前回の記事

 

‐シリーズ・朝鮮近代史を振り返る その32(世界恐慌と満州事変)‐

 

 

・「知らない」と この先もっと多くのものを失うだろう


人とのコミュニケーションは、繊細でこわれやすい。

 

ひとつでも言葉や文章を間違えたりすれば、その人の「印象」は最悪なものになってしまうし、その逆も然りで、ひどく不快な感情を覚えたりもする。私はリアルに他者と話すときも、常に「緊張」を強いられる。

 

それが「国と国」である場合は、さらに複雑な要素事情も含め、私たちは自分たちの経験を超え出る「膨大な情報」が必要となるだろう。

 

殊に『歴史』は、外国との関わりにおいて、非常に大切な「物事のベース」であり、自国がどう世界と立ち回っていくのかにおいて、「人とのコミュニケーション」として、絶対に言い間違えたり、過去の無礼をなかったことにすることはできない。

 

もしそうすれば、先のサイクルに帰結する。

 

今の日本人を見ていると、物事の主体「仲間内だけ」になっている感がつよい。

 

そこに「他者」はいなく、情報も国内の「大本営報道」のみで、非常に偏っていることもあるが、それは「右」「左」「中道」も、ありとあらゆる考えの人々を「縛る認識」として、ある種の無意識レベルにまで深く沈殿している重大な問題だ。

 

‐手に余る「世界情勢」を知る態度-

 

ハッキリ言って、「現実」はそんなに甘いものではないし、自分たちが正しいとする認識は、私を含めた大衆が「モノリンガル」がゆえ、外との関わりのなかで「客体化」できていないため、時に「間違った振舞い」を表面化させてしまい、ひどく自らの印象を汚したり、ビジネスに支障をきたしたりもする。

 

ニュースや過去の歴史についても、常に資料を携えた「二重」「三重」の説明はざらで、そもそも「複雑な世界」は複雑でしかないから、トランプ氏が差別主義者ではないこと(ポール・クレイグ・ロバーツ氏)も、日本がおかした朝鮮や中国での過ちも、多くの時間と労力をかけて、たくさんの人が理解しなければいけないことだが、大抵の人間は、それを嫌がって耳を塞いでしまう。

 

特に、日本はそうした人間が多いと、空気レベルで実感している。

 

 

・この国は 「人としての礼儀」を忘れすぎている

 

-れいわ新選組の『九州ツアー』がはじまる(南北朝鮮と日本の歴史をとう質問者)-

 

英語ブロガーのMichikoさんもおっしゃられていたが、北東アジア『礼儀の文化』で成り立つ。

 

 

『山本太郎(れいわ新選組代表)おしゃべり会 対馬 2019年10月23日』

 

れいわ新選組

 

https://www.youtube.com/watch?v=ymtKlwa7UqA

 

それは、動画17分7秒以後に山本太郎代表(れいわ新選組)が述べられていた、日本の台風被害における「アジア諸国からのお見舞い」然り、さらには北朝鮮との絡みでも、この場所で日本は紳士的な振舞いを「一切してこなかった」がゆえに、周辺地域で孤立をきわめ、常に「蚊帳の外」におかれ、にっちもさっちも行かない状況となっている。

 

BIGLOBEニュース 『台風19号の避難所になった「朝鮮学校」インタビュー!補助金停止・無償化除外でも「役に立ちたい」』記事

 

https://news.biglobe.ne.jp/domestic/1021/ltr_191021_8849732312.html

 

「税金を払っていない」というだけで、パージされる人々や、一方で「税金を払っている」人たちに対しても、日本は「無礼」のかぎりを尽くしてきた。

 

‐シリーズ 日韓会談と在日朝鮮人 最終回(在日朝鮮人と日本政府の政策)‐

 

とりわけ在日コリアンに対しては、植民地時代に強制的に「日本人」にさせ、戦後は選択的二重国籍を放棄して、一方的に「外国人扱い」とする施策など、冷静に考えて「尊敬される国」からは程遠いのが現実でしょう。

 

ただでさえ、日本は「魅力のない国」になっているが、このままいけば、もっともっと多くの人々から見放されて、惨めな衰退国家として、その恐ろしい未来がやってくる時間はそう遠くない。

 

「声にならない方々」含め、たくさんの人々が、私たちの国のおこないを見つめ続けている。

 

‐あの戦争で我々はものすごいものを失った‐

 

「国益」「安全保障」が心配なら、こちらを解決しなければ、絶対に「恒久的平和」は訪れることはない。

 

このような前置きのもと、かかるシリーズの「最新話」に移りたいと思います。

 

 

・日中戦争を機に 朝鮮は「日本の巨大軍事基地」と化す

 

 

『日中戦争』 (コトバンクより)

 

https://kotobank.jp/word/%E6%97%A5%E4%B8%AD%E6%88%A6%E4%BA%89-171498

 

‐東アジアの今とこれから その22(満州事変、日中十五年戦争勃発、裏切者続々と現る)‐

 

日本帝国主義「満州事変」をはじめると、朝鮮人と中国人を「対立」させ、給料や配給食糧にも「差」をつけ、戦争目的の遂行のために、朝中民衆の「離間」をはかった。

 

先の『間島再出兵計画』『万宝山事件』も、大日本帝国が世界恐慌を乗り切るため中国・満州侵略の一連の経過と付属物に過ぎなかったことは、前の記事において、ご説明いたしました。

 

‐シリーズ・朝鮮近代史を振り返る その32(世界恐慌と満州事変)‐

 

そこに、『植民地朝鮮』の「(支配の)安定化」も含め、独立軍の動きを抑える傍ら、民衆から武器を没収して「治安維持」を強行する。

 

武器のとりあげは、朝鮮との国境地帯でとくにきびしく行なわれ、料理包丁すら一〇戸に一個だけしか残されていないところもあったほど、すさまじいものであった

 

(宇佐美誠次郎「満州侵略」 岩波講座『日本歴史』現代3、参照)。

 

『朝鮮の歴史 朝鮮史研究会編 編集代表 旗田巍』 三省堂 240頁より

 

 

・日本独占資本の大規模な朝鮮進出 「チート」レベルの超過利潤

 

‐シリーズ・朝鮮近代史を振り返る その28(崩壊する朝鮮経済 日本帝国主義支配の本質)‐

 

以前から、日系大企業による「朝鮮への侵略的進出」は取り沙汰されていましたが、世界恐慌中国(満州)への「侵略戦争の開始」をきっかけにして、いよいよ日本独占資本は、そのタガを外すことになる。これは、先々の『徴用工問題』にもつながる話です。

 

‐近くて遠い国 朝鮮 本編5(豊富な経済資源①)‐

 

‐近くて遠い国 朝鮮 本編5(豊富な経済資源②)‐

 

「地下資源の略奪」「軍需工業の建設」のために、膨大な資本を投下し、かねて朝鮮には豊富な地下資源水力資源、それに『工場法』も適用されずに、低賃金と長時間労働で「タダ同然」でこき使える膨大な「過剰人口」があり、独占資本を先頭とする日系企業は、それをふんだんに利用することによって、植民地での「超過利潤の獲得」を目指したのでした。

 

ここまでくると、もうめちゃくちゃです。

 

 

・朝鮮を「私物化」し 骨の髄までしゃぶりつくす

 

 

『第六代朝鮮総督 宇垣一成』 (Wikiより)

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%9E%A3%E4%B8%80%E6%88%90

 

 

※日本の「朝鮮支配の系譜」 右の文字と黒線は筆者註

 

『資料:歴代韓国統監・朝鮮総督』

 

http://www.dce.osaka-sandai.ac.jp/~funtak/kougi/kindai_kyozai/SSoutoku.htm

 

宇垣総督のもと、「朝鮮支配の矛盾」に、先の農業恐慌による被害がのしかかり、深刻な様相を呈していた朝鮮農村「復興再建」するという名目で、『農村振興運動』=『自力更生運動』を、1932年から実施した。

 

しかし、この『農村振興運動』は、窮欠にあえぐ「朝鮮農民の労働力」を動員し、食糧増産などによる「戦争協力への強要」と、節約・備蓄の「指導」などを通じて、農家一戸ごとにまで『大日本帝国の支配』を貫徹させ、朝鮮農民をファッショ的に統制「治安の確保」に務めると一緒に、彼らを合理的に「日本の侵略戦争に奉仕させる」ことを目的とした。

 

詳しくは、(富田節子著「朝鮮における『農村振興運動』」および『季刊現代史』二号所収、参照)にあります。

 

こうして、日本帝国主義の侵略戦争が、『満州事変』から端にした日中戦争・太平洋戦争と、際限なく拡大されるにつれて、朝鮮日本帝国主義の大陸侵略のための「兵站基地」として再編成されていくことになる。

 

‐シリーズ・朝鮮近代史を振り返る その27(産米増殖計画と大工場建設 進む「経済植民地化」)‐

 

それ以前を含め、さらに1930年代はじめには、「肥料と綿作物の独占」のために、化学工業・水力発電所・近代的紡績工場がまず出現し、1937年『日中戦争』以後になると、「戦争の拡大」とともに、金(ゴールド)をはじめとする「各種の地下資源」の増産と関連して、製鉄・製鋼・製錬・軽金属電解工業など、一連の重工業が「移植」され、軍需用人造繊維工業武器製造工業が出現し、朝鮮の鉱工業は、以前にみられなかった「重工業化」の様相を呈した。

 

しかし、この鉱工業の「盛況」は、朝鮮の民族経済の発展とは、何の関係もなかった。

 

むしろ、朝鮮人を無残に搾取し、朝鮮経済を日本資本主義にいっそう「隷属させるもの」で、朝鮮人労働者の数は、工場・鉱山・土建の三部門もあわせて、1933年~1938年5年間に、約21万4000人~60万人へと3倍に増加し、三部門(工・鉱・土)以外の労働者も加えると、1943年には175万人となった。

 

しかし、「朝鮮人労働者の賃金」は、日本人労働者の賃金の「約半分」にしかならず、かつ日本人労働者には「さまざまな手当て」が支給され、逆に朝鮮人労働者『労働規律違反』などによる罰金・強制貯金の「天引き」などで、同じ技術・同じ労働でも、日本人労働者の一人分の手取り額は、「朝鮮人労働者の3人ないし5人分」に相当した。

 

また、日本(内地)「12時間以上の労働時間で働かされる人」の、全労働者に対する割合0.3%であった(1930年)のに、朝鮮では実に47%の労働者が該当した(1931年)

 

したがって、独占資本を先頭とした「日本資本の利益率」は、日本で労働者を使う場合「3倍の高率」になりました。

 

 

『朝鮮の歴史 朝鮮史研究会編 編集代表 旗田巍』 三省堂 242頁より

 

また「朝鮮の鉱工業」は、極めて植民地的な「奇形性・跛行性(はこうせい‐つり合いの取れないさま)」に、特徴づけられていた。

 

各工業部門の地域別分布における「著しいかたより」『工業発展の中枢』であるべき機械工業の「甚だしい遅れ」など、朝鮮内部での工業発展の「有機的関連」全く無視されていた。

 

地下資源の開発についても、1930年代~1940年代はじめにかけて、日本資本主義の「対外支払い手段」を満たすための「金鉱開発」第一位を占め、石炭・鉄鉱がこれに次いでいたが、「戦争の進行」につれて、軍需用特殊鋼の重要原料となるタングステンをはじめ、黒鉛・モリブデン・珪石(けいせき)・鉛・亜鉛・マグネサイト・雲母(うんも)などの「稀少資源」が、重点的開発の対象とされた。

 

こうした鉱工業生産は、ほとんど日本の独占資本によって占められ朝鮮民族資本の「朝鮮経済に占める位置」は、ますます小さくなった。1942年ごろ、朝鮮で活動する全工業会社の設備資本総額約29億円であり、その74%(21億4600万円)は、「日本に本店をおく独占資本」をはじめとする、日本資本の直接投資によるものだった。

 

残りの26%(7億5400万円)が、「朝鮮内に本店をおく資本」であり、特に「朝鮮人資本」は、この26%のさらに100分の6を占めるに過ぎず設備資本総額に対して、1.56%(4524万円)にしかならない劣勢に陥れられていたのです。

 

 

<参考資料>

 

・Cluttered talk blab blab blab 『韓国ユニクロのTVコマーシャルは、何が、どう問題だったのか』記事

 

https://ameblo.jp/cluttered-talk/entry-12538613807.html

 

・Youtube動画 『山本太郎(れいわ新選組代表)おしゃべり会 対馬 2019年10月23日』

 

 https://www.youtube.com/watch?v=ymtKlwa7UqA

 

・『朝鮮の歴史 朝鮮史研究会編 編集代表 旗田巍』 三省堂

 

 

<ツイッター>

 

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