とりわけ「日鮮同祖論」は、朝鮮併合後、日本が朝鮮支配の政策とした同化政策・内地延長政策にはもってこいの、まことに好都合な考えでした。
最もこの思想の源流は、直接には江戸時代の国学でしたが、もっとさかのぼると、神皇正統記さらには『記紀(古事記・日本書紀)』にまで行きつきます。
それは日本人にとって、非常に根深い観念であり、神国意識が強調されるときには必ず出現する意識です。
昭和初期に「昭和維新」がさけばれたときには権藤成卿の『南淵書』(南淵とは天智天皇の師で大化改新を指導した人。この書は大正11年に摂政=昭和天皇に献上された)が問題になりましたが、その内容は日鮮同祖論的記述です。
無論、日本の古代天皇制国家の成立が朝鮮と密接に関わったことは争えぬ事実です。
しかし、それが日鮮同祖論的意識によって取り上げられたことが問題なのです。
明治時代に日本の近代史学が成長するとき、古代における日本と朝鮮の関係が大きな問題になりました。
日本の近代史学は明治20年代から進展し、当時朝鮮問題は朝野の関心を集めた大きな問題で、歴史家はじめ、言語学者・法制史学者・地理学者など各方面の学者たちがこぞって朝鮮研究に向かいました。
日本の学会で朝鮮研究が一番さかんであったのは、明治20年代~30年代です。
歴史家で朝鮮を研究した者は、大別すると二通りです。
これは前述にも述べましたが、日本史の立場からの朝鮮研究が第一に、他の一つは東洋史の立場からの朝鮮研究があります。
どちらも朝鮮古代史を研究しましたが、その方向はずいぶん違うものでした。
<参考文献>
・『アジア・アフリカ講座 日本と朝鮮』第三巻 勁草書房