古き文明国である。然るに数千年の間確固たる独立を為し得なかったのは国人が此独立心を欠いて居たからである。土台のない柱の如くグラく(グラグラ)者であった。

 

支那に屈し日本に底頭し露国に親しみ誠に早や生気地(意気地)のない歴史斗り(然り)である。これが終に今日の併合となつた運命である。

 

然らば日本たる者は非常なる誠意を以て朝鮮人を養成して立派なる日本帝国臣民と為すにある。若しも此一事を日本が政事教育を以つて将た社会的待遇と経済的地位を与ふることに由つて成し遂げなかつたらば、朝鮮人は我厄介者で或は禍本となるかも知れない。

 

彼等が我為めにならないのみならず、朝鮮人其者に取つても大なる不幸である。彼等は今ほ尚ほ未開の人民である指導教育は我責任である。

 

日本帝国は拡張された。千三百万の人民は一時に増加した。若(も)し彼等新民をして真の独立を貴ぶ帝国臣民たるの義務と責任を尽す者とならず過去の如き者であつたならば、拡張して却つて(かえって)強くならない結果となるの恐れがある。此れ実に重大問題である。為政者は固より全日本国民は個人とし社会団体として彼等を誘導教育し新同胞として立派にする必要がある。是れが吾輩の併合に対しての所感である。

 

もうここには、それまであった日朝中の『連帯』は、存在しません。

 

かつて田添鉄二の『日韓両国の平民』など優れた論文を掲載して、朝鮮侵略に反対した新聞でさえ、このような論文が掲載される始末でした。

 

私が思うに、相当の圧力があったかもしれません(もしくは感じていた)。

 

書きぶりの変化から容易に想像できます。

 

実際、志を共にしていた幸徳秋水ら数多くの社会主義者らが、明治の帝国政府の強権によって、いともたやすく検挙され、投獄の目に遭えば、すぐさま処刑へと事が進む。こうした背景や現実を肌身で感じ取ったら、それはビビらざる得ません。

 

そう考えると、石川啄木の「すごさ」が半端ない。

 

時代が帝国主義となり、血も涙もない欧米的価値観が流布しまくった結果、そうした思考を一挙に受け入れた日本人としても、それまであった北東アジアの文化や秩序を否定し、己自身を「欧米人」として捉えるようになったことで、闇雲に朝鮮を貶め、中国を憎み、自らの力を過信して、驕り高ぶった果てに、原爆投下の敗戦を迎え、主権が消えさり、今もなお続くアメリカの『植民地』と成り下がりました。

 

こうした事実をみて、皮肉にも、彼らの言うような「グラグラ者」「意気地のない」惨めな敗戦国として、日本自身が陥ってしまったこと。

 

先々も、苦しい立場に甘んじてて良いのか。私は、三度も首脳会談を実現した南北朝鮮の姿を見て、これではいけないと、今こそ先人たちの意思を継いで、「和解」「統合」に向けた努力を、日本は貫徹していかなければならないと思います。

 

それこそが、本来の東アジアの『あるべき姿』だと、私は強く感じるのです。

 

 

<参考資料>

 

・『石川啄木韓国併合批判の歌 六首』(近藤典彦氏・執筆)記事

 

http://isi-taku.life.coocan.jp/newpage5.html

 

・貴重な風俗や風景を在日1世が収集…『日本統治下の絵葉書でたどる済州島』 在日大韓民国民団(MINDAN)ホームページより

 

http://www.mindan.org/front/newsDetail.php?category=0&newsid=22852

 

・『アジア・アフリカ講座 日本と朝鮮』第3巻 勁草書房

 

・『明治史実、外交秘録』(1927) 小松緑著

 

・大津留公彦のブログ2 『石川啄木韓国併合批判の歌 五首』記事

 

http://ootsuru.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-8bef.html

 

・かっちんブログ 『思いやりで差別を解消(東京朝高学生の記事 東京新聞より)&本田選手が朝鮮学校で語った事の共通点』記事

 

https://ameblo.jp/sanpurena/entry-12411346469.html

 

・『アジア・アフリカ講座 日本と朝鮮』第三巻 勁草書房

 

 

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