前回の記事

 

‐シリーズ 日韓会談と在日朝鮮人 その6(支配と同化が残したもの)‐

 

 

関係記事

 

‐本日投票日 日本人そして『れいわ新選組』に託す在日ラッパーの想い‐

 

 

・在日朝鮮人と在日中国人のルーツ

 

 

‐シリーズ 日韓会談と在日朝鮮人 その5(徴兵・徴発・強制連行)‐

 

今回は少し長い記事になります。

 

資料が古いですが、1970年現在における日本の定住外国人は、約70万人でした。

 

このうち、在日朝鮮人約61万人(現在も数値自体に大幅な変動はない)で全体の約86%中国人約5万人7%両者の合計は、全体の93%を占めている。

 

まずもって、「定住外国人」の大多数を占める在日朝鮮人・中国人(台湾出身者)在日の理由と経過は、一般業務などで旅券をもって入国してきた外国人とは、まったく性質を異にしている。

 

それは、かつて日本が、朝鮮・台湾を植民地支配した結果、日本にわたってこざる得なかった人たちと、その子孫たちです。言い換えれば、植民地支配の犠牲のひとつでしょう。

 

したがって、日本政府が在日朝鮮人や在日中国人に追わなければならぬ責任は、極めて重いものがある。

 

1945年8月15日の日本敗戦の際の、在日朝鮮人の数は、230万人~240万人であったと推定され、これら在日朝鮮人の帰国(主に南朝鮮)は、1945年8月下旬から翌1946年中ごろまでに、集中的におこなわれ、朝鮮戦争の開始された1950年中頃までに継続し、中断しました。

 

 

『帰国を待ち望む学生たちのメーデーデモ』 (『朝鮮の歴史 朝鮮史研究会編 編集代表 旗田巍』 三省堂 291頁より)

 

その後、1959年12月から朝鮮民主主義人民共和国への帰国が開始され、さまざまな経緯を通じながらも、今日(1973年6月当時)までに、約9万人近い人が同国に帰国し、その後も帰国事業が継続しました(現在はありません)。

 

上の経過をもとに、在日コリアン(韓国・朝鮮籍合わせ)の総数は、約61万となっています。

 

 

・同化と分断 紆余曲折の果ての「在日朝鮮人」政策

 

この問題は、本当に複雑で数々の補足記事を参考にしなければなりません。

 

‐韓国メディアが語る在日コリアンの国籍問題 その1‐

 

‐韓国メディアが語る在日コリアンの国籍問題 その2‐

 

‐韓国メディアが語る在日コリアンの国籍問題 その3‐

 

‐韓国メディアの朝鮮学校特集 その8 KBS①‐

 

‐韓国メディアの朝鮮学校特集 その8 KBS②‐

 

‐韓国メディアの朝鮮学校特集 その8 KBS③‐

 

ひとえに、日本政府の在日コリアンへの「処遇」は、ある一面において植民地の延長であり、また別の意味では、対米隷属の表れとして、まったく理不尽な行為を彼ら彼女らに強いてきた。

 

換言すると、「同化」と「追放」という二つの相反する矛盾を抱えた政策を、在日朝鮮人に押し付けた。それは朝鮮籍の無権利状態を筆頭に、今日現在も改善されぬ原因として、この日本社会に、「深い分断」を生み出し続けている。

 

‐『아이들의학교』アイ(子ども)たちの学校(ハッキョ)‐

 

戦後、在日米軍による「支配」が日本で確立する中、日本政府は日本の植民地から解放された在日朝鮮人を、1945年8月から1952年4月までの7年間「日本国籍を有する」ものとして扱い、在日朝鮮人の植民地化で奪われていた、人間としての尊厳の奪還と営為(民族教育事業など)を、日本の法律に反するとして、アメリカ軍と一緒に破壊しつくした。

 

これは先にも述べた、「日本語を強要した植民地支配の延長」であり、彼らのアイデンティティを抹殺する行為が、戦後の在日朝鮮人の生き方に甚大な打撃を与えた。つまり、日本人化(同化)=主体性の破壊を、日本の国家権力が力で強要したのです。

 

その結果、日本社会にますます深く組み込まれた、「戦後における同化」によって、在日朝鮮人世代を大量につくりだし、これらの人々に計り知れない苦悩を与えた。

 

日本を代表する漫画家である手塚治虫先生も、日本政府による在日コリアンの民族教育否定を強く批判されている。

 

‐漫画の神様の『朝鮮学校観』‐

 

無論、日本政府はこの事について、厳しく責任を負わなくてはならない。

 

‐北朝鮮外務省 宋日昊日本局長の言葉(かっちんブログより)‐

 

‐おバカだけど笑えない安倍政権の「閣議決定」(朝鮮総連はテロリスト集団)‐

 

現在の北朝鮮との関係正常化が難航し続けているのも、現政権の「無能外交」もさることながら、日本人自身が抱える歴史認識の弱点が露呈した結果とさえ言える。

 

他方、「日本国籍を有する」といいながら、「当分のあいだ外国人と見なす」として、1947年5月から旧外国人登録法を適用し、違反者は国外に退去させると脅した。

 

もう滅茶苦茶です。

 

つまり、「日本人」と見なして、同時に「外国人」として、当事者たちに二重の抑圧を加えたのです。そしてサンフランシスコ講和条約が発効すると、これまた日本国家の一方的な措置で日本国籍から除き、在留資格および在留期間を除くほかは、出入国管理令の適用をはかるという、およそ現実を無視した措置がとられた。

 

これが、いわゆる「追放」です。

 

 

『入管収容所でハンガーストライキ!? 「無期限収容は拷問である」と国連の拷問禁止委員会が勧告~8.4#FREEUSHIKU 緊急街頭アピール(新宿東口)―外国人収容所の問題を訴える 2019.8.4』

 

Movie Iwj

 

https://www.youtube.com/watch?v=M2Lpuo4n1ag

 

上の動画では、1分38秒以後旧植民地出身の在日コリアン(チャイニーズ)の人々に対する「国籍」と「参政権」の取り上げについて触れています。

 

こうやって振り返ると、戦後日本がアジア諸国や民に行ってきたことが、ふたを開けると如何にずさんで、道理にはずれたことかを、我々日本人はいい加減に理解しなければならない。

 

そもそも、上記の歴史的知識が「ごっそり欠落している」私たちにとって、近隣諸国との関係を修復し、このアジアを平和で安定的な地域にするためには、「絶対にやらねばならない」物事のひとつです。

 

自己満足の歴史修正主義に耽っていても、事態はますます悪化するだけしかない。

 

おそらく、その先に待ち受けているものは、孤立し衰退する運命しかないでしょう。

 

‐あの戦争で我々はものすごいものを失った‐

 

 

・「韓国」は国籍で 「朝鮮」は国籍でない・・・!?

 

国籍問題において、1950年2月、ときの法務総裁は、外国人登録証の国籍欄に「朝鮮」「韓国」とあっても、それは「記号」で国籍を意味するものでないと言明した。

 

イ‐国籍・戸籍事務の「取り扱い上は、南鮮・北鮮を区別することなく『朝鮮』と記載するのが相当である」(1953年12月25日、民事五発第二◯八号民事第五課長回答)が、

 

ロ‐「外国人登録事務の取り扱い上は・・・・・・本人の希望によって『韓国』又は『大韓民国』なる呼称を採用してさつかえない」(1950年2月23日、民事甲第五五四号通達)

 

ハ‐しかし、右「通達の趣旨は単なる用語の問題であって、実質的な国籍の問題とは全然関係ない」(1950年8月15日、民事甲第二一七七号通達)というわけです。

 

『アジア・アフリカ講座 日本と朝鮮』第3巻 勁草書房より

 

‐シリーズ こうして「在日」は生まれた その8(朝鮮人を無国籍状態にした『日韓』の責任)‐

 

ところが、日韓条約(1965年)などの国会批准を目前にした1965年10月26日、突然「韓国」は国籍で「朝鮮」は記号であるという、政府見解なるものを発表して、「韓国籍」をつくりあげた。無論、この日韓条約を含めた日韓会談なるものが、被差別当事者を無視し、時の日韓政府や両者の上に立つアメリカの強い意向が組まれた「政治決着」であったのは言うまでもない。

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その1(畑田重夫氏のコラムより)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その2(朝鮮戦争時の日本国内の動き)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その3(遅れすぎた朝鮮との接触)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その4(日米安保闘争と日韓会談の関係)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その5(日米韓の「結束」の真実)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その6(「朝鮮半島有事」に関する介入論)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その7(韓国軍事クーデター後の北東アジア)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その8(「目標達成」に向け奔走する日米)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その9(『日韓会談反対』を中心とした動き)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その10(もつれるリベラル運動)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その11(日本共産党の決意)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その12(日韓会談粉砕、在日米軍撤退など)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その13(繰り広げられた集会やデモ)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その14(決定力なき今昔リベラル)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その15(ようやく立った団結の出発点)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その16(日本史上最大の反米デモ)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その17(最高度に盛り上がる運動)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その18(ポラリス寄港問題と韓国の内紛)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その19(運動のオワコン化 その弱点とは)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その20(アンチ米軍運動の再開)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その21(日本の政治運動の問題点)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その22(人々の「啓蒙意識」について)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その23(日本人の政治離れとアジア軽視)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 最終回(反対闘争の意味と成果)‐

 

そして「日韓法的地位協定」にもとづく協定永住権の申請が、5年間つづけられた。

 

同申請の締め切りの1971年1月16日現在、申請者は約35万人におよび、在日朝鮮人の法的地位は大きく二分されることになった。

 

以上のことを要約します。

 

①日本政府は戦後わずか1年ほど除き、民族教育(GHQによる朝鮮学校閉鎖令)を全面的に否定し、現在も北朝鮮との関係を理由に、同校に対する圧力を強めている

 

②このような政策からは、朝鮮人に対する就職差別克服の政策や社会保障の確立などいっさい生まれず、極端なまでの差別が集中し、人間性の破壊政策が継続していた

 

③圧倒的な数の日本人は、このような日本政府の諸政策の存在すら知らされないし、知っても当事者意識がないため、具体的な行動にはでない。結果として政府の政策に暗黙の了解を与えてきた

 

④在日朝鮮人は、個人としても団体としても、民族性の回復・堅持、生活権の擁護のため、たゆみない努力を続けてきた。日本人は、全体的な社会の空気として、2019年今現在も確固とした連帯をできず、社会は分断したままである

 

1952年ごろの在日朝鮮人は、朝鮮で生まれ、少年・青年・壮年時代に日本にわたってきた人たちが多数でした。そして参考資料の1973年では70数%、また現在において、その比率は100%日本生まれである。

 

加えて、右に見たような日本政府の同化政策(政治的・経済的)が、絶えず強められ、親・子ども・孫の意識大きな亀裂が生じ、他方、祖国朝鮮の分断状況を反映して、在日コリアン社会においても「立場による分断」が生まれ、これは当事者たちのみならず、日本社会や周辺環境に暗い陰を落とし続けている。

 

 

<参考資料>

 

・『朝鮮の歴史 朝鮮史研究会編 編集代表 旗田巍』 三省堂

 

・Youtube動画 『入管収容所でハンガーストライキ!? 「無期限収容は拷問である」と国連の拷問禁止委員会が勧告~8.4#FREEUSHIKU 緊急街頭アピール(新宿東口)―外国人収容所の問題を訴える 2019.8.4』

 

https://www.youtube.com/watch?v=M2Lpuo4n1ag

 

 

<ツイッター>

 

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