前回に引き続き、使節として朝鮮に行った佐田と共に同行した森山茂の征韓論は、また別の形のものでした。


その要旨は「今後さらに朝鮮と談判し、もしきかぬときには、五十万の士族をあげて朝鮮に進めるべし。今や維新の大業は成ったが、四方志を得ぬものが英気うつぼつし、変わらんことを願っている。故にこの機に乗じて不平士族を韓半島に移植するのは、内乱を外に転ずる道である。同時に、国利を海外に開拓する基礎である。これ豈(あに)一挙両得の策ではないか。韓国を討つには汽船軍艦は必要ではない。ただ武士が軽舸(けいか=小舟)に駕して海峡を横断するに一任すればよい」という意味のものでした。


まことにもって、ふざけた物言いです。


つまり朝鮮を討ち滅ぼすには、国内で反乱分子の元幕府武士たちを厄介者払い的に差し向けて、粗末な小舟で何とかなるというものでしたが、仮に嵐に見舞われたらどうしたのでしょうか。


ここから判断しても、いかに明治の日本が朝鮮を見下していたのかがわかります。



以上の木戸・沢・佐田・森山などの言葉によると、朝鮮は無礼な国であり、日本の威武を示すべき国であり、不平武士群を移住させる国であり、ロシアが取らぬうちに制圧すべき国なのです。


ゆえに、対等な国交を結ぶべき相手では全く考えられておらず、朝鮮に対する日本の優越的地位が自明のもののように考えられております。こういう意識の背後には、朝鮮は古くから日本の属国であったという『記・紀』の妄想歴史観によるものですが、そういう思想を自慰的に使うことによって、植民地の大義名分にしたことです。


また、前述の外務卿・沢の意見書の中には「素尊親征の霊跡」とか「列聖綏撫(れっせいすいぶ)の国」という言葉がありますし、また最も猛烈な侵略論を唱えた佐田白芽は、別の建白書の中で「朝鮮は応神天皇三韓征伐以来、我が附属国である。宜しく我が国は上古の歴史に鑑み、維新中興の勢力を利用して朝鮮の無礼を征し、以て我が版図に復せねばならぬ」とほざく始末。


はい出ました。ここでも「ソースは『記・紀』!朝鮮は日本帝国の属国!」


日本の極右の先祖の妄言もいい加減にしてほしいものですが、あの世界帝国の隋の軍隊を討ち滅ぼし、さらなる強大な大唐帝国の猛攻を何度も退けた高句麗を含めた「三韓」を、後進の新興国家に過ぎない倭国がどうやって制圧するんでしょうね。いかんせん皇帝国ヅラ甚だしい呆れた物言いです。


まあせいぜいやることと言えば、後に広開土王碑に石灰でいたずら書きで歴史を改ざんするのが関の山でしょう。



そして、近代の日本極右の放言はまだまだ続き、明治九年に前原一誠が萩の乱を起こし、逮捕されたときに政府問罪の言葉を述べましたが、「神功の三韓を征し、豊太閤の征韓役を興せしは、皆その不廷を責むるにあった。これを無名の師というは彼自ら唱うるのみ。誰か之を許さんや。六年の征韓論もまた上古神聖の遺図をつぎ、以て国家の大計を定めんとするにあった」と言っています。


こういう神話・伝説・歴史への回想が、朝鮮侵略を正当化し鼓舞していき、この発想様式はずっと後まで日本人の心をとらえ、古くから日本が征服・支配した朝鮮、日本に従属すべき朝鮮という意識を植え付け、今日の週刊誌における「幼稚な韓国」像や、ネトウヨの怨嗟の対象である朝鮮と韓国の図と重なるのです。



<参考文献>


・『アジア・アフリカ講座 日本と朝鮮』第三巻 勁草書房