日、朝、中三国人民連帯の伝統

 

吉岡吉典氏の論文より参考

 

(時代は幸徳秋水ら明治社会主義者の国際主義にたった連帯から敗戦まで)

 

Friedrich Engels

https://alchetron.com/Friedrich-Engels

 

“他国民を抑圧している国民は自分自身をも解放することができない”

 

エンゲルス『ポーランド人の宣言書』

 

 

ここに一つの格言があります。

 

今のアメリカ人が、日本や世界各地の国々で、自国の軍隊を押し付け、経済的にも強い影響下に置いた上で、情報的にも、社会的にも、その「管理下」に据えています。

 

また当のアメリカ人ですら、かつてはベトナム反戦運動を盛んに展開していましたが、時を経るうちに、政府が行った『アイデンティティ・ポリティクス』の被害者となり、やれ「ヘイトスピーチ」だの、「黒人差別」とか、そういう本筋とは関係のない闘争に巻き込まれ、もちろんそれらが無視されるべき問題ではないのは確かですが、そういう「アメリカ国内だけ」の問題に翻弄された結果、他国への軍事的干渉や人権侵害については、「まったく興味を示さなくなった」のが事実です。

 

英語ブロガーのMichikoさんは、これを「帝国の民」と位置付けています。

 

過去の日本についても、その支配階級は、他民族抑圧の中で帝国主義に反対する朝鮮、中国人たちを「不逞鮮人」「暴徒」「馬賊」「匪賊」「赤匪」などと称して攻撃しました。

 

それによって、支配階級が作り出した『軍国主義』『愛国主義』『排外主義』に、日本の一般民衆は、まんまと乗せられ、朝鮮、中国への侵略に動員され、これに協力させられました。

 

これも過去にあった「帝国の民」と言えるでしょう。

 

「そうした構造」の中で、日本にもごく少数ですが、東アジアの動きと連帯して、朝鮮や中国の民と一緒になって、日本の帝国主義に抗った人たちはいました。

 

明治政府の成立から、1945年の敗戦に至るまで日本と朝鮮の関係は、一方では一貫した朝鮮侵略の歴史があり、他方では、これに対する朝鮮民衆の民族解放闘争の歴史が存在します。

 

また日本と中国の関係もまた、日本帝国主義が長期にわたって干渉と侵略を繰り返し、ついに中国に対する全面戦争へと入り、中国民衆がこれに対して闘ってきた歴史があります。

 

そもそも、これらの点について、特に重要なものとして取り上げられなければならないのは、朝鮮、中国民衆の解放闘争という関係のなかで、「日本の民衆」はどのように立ち振る舞ってきたのかということです。

 

前述のとおり、その大部分は自国の帝国主義に動員され、彼らを敵視するように「洗脳」されていました。反面、被支配民族側は、本来「侵略国」側である日本の民衆と、支配階級の帝国主義者は「区別すべきだ」と、実際共産党の指導の中で、一貫した態度を示してきました。

 

それは戦後における、中国の政治家の言葉を見れば一目瞭然です。

 

 

次回は、「帝国の民」側であったにも関わらず、自国の東アジア侵略に異議を唱え、結果日本の支配階級の激しい憎しみの的となり、過酷な弾圧を受け、時には処刑されたりもしながら、「日朝中三国の連帯」を貫いた人たちの話をします。

 

 

<参考資料>

 

・『アジア・アフリカ講座 日本と朝鮮』第三巻 勁草書房

 

 

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