1の続きです。


無題 (タイトル)

>つまり中国との対等な国は地上においてどこにも存在せず、ましてや極東の小国なんかに「おお、天皇陛下さま」(笑)とかいうと思っているの?

イギリスに日本にも”形式上の儀礼”をさせたことが、”中国と対等な国はどこにも存在しない”か?
アホな中華思想の極みだな
その後、すぐにイギリスにコテンパンにやられ開国させられ、あっと言う間に日本含め西洋10か国にも上る国から侵略された国と”対等な国は無かった”か?
大笑いだな。
たしかに”対等な国は無かった”、中国など地に落ちた最弱国と肩を並べるような国は確かにいなかった。まぁそれよりはるか下に朝鮮はいたがな(爆)

大中華思想崇拝の馬鹿者よ
知識だけ身に着けて本質を全く理解できていないアホよ
お前ほど勉学に金を無駄にしている奴はいない
俺が断言してやる(爆)
 
Posted by hokk
2013.03.21 Thu 09:42 編集

ええー・・・(呆) (タイトル)
>漢字が本格導入されていないから、その波と一緒に名前も作った?


↑? 何を行っているんだい?

だから漢字が導入された時点で、朝鮮固有の性の変遷はそれが地域に波及してそれを使う人々が中国から蔑まれた国号(濊貊の「濊」は「穢」とも当てる)や尊大な農耕民の王朝からけがわらしい種族、けものじみた種族、最初のうちは訳も知らず有難がっていたと推測するが、そのうち漢人との付き合いが多くなっていくにつれ、次第に文字の意味をわかる人間も出てくる。

どの国民のなかにも、エコノミック・アニマルと呼ばれていることに気づいて本気で腹を立てる輩もでてくるであろう、事実、騎馬民の濊人王朝である新羅・百済・伽耶(任那)は礼教国として成立して以来、扶余以来の「馬加・牛加・狗加」の官職の名称はふっつり使われなくなる。

それと百済と新羅や伽耶(任那)は扶余系濊人の国であることだ、神話も共有してるしね。

そして最終的に扶余系騎馬民族の「天」意識だけを表す「朴・昔・金」という三つの「天降姓」だけが
残った。同じくして「朴・昔・金」の姓は、新羅建国の神話に出で来る三つの王姓と見事に合致する。

また中国の姓は、文字通り他民族国家故の発展の中で色々な出自が挙げられ、紀元前における漢字開発の天下内における雑多な土着種族の意識が判別できないほど入り乱れて混じりあっている。

そして中華民族なるものも、戦国諸国の狭義の漢人(それすら雑多な種族に分けられる)から始まって膨大な諸民族を吸収して成り立っているから、単純に線引きして自己完結的なものとして扱うこと自体が誤謬である。

ちなみにこの濊(wei)人と倭(wei)人との共通点は学界でもいくらか指摘されてたことだが、そうなると話が脱線してしまうので詳細の記述は控える。
まあ、日本の性にも「犬養」や「猪飼」などおよそ農耕民ではありえない動物の名のついた官職名の性が使われている。

君のいうような唐の時代に「朝鮮人」の一斉改名の記述など存在しない。

少なくとも新羅・百済が礼教国として確立して以来使われなくなった名前は存在する。
それが、今しがた述べた野蛮的な獣じみた性だ。

日本は特殊な地理条件から、徳化が遅れてそういう名前の残滓が現在にまでのこる。

第一当時において近代国民的な「朝鮮人」という概念は存在しないし、民族学的見地からみて君の主張は遅れきった反動理論としての「原初主義・本質主義」そのものの意見だよ。また「名前の変更」といえば、まさにその唐も代国を起源とする遊牧鮮卑族(モンゴル系)の王朝で拓跋氏を中心に積極的に漢化(中国化)政策を行なって鮮卑語の禁止や騎馬民族の複数性から単一姓の転換など同化主義を敢行した。

※濊(wei)人と倭(wei)人は共に中国語読み


Posted by ふーくん
2013.03.21 Thu 10:13 編集

自家撞着激しい男(呆) (タイトル)
>アホふーよ

>中国と日本の関係は、対等だなんて言ってことも無い。朝鮮のような実質奴隷属国とは天地の差があるだけだ。

おや、確か私のブログの皇帝記事ではこんな事を言っていたような

>6. 2000年近く属国を否定する内容が

>宗主国様に逆らえばあっという間に半島に侵入され皆殺しされた時代に、「対等な関係」などあるはずもない。「唯一あるとすれば地理的に力が及ばない日本と中国ぐらいの『均衡関係』だ。」

http://ameblo.jp/epikutetosu/entry-11379130501.html(『歴史学を学ぶ大切さを伝えるブログ』「皇帝の由来」より)

絶対論から相対論に鞍替えですか(笑)
君って平気で論点すり替えたり定義捻じ曲げたりするよね(呆)

あとそれと、

>そして、積極的に中華文化の中に埋没していった朝鮮と違い、脱中華は髄・唐時代後に明確になっている。

「髄」じゃなくて「隋」じゃない?
国号間違えちゃだめでしょ(笑)

やっぱり君の知識って、「ガタガタ」なんだね(爆)



Posted by ふーくん
2013.03.21 Thu 10:34 編集

グダグダと言い訳だけだな(タイトル)
私が言わんとしていたことは時の絶対権力の王朝からは、名前に限らず生活、文化すべてに渡って、農奴的にも受動的にも影響を受けていた事実を言ったのだ。
それをお前は、受けた影響の言い訳を解説しているだけ。

そしてなんだ?

「第一当時において近代国民的な「朝鮮人」という概念は存在しないし」

だったら、朝鮮どうのこうので言うんじゃないよ、朝鮮国が無くて、朝鮮から日本に文化の伝搬があったなどとも言えなくなる話を自分から持ち出すのか?
支離滅裂だな。
唐名に変更したことを、「創氏改名」の一斉改名制度と形態が違うから「創氏改名ではない」と屁理屈言ってるだけで、影響を受けて名前を変更した事実が長い時代に渡って行われたことの何の否定にもなっていない。
屁理屈だけ並べても無駄だ。
アホが。


第一当時において近代国民的な「朝鮮人」という概念は存在しないし、
Posted by hokk
2013.03.21 Thu 10:40
編集

無題
>宗主国様に逆らえばあっという間に半島に侵入され皆殺しされた時代に、「対等な関係」などあるはずもない。「唯一あるとすれば地理的に力が及ばない日本と中国ぐらいの『均衡関係』だ。」

これは朝鮮が中国と対応だとお前が言ったことに対する反論だよな。中国と朝鮮が対等でないことを今になって認めるんだな。まったく対等どころか宗主国様と部下の国関係だあったことを。

そして、日本は実質対等だ。政治的武力的圧力が及んでくることはなかったからな。
ただし、漢字や仏教や儒教の文化を受け入れた流れは、対等ではなく、文化輸出国中国と受入国日本があるので対等とは言はない。
しかし、国を運営する上では、中国が朝鮮に及ぼしたような絶対的命令など何も影響受けていないのだから、文化面以外はそれぞれ不干渉の独立国家状態だ。
 
Posted by hokk
2013.03.21 Thu 10:48
編集


というように、話は平行線のままでhokkさんはブログへ来なくなりました。結果的に日本が中国への強い影響を認めましたが、今度は不等式的に日本の朝鮮優越論を展開するという陥穽におちいり、本来の一回性に限られた単純な一般論や比較論の通じない歴史学においての優劣は意味がなく、私たちの周りにあるのは語らない断片的史実だけです。

彼のブログ記事を見ていますと、その感が強く感じられ、「先人の知恵」の至上性が如実に現れております。しかし、これは歴史を学んでいる多くの人たちが陥る、典型的な落とし穴であります。
といいますのも、前述にて申したとおり、「歴史学特有の限定された一回性」という命題が存在します。

これは歴史学の厖大な記述の中から、科学的な帰納主義の利用が出来ないことを意味します。

近代最大の哲学者でドイツ観念論の大御所であるヘーゲル著の『歴史哲学講義(上)』(岩波文庫)によりますと、「君主や政治家や民衆にむかって、歴史の経験に学ぶべきだ、と説く人はよくいますが、経験と歴史が教えてくれるのは、民衆や政府が歴史からなにかを学ぶといったことは一度たりともなく、歴史からひきだされた教訓にしたがって行動したことなどまったくない、ということです。それぞれの時代はそれぞれに固有の条件のもとに独自の状況を形成するのであって、是非善悪の決定も状況のなかからおこなわれなければならないし、また、それ以外の決定のしようがない。世界的事件の渦中にあっては、一般原則も、類似のできごとの記憶も、なんの役にもたつはずがなく、というのも、色あせた記憶をもってしては、生気と自由にあふれた現在にとても太刀打ちできないからです。この点からすると、ギリシャやローマをひきあいに出すという、史上にくりかえされ、フランス革命の際にもよく見られたこころみほど、無意味なものはない。古代のギリシャ・ローマ人と近代人とはその性格がまったく異なるのです。」(『歴史哲学講義(上)』ヘーゲル著 長谷川宏訳 岩波文庫 一八頁・一九頁)

今まで文明論にての私の意見は、独善的保守勢力への異議申し立てであります。私は自分のブログ開設当初からそのようなことを述べてまいりましたが、ネトウヨ人士たちは歴史や知識論に対する理解がまったくなく、これは大学教育の欠落としか言えないでしょう。無論私がブログで書いていることは微小な氷山の一角に過ぎず、本ちゃんで歴史を語るならば、およそ専門家の手に委ねられ、参考文献の数は最低でも私が提示している物の十倍を読み込む必要があります。その上極めて難解な一次資料や専門的資料含め、文献学に続き考古学を含めた自然科学、社会制度を観察する上では社会学やその他の諸科学の助けが必要でしょう。

こうなってくると歴史家の独壇場で、私が出来ることはその入口を紹介することだけです。また、一時代においての記述学の範囲は、気が遠くなるほどの量であり、歴史学の範疇は古代・中世・近代(近世)・現代含め多種多様の専門分野が存在します。そして、歴史家を志す人はその中から自分の探求したい好きな時代を選び、当代の記述学や史学概論・古今東西の哲学を内包した歴史哲学を学び、レポートおよび数々の論文を発表しながらその階段を登っていきます。

ネトウヨが行なっている画像・文でペタペタ貼っているコピペ行為は、子供だまし以下の行為で、厖大な文献やフィールドワークの咀嚼がない上に、反論すると、いきなり「朝鮮人認定」し貶しめて逃亡したり、自己満足をしたいだけの単なる罵詈雑言で終わります。まあ一般の大学教育を受けた方々なら、誰もが専門科学の膨大さや深遠さはご周知でしょうし、ネトウヨのような社会常識の通用しない未開人に限っては己らだけが「真理」を知り、その他はみな「情報弱者」と決めつけ愚かな自悦行為に耽ります。
しかし、このような不尊な発言している時点で、彼らが如何に稚拙で愚かであるかは具にわかるでしょう。

一度知識を得たものは、それを究極的に探求してその行為は死ぬまで終わりません。
また知れば知るほどその深遠さに気づき、そして自分が如何に何も知らないかを常に思い知らされ、この世界が究極的には混沌なるn番目の真実(つまりあらゆる物事の第一原因やそれらに関連する利害関係)で構成されていることに出会います。

そして最終的な答えは、この世の知に対する畏敬の念を感じつつ、ただひたすらと貪欲に知識摂取活動に従事することです。