前回の記事

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その23(日本人の政治離れとアジア軽視)‐

 

 

いよいよ今回が最後です。

 

・関東大震災から40周年 1963年における「成果」とは?

 

 

震災直後の様子(1923年 大正12年)

 

つぶやき館 『亀戸事件、-関東大震災直後に頻発した虐殺事件の一つ』記事より

 

https://madonna-elegance.at.webry.info/201408/article_3.html

 

 

【関連記事】

 

‐東アジアの今とこれから その15(大正デモクラシーの終焉と関東大震災)‐

 

‐東アジアの今とこれから その16(大虐殺を乗り越えて、過去と現在の日中連帯)‐

 

 

1963年は、関東大震災の40周年記念という区切りの良い年にあたっていただけでなく、日韓会談粉砕闘争のなかで、朝鮮に対する関心(過去の帝国主義時代の反省を中心として)が高まっていたからこそ、当日の9月1日には、例年になく盛大に日本人の手で朝鮮人慰霊祭が行われました。

 

学問的な論文も含めて、関東大震災に関するいくつかの労作※④があらわれたのも、1963年の特徴でした。

 

※註釈

 

④‐関東大震災・亀戸事件四十周年犠牲者追悼実行委員会篇集「関東大震災と亀戸事件」(刀江書院) 松尾洋「関東大震災事件日誌」(労働運動史研究三七号所収) 湊 七良「その日の江東地区」(同右) 戸沢仁三郎「純労働者組合と大震災」(同右) 今井清一「大震災下の三事件の位置づけ」(同右) 加藤卓造「関東大震災の教訓━日朝協会の調査研究活動」(歴史評論一五七号所収) 吉岡吉典「関東大震災時の虐殺事件に学ぶ二つの立場」(歴史評論、同右) 朝鮮人犠牲者問題本庄・船橋調査報告書(日朝協会朝鮮人犠牲者問題特別委員会) 

 

『アジア・アフリカ講座 日本と朝鮮』第3巻 勁草書房 203頁より

 

ただ、資料集『関東大震災と朝鮮人』(みすず書房)が、在日朝鮮人の手で編集されたが、これが日本人の手でなされなかったことは、返す返すも残念なことでした。

 

震災関係のみならず、朝鮮人犠牲者の調査を日本人の手でおこなうべきだという人々が結集し、朝鮮人犠牲者調査委員会が組織されたというのも、ある意味では日韓会談反対闘争の産み落とした結果です。

 

 

『羽仁五郎(はにごろう)』 (Wikiより)

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%BD%E4%BB%81%E4%BA%94%E9%83%8E

 

「現在における学問なり、芸術は世界的にいえばアウシュヴィッツから出発していないものはニセモノだと思うのですが、日本における学問なり、芸術なりというものは、四〇年前の九月一日から出発していないものはホンモノじゃない」※⑤

 

『同』 200頁より

 

※註釈

 

➄‐「関東大震災朝鮮人虐殺事件四〇周年を迎えるにあたって」(歴史評論一五七号所収)

 

『同』 203頁より

 

これは1963年7月17日関東大震災朝鮮人犠牲者についての講演会における、羽仁五郎の発言です。これは日本人の一部に、朝鮮に対してとても深い反省を持っている思想家がいることの証明でした。

 

 

・日韓会談反対闘争が残したもの

 

さらに当時の政治状況下で、南朝鮮(韓国)から、日本に逃れてきた人たちの権利を守るための難民問題研究所が生まれたり、朝高生(朝鮮高校の生徒)への暴行事件※⑥が頻発すれば、『在日朝鮮中・高校生に対する人権審判事件調査団』が組織されたり、在日朝鮮人の人権を守る会がただちに活動を開始するレベルまできているのも、すべて日韓会談粉砕闘争による「副産物」でした。

 

※註釈

 

⑥‐在日朝鮮人の人権を守る会準備会「在日朝鮮人は理由なしに殺傷されている━在日朝鮮中高生に対する暴行殺傷事件の全貌」および「在日朝鮮中高生の人権審判事件調査報告書」など参照。

 

『同』 同頁より

 

映画『日本海の歌』が制作に拍車がかけられ、かつ、物心両面からこの映画の完成に協力する人の数が増えつつある現状も、日韓会談反対との絡みの中で、そこで生み出された「空気」と呼応する形で進行していきました。

 

そもそも、在日朝鮮人高校生暴行事件そのものが、いわゆる『北鮮スパイ事件』などとともに、朝鮮民主主義人民共和国を敵視する立場から、概ね朝鮮半島に関する物事は、米日韓支配体制の確立により、日韓会談を妥結するための挑発的、もしくはフレームアップ的な事件であるとするならば、その限りにおいても、日韓会談と切り離して論ずることのできないものであることは明白でした。

 

さらに『小松川事件』※⑦の李珍宇に対する関心が想像以上に高まったのも、日韓会談粉砕闘争をたたかった日本人の心理と無関係には説明できない。この小松川事件は、日本人の若い世代と、日本にいる朝鮮の若い世代との対話の場を作り出したし、その中から『若い朝鮮と日本』という雑誌の刊行まで準備されました。

 

日本人のなかに、朝鮮語学習(今は「韓国語」という括りかもしれないが)が急増し始めたのも、日韓会談反対闘争を抜きにしては語れない上に、日中友好協会が主催する各種集会で、日韓会談への関心が高まり始めたのも、運動家たちがアメリカの『中国封じ込め政策』の一環として日韓会談を捉えるようになったからでした。

 

‐シリーズ『日米同盟』の正体 その3(ケネディ時代のアメリカ極東戦略)‐

 

‐シリーズ『日米同盟』の正体 その3(ケネディ時代のアメリカ極東戦略②)‐

 

‐シリーズ『日米同盟』の正体 その3(ケネディ時代のアメリカ極東戦略③)‐

 

‐シリーズ『日米同盟』の正体 その4(「中国封じ込め」作戦の経緯)‐

 

 

・北朝鮮と日本の自由往来を目指して

 

在日朝鮮人たちは、祖国自由往来の実現を目指して日夜超人的な奮闘を続けていると、参考図書の畑田氏は言明されていて、当時の厳しい雰囲気のなか、この運動に対して、自民党本部からの強い制止にも関わらず、地方議会が相次いで支持決議をしているのも、たとえ不純な動機からそうしている人がいくらかいるにしても、戦後18年間(1963年)、在日朝鮮人たちが事実上「軟禁状態」にあったという事実に、はじめて気づいた立場からくる人道主義の反映でした。

 

『日朝往来自由実現連絡会議』(幹事長社会党赤松勇代議士)という、超党派の組織が生まれたことも、日韓会談粉砕闘争との関連で記憶されて良いことです。

 

この参考図書が書かれた1960年代後半でもそうでしたが、現在においても、在日朝鮮人が、日本と北朝鮮の自由往来が認められていないだけでなく、換言して、日本人自身が朝鮮、具体的には朝鮮民主主義人民共和国との間を、行き来することができないのです。

 

そういう状態に抗して、務台理作(哲学者)、林要(経済学者)、野川茂吉郎(物理学者)の、人文・社会・自然分野における三学者が発起人として、さらに多くの科学者たちを加え、日朝両国間の人事往来と学術交流の実現のため署名運動を開始しました。

 

 

・認識を正し、平和と統合への『道』を決める

 

「アメリカは、朝鮮戦争中、第二次世界大戦中に太平洋戦場全てに投下したより多くの爆弾を朝鮮民主主義人民共和国に投下した。32,000トンのナパームを含むこの絨毯爆撃は、軍事目標と同様、しばしば意図的に民間も目標を定め、戦争に勝つために必要だったものを遥かに越え、朝鮮に壊滅的打撃を与えた。何千人もの無辜の文民が死亡し、都市全体が破壊され、更に遥かに多数の人々の家を失い、飢えさせられた。この戦争の支持者で、後の国務長官ディーン・ラスクは、アメリカが「朝鮮民主主義人民共和国で、動くもの全て、積み上がっている全てのれんが」を爆破したと言った。爆弾の破片に殺され、焼き殺され、煙で窒息した平壌住民は数え切れない」(「アメリカ人は朝鮮民主主義人民共和国にしたことを忘れ去ったた」、Vox World

 

マスコミに載らない海外記事 

『タカ派をなだめるため北朝鮮とのサミットを駄目にしたトランプ』

 

http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2019/03/post-48c7.html

 

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その2(朝鮮戦争時の日本国内の動き)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その7(韓国軍事クーデター後の北東アジア)‐

 

本シリーズでも、度々登場したラスク国務長官の発言も合わせ、朝鮮戦争で、おぞましいほどの民族虐殺や国家破壊の目に遭おうとも、自力更生精神でもって、『千里馬』建設に成功をおさめた朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の現状が、「地球上でもっともみじめな地獄」と化している韓国の実情と、対比的に日本に伝えられるにつれ、日本人の朝鮮民族への関心が日に日に高まりつつありますが、その視角と姿勢は、日韓会談粉砕闘争の経験を通過して、より正しく定着していきました。

 

日韓会談反対闘争は、表面では日本の朝鮮ブームを生み、内面的には、日本民族の一員としての、個々の日本人に深い内省を迫ったものです。

 

‐東アジアの今とこれから その1‐

 

‐東アジアの今とこれから その26(朝鮮での反戦運動、帝国の民、中国人との連帯)‐

 

かつて、エンゲルスが述べた「他国民を抑圧している民族はみずから自由ではありえない」という命題が、みずからはアメリカからの完全独立をたたかい取ろうとしつつ、自国支配層再び韓国(南朝鮮)へ進出しようとしているとき。

 

‐韓国に進出した日本の独占企業の話 その1(加速するアメリカへの依存)‐

 

‐韓国に進出した日本の独占企業の話 その2(「韓国」を創造したアメリカ)‐

 

‐韓国に進出した日本の独占企業の話 その3(植民地支配の「お詫び」ではなく軍事支配の経済援助)‐

 

‐韓国に進出した日本の独占企業の話 その4(見て驚く「一流企業」の数々)‐

 

‐韓国に進出した日本の独占企業の話 その5(その「進出方法」と「形態」について)‐

 

‐韓国に進出した日本の独占企業の話 その6(『韓国経済開発五ヵ年計画』を支えた日本企業)‐

 

‐韓国に進出した日本の独占企業の話 その7(所謂「親韓派」と呼ばれる人々の正体)‐

 

‐韓国に進出した日本の独占企業の話 その8(日本との利権づくりに奔走した韓国の「親日派」)‐

 

‐韓国に進出した日本の独占企業の話 その9(日系大企業の韓国進出における調査報告)‐

 

‐韓国に進出した日本の独占企業の話 最終回(日米独占資本の「相違」と平和国家の欺瞞)‐

 

そうした現実とたたかう日本人にとって、まずは「思想」の次元において問題が提起されました。

 

 

<参考資料>

 

・『アジア・アフリカ講座 日本と朝鮮』第3巻 勁草書房

 

・マスコミに載らない海外記事『タカ派をなだめるため北朝鮮とのサミットを駄目にしたトランプ』


http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2019/03/post-48c7.html

 

 

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