前回の記事

 

‐近くて遠い国 朝鮮 本編6(秀吉と家康の時代)‐

 

 

・日韓併合の前史

 

 

韓国併合

 

当時1910年8月30日付の『東京朝日新聞』(第三面)より

 

http://isi-taku.life.coocan.jp/newpage5.html

 

‐東アジアの今とこれから その11(朝鮮国黒々と・・・)‐

 

一九一〇(明治四三)年八月二二日、李王朝は日本とのあいだで「韓国併合に関スル条約」に調印を余儀なくされた。これには約半世紀におよぶ前史があった。

 

明治政府内部における西郷隆盛ら征韓論派の敗退は、同政府が朝鮮への進出に無関心であることを意味しなかった。一八七六(明治九)年、日本政府はその前年に日本の軍艦雲揚が朝鮮の領海に侵入して江華島の砲台から発砲された事件の謝罪を朝鮮に迫り、最初の不平等条約である「日朝修好条規」(江華島条約)を手に入れた。日本はこの条約で保証された治外法権関税免除を武器として、封建支配の腐敗と無能で混乱した朝鮮の内部に急速に浸透し、一八八一年(明治一四)念には朝鮮の軍隊に軍事教官をおくりこむまでになった。その翌年ソウルで朝鮮軍兵士の暴動が起こった。清国はこれを好機として軍隊をソウルへおくって暴動を鎮圧し、ひきつづき軍隊を朝鮮国内に駐在させた。日本は暴動による公使館の焼打ちと日本人殺害をとらえて、公使館警備軍のソウル駐在権を朝鮮政府から手に入れた(済物浦条約)。

 

李王朝内部では、清国にたよって権力を維持しようとする「保守派」と、日本にたよって政治制度の近代化をはかろうとする「開化派」の対立が激化した。金玉均らの「開化派」は一八八四年ついにクーデターを断行したが、清国軍の干渉によって三日天下におわった。

 

日清両軍はその後一八八五年の「天津条約」によって朝鮮から撤兵したが、一八九四年、朝鮮の全羅道、忠清道一帯で農民の武装蜂起があり(甲午農民戦争。日本でいう「東学党の乱」)、自力でこれを鎮圧できなかった朝鮮政府は清国に援軍を求めた。日本は朝鮮政府に清国との宗属関係破棄を要求する最後通牒を発したあとソウルの王宮を軍事占領し、親日内閣を樹立した。そのあと日本軍は清国軍を攻撃、「日清戦争」の開戦となった。

 

日本はこの戦争で圧倒的勝利をおさめたが、戦後、露、仏、独三国の干渉に屈して遼東半島の清国への返還に応じなければならなかった。日本が三国干渉に屈服したのをみると、戦争直前、朝鮮の政権の座から追われた閔妃(明成皇后)一派はクーデターを起こして親日内閣を倒した。日本公使井上梧楼はソウルの日本守備隊長と共謀して、守備隊、警察および民間の浪人を王宮に乱入させ、閔妃(明成皇后)を惨殺し、ふたたび親日内閣をつくり上げた。一八九五(明治二八)年一〇月四日のことである。この暴虐に対する憤激の声は全朝鮮にひろがり、それを背景として一部の貴族はロシアと組み、親日政権を打倒した。満州を南下しつつあったロシアと日本のあいだの緊張が強まり、ついに一九〇四年(明治三七)年二月、「日露戦争」の勃発となった。

 

これよりさき一八九七年、朝鮮は国号を大韓帝国(韓国)と改めた。日本は日露開戦と同時に韓国政府に「日韓議定書」を承認させて韓国内政への日本の関与と同国内での日本軍の行動の自由の保証をとりつけた。戦争が日本の勝利で終わると、日本は一九〇五年九月のポーツマス条約によって韓国を事実上支配下におくことを承認させ、ついで同年一一月、韓国とのあいだに第二次「日韓協約」(乙巳保護条約)を結んだ。これによって韓国は外交権を日本に委任するとともに日本政府を代表する統監のソウル常駐を受け入れることになり、初代統監には伊藤博文が就任した。

 

一九〇七年六月、韓国国王(皇帝)高宗はヘーグで開催中の「万国政治平和会議」に密使を派遣して朝鮮の独立回復を訴えたが、相手にされなかった。伊藤統監はこの事件をとらえて高宗を退位させ、幼い皇太子を国王にした。同年七月、第三次「日韓協約」が結ばれ、日本は韓国(大韓帝国)の内政権まで手に入れ、韓国軍隊を解散させた。

 

このあと伊藤は韓国統監をやめ、ロシアへの旅行の途中ハルピン駅頭で朝鮮人安重根に襲われ死亡した。日本政府は「日韓併合」の既定方針の実施を急ぐことになった。

 

※()は筆者註釈

 

時事通信社 『朝鮮要覧1973』現代朝鮮研究会 46~49頁より

 

当時の大日本帝国支配層(エスタブリッシュメント)の思想については、以下にまとめました。

 

‐明治時代の朝鮮観その1(征韓論①)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その1(征韓論②)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その1(征韓論③)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その2(自由民権派の認識①)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その2(自由民権派の認識②)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その2(自由民権派の認識③)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その3(脱亜論者の場合①)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その3(脱亜論者の場合②)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その3(脱亜論者の場合③) ‐

 

‐明治時代の朝鮮観その3(脱亜論者の場合④)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その4(近代史学者の解答①)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その4(近代史学者の解答②)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その4(近代史学者の解答③)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その4(近代史学者の解答④)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その4(近代史学者の解答➄)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その4(近代史学者の解答⑥)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その4(近代史学者の解答⑦)‐

 

 

・北東アジアの伝統的価値観の崩壊と「ウエストインパクト2.0」

 

 

韓日併合を暗示した絵葉書(1909年発行)。日本人(右)が上から目線、朝鮮人は下から見上げている(民団ホームページより)

 

http://www.mindan.org/front/newsDetail.php?category=0&newsid=22852

 

 

やり方が欧米帝国主義のゴロツキのやり方の「それ」である。

 

‐新一万円札と新五千円札の「顔ぶれ」についての所感‐

 

こちらでも同様のことを述べましたが、自らの「アドバンテージ」を武器に、相手に喧嘩を吹っかけ、色々な条件を呑ませるやり方は、到底まともな国のやることではないが、今でもそれをやり続けている国は「アメリカ」ぐらいしかいないだろう。

 

ハッキリいって、こんなことすれば未来世代に「禍根」しか残さない。

 

つくづく思うことは、一部の権力者による独占欲や願望によって引き起こされる侵略や戦争は、そのための能書きや大義名分はキッチリと示されるが、結局のところ、その時代を生きる「彼ら権力者のためだけのもの」である。

 

今の安倍政権にしろ、デリケートな歴史問題でアジア諸国の感情を逆撫でしつつ、一方では日米同盟(地位協定)という不平等条約により、70年以上に渡る特権付きの在日米軍の駐留を認め、領土や領空の制限、彼らが引き起こす事件や事故にしても、一切日本の法律が適用されず、学校にヘリが落ちようとも調査もできないし、米軍基地関連における自然破壊は凄まじいものだ。

 

残念ながら、その「甘い汁」を吸い続けられるのはごく一部であり、大多数は宗主国の民や植民地の民だろうと、関係なく動員され搾取される。

 

振りかえれば、先の大戦における300万以上の日本人の死や、戦争でもうける一部の大企業、日常的な奴隷労働によって、まるで交換可能な「部品の一部」として、人生の隅々まで吸い尽くされ、壊される現代の私たちの生き方と照らし合わせても、やはり例外ではないと思うのが率直な感想です。

 

かつて機会社会だったアメリカが、今やごく少数の非常に裕福な億万長者階級と、借金で首が回らず、福祉手当のない二つかそれ以上のパートタイム仕事で生き延びている労働者に分極化している。今トランプ政権は、この大惨事を中国のせいにしている。結果として戦争が起きかねない。

 

マスコミに載らない海外記事 『関税問題』より

 

http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/paul_craig_roberts/index.html

 

『アイデンティティ・ポリティクス』が跋扈し、人々が健全な視野を失い、「属性」による対立を余儀なくされ、本当に苦しい人たちを「差別主義者」だと貶め、他方では、アメリカによる戦争や干渉政策によって生まれる人権侵害には無関心で、反戦運動や平和への兆しとは程遠く、「ロシアゲート(デマ)」を筆頭に軍産複合体や売女マスコミによる攻撃によって、挑発外交に徹するトランプ氏にしても、本当に先の見えない暗黒が世界を覆いつくしている。

 

次回は、日本の「朝鮮統治」と帝国崩壊による「植民地解放」までのお話をします。

 

 

<参考資料>

 

・時事通信社 『朝鮮要覧1973』現代朝鮮研究会

 

・マスコミに載らない海外記事 『関税問題』

 

http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/paul_craig_roberts/index.html

 

 

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