‐シリーズ『日米同盟』の正体 最終回(米日韓の断ち切れぬ軛)‐

 

上述の記事で、韓国の経済や政治問題は、すなわちアメリカと日本の関係でもあることを述べました。

 

所謂、日本独占資本の進出市場としての南朝鮮(韓国)経済の状況は、ここに本題に入る前に、南朝鮮(韓国)に対する、アメリカの経済支配の歴史と隷属資本について、簡単に触れておきます(樋口雄一氏の論文より)

 

1945年9月、南朝鮮を占領したアメリカは、同年9月25日付け軍政庁令第二号を取り決めました。

 

「38度線以南で日本人が所有していた。公私有財産の権利は、直接、または間接的、全部または一部、その形態の内容のいかんとを問わず、1945年9月25日付けアメリカ軍政庁がその所有権を接収する」と発表しました。

 

※在韓日本財産の詳細について

 

‐シリーズ こうして「在日」は生まれた その7(日本財産を用いて韓国傀儡化を進めた米国)‐

 

 

この接収資産総額は、アメリカ国務省の発表でも、南朝鮮の資産総額の80%に達していたものでした。

 

ホッジ・アメリカ駐屯軍司令官は、「私は言うならば総督である。従来使っていた意味で総督である」と発表し、南朝鮮占領の本質を明らかにしました。

 

その農業生産支配について、1946年2月には日本が作った旧『東洋拓殖株式会社』を、『新韓公社』と改め、東洋拓殖株式会社の土地だけではなく、日本人所有の全土地を取り上げ、アメリカは日本が取っていた現物小作料をそのまま徴収しました。

 

さらにアメリカ軍政は、米国の滞貨物資(売れ残り)を大量に導入しました。

 

この結果、「1947年現在、南朝鮮の企業所数は1943年5月とくらべて44%減少し、労働者数はは59%に減少した」(『朝鮮経済年報』1948年)とされています。

 

残った工場も、その大部分が操業を中止しており、操業中止の理由は原料および設備の不足でした。

 

これらの事実は、アメリカ帝国主義が南朝鮮を完全に隷属化し、後に『大韓民国』という国を作り、その戦略基地として変えたことです。

 

この方針は、1948年10月の『韓米協定』、さらに同じ年の『韓米経済援助協定』を通して確立していきました。

 

結果、アメリカの「南朝鮮植民地再編成」は、その帰属財産のアメリカ本国にとって必要なものの払い下げ、不必要なものの破壊を行う中で進行し、朝鮮戦争後は、帰属財産払い下げを行うと同時に、1953年12月『米韓経済協定』に基づく同年よりの『ICA援助』を与えることで、隷属資本を育成していきました。

 

簡単にまとめると、戦前の南朝鮮にあった「日本財産」を、本来朝鮮の民族資本として還元するのではなく、一方的にアメリカが分捕って、その大部分を浪費したり、買弁資本(売国企業)の育成へと悪用したことです。

 

 

このアメリカの韓国隷属資本の設立については、消費財を中心に輸入し、原材料をおさえ、アメリカの余剰農産物を主軸にして行われたものです。

 

表1 米国の対韓経済援助(『アジア・アフリカ講座 日本と朝鮮』第3巻 勁草書房 一三三頁より)

 

表2 1958年~1963年における対韓経済援助の内容<単位100万ドル>(同 一三四頁より)※タテ軸が金額(ドル)で、ヨコ軸が年数(西暦)

 

表1、表2にみられるように、経済援助の中身「消費財」が81%も占めています。そして経済建設に必要な「施設財」は、わずか19%にとどまり、しかもこの19%にしても大部分が軍事施設にまわされています。

 

【注】 表1のPL480とは余剰農産物援助をさす。

 

帰属財産の払い下げ工場を見れば、明らかに余剰農産物処理工場を中心とした紡績工場、製粉工場、製糖工場、食品などに集中しています。

 

【注】 例えばアメリカの余剰農産物の小麦については、朝鮮戦争後の1954年に「経済建設」を名の元に「援助資金」を使い、『朝鮮製粉』『大韓製粉』『極東製粉』の三社が独占し生産が開始されました。その後の援助を通じて、設備の拡大が行われ、1959年には年間小麦粉生産能力に換算すると78万327トンにもなります。

 

これを韓国国民一人当たりに換算すると一日「パン3個」に相当します。しかし、これらの製粉工場は、1961年現在、操業率は26.7%であり、アメリカ産原料が買えずに、さらに操業率が下がっています。また、製糖工場については第一製糖をはじめとして7社が創立されています(1953年まで韓国には製糖工場がまったくありませんでした)。これらもみな、外貨(アメリカ)による「援助資金」を基礎としています。

 

生産能力は年間24万6000トンで、それは韓国の需要量である5万トンの五倍にも達します。

 

これらの製粉・製糖産業に共通してみられることは、その施設財・原麦・原糖導入がすべて外援ドルによるものです。

 

韓国は米・食料の自給はもちろん、米の輸出国でさえありました。現在では「100万の絶糧農家を抱え、全羅北道では『立麦先売』が行われ、『沙島』では海藻を主食とし、『長興』では欠食児童が9割を占めている」(『朝鮮日報』3月31日より)とされています。

 

結果わかるように、戦後における在韓日本財産を有効に使えず、アメリカにとって非常に都合の良いように作り替えられた結果、経済は著しく疲弊し、それまで賄えた農業生産力さえも、極度に外資に依存させられる形となり、もっぱらそれに頼らなくては、人々の生活や社会システムを維持できなくなるようになってしまいました。

 

 

<参考資料>

 

・『アジア・アフリカ講座 日本と朝鮮』第3巻 勁草書房

 

・拙ブログ記事 『‐シリーズ『日米同盟』の正体 最終回(米日韓の断ち切れぬ軛)‐』

https://ameblo.jp/epikutetosu/entry-12391370035.html?frm=theme

 

・同『‐シリーズ こうして「在日」は生まれた その7(日本財産を用いて韓国傀儡化を進めた米国)‐』

 

https://ameblo.jp/epikutetosu/entry-12347253782.html?frm=theme

 

 

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