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‐シリーズ『日米同盟』の正体 その2(日本も「分断」されていた)‐

 

https://ameblo.jp/epikutetosu/entry-12371011684.html

 

 

この段階からすでにアメリカのアジア戦略が、一貫して「対中国」であることは変わりありません。

 

ウィーンの米ソ首脳会談の直前、1961年5月25日、ケネディ新大統領は緊急特別教書を発表して「いまや異常の時期であり、われわれは重大な挑戦を受けている。そして自由を守り、これを拡大する主戦場は、地球の南半部全体アジア、中南米、アフリカ、中東であり、立ち上がりつつある諸国民の土地である」と述べて、少なくともその目標が「ソ連」でないことを明確に告白しました。

 

そして「弾力性、順応性および有事即応性をさらにいっそう増大させる」ための軍事・情報上の保障を6点にわたって示唆し、その第一に、国防長官に対し「陸軍の師団編成の完全な改組と近代化にとりかかり、非核火力を増強し、あらゆる環境での戦術的機動力を改善し、どんな直接・関節の脅威にも対処しうる柔軟性を確保し、主要同盟諸国との調整を促進し、ヨーロッパに近代的機械化師団をまた太平洋地域とヨーロッパの双方に新たな空輸旅団を配置するように命じている」(傍点畑田)と述べ、有名な『柔軟反応戦略』の実施をほのめかしました。

 

同時にケネディ氏は、第三として「非核戦争、準軍事作戦、準局地戦争、非通常戦争に備えるための現有部隊の再教育を急速かつ大幅に拡大するよう国防長官に指示するつもりである」として、核戦争・限定戦争・特殊戦争(対ゲリラ=テロ)の三つからなる大戦略構想の性格を裏付けました。

 

共和党アイク時代のアメリカ外交政策には批判的であり、民主党ケネディ政権の政策に大きな影響を与えていたロバート・A・スカラピーノ教授(コンロン報告の作成にも参加)は、アメリカの北東アジア政策にふれた論文の中で、以下のようにしています。

 

とりわけ日本の「大躍進」(高度経済成長)を称えたあと「日本は北東アジアで現在より大きな役割を演ぜられるし、また演ずべきである。少なくとも日韓関係改善の希望はあり、アメリカは常にこの点で斡旋する用意をもつべきである。日韓両国間の古い上下関係は全面的に棄てねばならぬが、アメリカの支持を受けた新しい経済政治協力の方式をつくることは、この地域の安定にとって極めて重要である」と書きました。

 

※註釈(①~⑰)

 

➄世界週報1961年6月13日号。

 

 

第六次日韓会談の実質上の開始の時期は、1961年6月、ワシントンにおける池田・ケネディ会談でした。そして当時の日韓会談の「特色の一つ」として、日韓会談とポラリス潜水艦(※)の日本「寄港」問題とか終始一貫した、からみ合いの表裏一体となっていて、すなわち『池田・ケネディヨット会談』では、日韓交渉促進の話し合いがおこなわれ、同時に米側からポラリス原潜の日本「寄港」の要求がだされました。

 

※ポラリス潜水艦-海中に潜航したまま,戦略弾道ミサイル (→SLBM ) を発射できる原子力潜水艦。(出典『ブリタニカ国際百科事典』 コトバンクより)

 

https://kotobank.jp/word/%E3%83%9D%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%B9%E6%BD%9C%E6%B0%B4%E8%89%A6-134216

 

 

61年11月日米貿易経済合同委員会第一回会議(箱根会談)出席のため来日したラスク米国務長官は、池田首相と会談しました。

 

その時ラスク氏は、「韓国問題はアメリカのアジア政策の中心課題だ。南ベトナムが非常に危険な状態にある折から、さらに韓国につまづくことは、アメリカの威信にも関係する。東アジアの情勢を改善することは、米日共同の目標だから、日本は早く韓国と国交正常化して、韓国の政治的・経済的安定に協力してほしい」と米極東戦略の中で、日韓軍事協定の決定的役割を強く打出しました。

 

対して、池田氏は「韓国問題を重視する点ではまったく同意見だ。日本も韓国が早く立ち直るよう努力しよう。しかし、日本としては二つの問題がある。一つは朴政権が安定しているかどうかということ。もうひとつは、財産請求権で大きなカネを支出することに対し、民社党を含めて野党は強く反対している。韓国は軍事政権だから、決意すればそれで何でも決まってしまう。しかし、日本では国会を通じてすべての問題は処理されているのであって、韓国のように簡単に決めてしまう訳にはいかない。したがって日韓協定の国会審議は非常に難しい。安保騒動の二の舞を演ずる危険性がある。自分としては、そのようなことが起こらないように苦慮している。しかし、韓国安定化への熱意は米国と少しも変わらない」と述べました。

 

 

<参考資料>

 

・『アジア・アフリカ講座 日本と朝鮮』第3巻 勁草書房

 

・コトバンク『ブリタニカ国際百科事典』

https://kotobank.jp/word/%E3%83%9D%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%B9%E6%BD%9C%E6%B0%B4%E8%89%A6-134216

 

 

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