韓国の『朝鮮日報』(59年3月20日号)によると、韓国における日本側の財産は「帰属財産」と呼ばれ、総数32万9000件ほどありました。
1945年8月15日、朝鮮半島が独立して南朝鮮(韓国)に軍政を布いたアメリカ軍は、先の軍令第三三号により「日本の公私有財産の所有権は、朝鮮軍政府(軍政を行った米軍)が取得」し、同年12月12日から「敵産管理委員会」を設けて、その処理が行われました。
ところが、解放後の無秩序と混乱、米軍政庁が無責任で消極的な管理行政の隙間を利用して、サギ漢と悪質な韓国人通訳とが結びついて帰属財産の争奪戦が行われました。それが社会悪の根源となり、高層建築・高級住宅は米軍官吏の住宅となり、513件の生産企業体が、米軍人・通訳、奸商の結びつきによって契約され、財務部統計によると、当時2200件の財産が処分されたそうです。
契約高は2600円(当時の物価)に過ぎず、1948年8月15日に李承晩政権が作られると、9月20日発効の『韓米間の財産および財政に関する最初協定』により、「帰属財産」は米軍から李政権にゆずられたはずですが、なぜか処理法規の公布が遅れ、それに行政技術の未熟さも相まって、またもや争奪戦がはじまりました。
後に朝鮮戦争が勃発すると、その大切な「日帝遺物の帰属財産」も、その半数の52パーセントが戦火で焼失してしまいました。
後に、米軍が「敵産」名目で接収した日本財産の内訳は、以下のようになっています。
‐旧大日本帝国が所有した在韓日本財産‐
工場・鉱山 2690件
動産 3924件
船舶 225件
倉庫 2818件
店舗 9096件
農地 32万4404町歩 (※1町歩<ちょうぶ>は1町四方の土地の面積で、3000歩。約9917㎡)
貸地 15万827件
住宅 4万8456件
林野 7万39件
雑種地 1366件
果樹園 2386件
『ソウル経済新聞』1955年1月23日号より
そして米軍はこれらのものを欲しいままに奪い、残りを李承晩に与え、その過程で新興の買弁資本家(アメリカだけに従う売国経営者)を大量に生み出しました。
<参考文献>
・『アジア・アフリカ講座 日本と朝鮮』第3巻 勁草書房