朝鮮の歴史あるいは日本と朝鮮との関係の歴史に対する研究は、日本人の朝鮮観の形成に大きな役割を演じました。歴史研究は各種の朝鮮観の主張者に材料を提供し、その朝鮮観の形成の加わるとの同時に、歴史研究者としての朝鮮観を作り出しました。



その代表的なものを挙げます。


一つは「日鮮同祖論」


これは主に日本史研究者が唱えたものです。


もう一つは「満鮮史」


これは主に東洋史系統の学者が作り出しました。



前者は主に「日鮮同種論」「日鮮同域論」などとも呼ばれ、一方では太古における日本と朝鮮との一体不可分の近親性を、同時に他方では日本の朝鮮に対する支配的地位を説くものでありました。


いわば日本の朝鮮に対する家父長的支配関係を、日本史・朝鮮史の源流にさかのぼって主張するものです。


また、単なる同文・同種論ではなく、日本人と朝鮮人とは同一の祖先から出た身近い血族であり、また居住地域も同じくして国土に区別のなかった関係にあり、言語・風俗・信仰・週刊なども本来は同様であっとし、一家・一族の血のつながる近親性を説きます。


同時に、日本人が朝鮮にいって朝鮮人になり日本の神が朝鮮にうつって朝鮮の神になりまた日本人や日本の神が朝鮮の国王や建国神になり朝鮮人は日本に投降・帰化して日本人になり天皇の世になると神功皇后が三韓征伐(高句麗・新羅・百済)をして朝鮮を臣従させたとなど、朝鮮は太古から日本に服属したいたと主張します。



この日鮮同祖論では、朝鮮は日本にとって外国ではありません


対等あるいは対立する外国あるいは外民族ではなく日本あるいは日本人のなかに包括・吸収されるものです。つまり、日本に対立する形で日本の支配下にあるのではなく、その存在を否定されることによって日本の支配に服するものでした。



こうやって縷述(るじゅつ)すると、今現在ネトウヨが述べる「朝鮮人(韓国人)=エベンキ族=非日本人」という主張(デマ・ヘイトスピーチ)と全く対立します。


つまり、日本の朝鮮植民地支配を肯定する「日鮮同祖論」という元来の極右思想と、同じく朝鮮(韓国)やエベンキ族を貶める極右思想の「エベンキ族」論の両者とでは、まったく異なるものであり、その断絶が伺えます。


これはとても興味深いことだと思います。



その詳細としては、伊藤先生のシリーズ記事『韓国の歴史がネトウヨの手によって書き換えられている。』(天才伊藤浩士先生の世の末の憂鬱ブログ)に記されておりますので、是非とも一読を。



<参考文献>


・『アジア・アフリカ講座 日本と朝鮮』第三巻 勁草書房