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‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その17(最高度に盛り上がる運動)‐
・新年も運動は継続中
日韓会談に反対する民主勢力にとっては、1962年は「日韓」にくれ、翌年の1963年も「日韓」で明けた。
年始めの1963年1月21日における、『日韓会談粉砕第六次統一行動』は、東京を除く大阪、京都、福岡、仙台、札幌など全国主要都市をはじめとする各地で集会やデモ、宣伝活動として取り組まれました。
東京では、安保国民会議と、全国におくれて再開された東京共闘の主催で、1月24日『第六次統一行動中央集会』が日比谷で開催。
大衆運動の常識として、参加者が主催者の予想を上回って集まるというのは、運動が高揚していることの反映であり、この日はまさに主催者の予想をはるかに超えて1万5000人が結集し、集会と意気盛んなデモをおこなった。
同年1月28日の名古屋における、日韓・大管法(大学管理法)・失対(失業対策)打ち切り反対・生活擁護などの要求を掲げた決起集会にも、5000名が参加して、大衆闘争が上り坂にあることを示していました。
・『ポラリス原潜』の寄港問題
『UGM-27 ポラリス』 (Wikiより)
『ポラリス原潜、空母発艦の哨戒機が攻撃、艦対空ミサイル発射等をケネディ大統領視察』
https://www.youtube.com/watch?v=2IUnYGIF3cM
‐シリーズ『日米同盟』の正体 その3(ケネディ時代のアメリカ極東戦略①)‐
アメリカは、核弾頭搭載可能の第1世代潜水艦発射弾道ミサイル『ポラリス』を装備し、かつ動力に原子力を備えた潜水艦を、日本に寄港させるとして、すでに1961年6月の段階で、ワシントンにおける『池田・ケネディ会談』で話し合われていました。さらに『池田・ケネディヨット会談』では、日韓交渉促進の絡みも含め、同時に米側からポラリス原潜の日本「寄港」の要求が出された。
そして1963年1月24日、黒金官房長官は「このほど米国から原子力潜水艦の日本寄港について申入れがあった」(『アジア・アフリカ講座 日本と朝鮮』第3巻 勁草書房 189頁より)と発表した。
『ロズウェル・ギルパトリック米国防次官』 (英語Wikiより)
https://en.wikipedia.org/wiki/Roswell_Gilpatric
つづく2月6~7日に来日したギルパトリック米国防次官は、アメリカの新戦略構想(対中国封じ込め)に協力するよう池田内閣に強く要請しました。
‐シリーズ『日米同盟』の正体 その3(ケネディ時代のアメリカ極東戦略)‐
‐シリーズ『日米同盟』の正体 その3(ケネディ時代のアメリカ極東戦略②)‐
‐シリーズ『日米同盟』の正体 その3(ケネディ時代のアメリカ極東戦略③)‐
‐シリーズ『日米同盟』の正体 その4(「中国封じ込め」作戦の経緯)‐
・韓国内の権力争い
米原子力潜水艦日本寄港問題が、日本国民の注目を集めつつあったとき、南朝鮮(韓国)では、1963年1月21日、軍事ファッショ政権首脳のひとりである、金東河(キム・トンハ)最高会議外務国防委員長は「現政権のやり方にこれ以上協力できない」(『同』 同頁より)として、最高会議委員と民主共和党発起人を退くと声明。
それについで、同年1月24日、朴政権の実力者金鍾泌(キム・ジョンピル)は、民主共和党の発起委員長など、一切の公職を辞任すると表明。つづく26日には、金鍾泌派の巻き返しにより、反対派の5委員が最高会議から追放されるように、韓国当局の内紛は、果てしなく深まりつつありました。
1963年2月15日には、朴議長が大統領選挙出馬断念の意向を明らかにし、金鍾泌(キム・ジョンピル)の辞任を勧告した。さらに2月18日には、朴正熙(パク・チョンヒ)が改めて大統領選不出馬を正式に表明し、金鍾泌(キム・ジョンピル)は大汚職事件の表面化で韓国を逃亡し、事実上の亡命生活に追い込まれ、2月25日には朴議長特使の名目で日本に到着しました。
米原子力潜水艦の日本寄港問題と、南朝鮮(韓国)朴政権の危機など、新しい情勢のもとで、日韓会談粉砕闘争は、全国各地で安保共闘を中心に一層の盛り上がりを見せつつありました。
<参考資料>
・『アジア・アフリカ講座 日本と朝鮮』第3巻 勁草書房
・Youtube動画 『ポラリス原潜、空母発艦の哨戒機が攻撃、艦対空ミサイル発射等をケネディ大統領視察』
https://www.youtube.com/watch?v=2IUnYGIF3cM
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