前回の記事

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その22(人々の「啓蒙意識」について)‐

 

 

 

『北東アジア地図』

 

https://ameblo.jp/cluttered-talk/entry-12400181935.html

 

 

・政治と暮らしの「分断工作」

 

‐韓国に進出した日本の独占企業の話 その1(加速するアメリカへの依存)‐

 

‐韓国に進出した日本の独占企業の話 その2(「韓国」を創造したアメリカ)‐

 

‐韓国に進出した日本の独占企業の話 その3(植民地支配の「お詫び」ではなく軍事支配の経済援助)‐

 

‐韓国に進出した日本の独占企業の話 その4(見て驚く「一流企業」の数々)‐

 

‐韓国に進出した日本の独占企業の話 その5(その「進出方法」と「形態」について)‐

 

‐韓国に進出した日本の独占企業の話 その6(『韓国経済開発五ヵ年計画』を支えた日本企業)‐

 

‐韓国に進出した日本の独占企業の話 その7(所謂「親韓派」と呼ばれる人々の正体)‐

 

‐韓国に進出した日本の独占企業の話 その8(日本との利権づくりに奔走した韓国の「親日派」)‐

 

‐韓国に進出した日本の独占企業の話 その9(日系大企業の韓国進出における調査報告)‐

 

‐韓国に進出した日本の独占企業の話 最終回(日米独占資本の「相違」と平和国家の欺瞞)‐

 

米日韓結束の意味で、支配階級の側からは「日韓親善ムード」が喧伝され、とりわけ米日独占資本は、安保闘争以後、労働組合は「経済問題だけに取り組むべきだ」と、政治闘争には参加すべきではないという日本的労働組合主義を奨励するという思想攻撃を強めた。

 

さらに労働者階級(一般人)が、日韓会談の不当性を理解し正しく認識すること自体が、難しいとされていました。

 

ゆえに、「警職法(警察官職務執行法)はオイコラケイサツ反対で一分ではいったし、安保は三時間もあればわかってもらえた、しかし、日韓は三日かけても三週間かけてもはいりくい」(『アジア・アフリカ講座 日本と朝鮮』第3巻 勁草書房 199頁より)と言われました。

 

 

・昔から「アジア問題」は人々から理解されにくかったワケとは?

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その18(ポラリス寄港問題と韓国の内紛)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その19(運動のオワコン化 その弱点とは)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その20(アンチ米軍運動の再開)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その22(人々の「啓蒙意識」について)‐

 

先の九・一の成功は、日本人が核搭載のポラリス米原子力潜水艦が自国に来ては困るという、明白な意思を持っていることは言わずもがな、それに比べ、日韓会談粉砕闘争が「最高潮」に達した時期でも、前者ほどの大衆的動員をするまでに至らなかった。

 

これは何故なのか。

 

無論、大衆に行動エネルギーが欠如していたからではなく、彼ら自身が「日韓会談が妥結されては・・・・・・」というハッキリとした認識を持つことができず、これ自体、先進的でめざめた指導部の責任もありますが、決定的に重要なことは、日韓会談を、日本人の「切実な問題」として捉え、そうした方向で理解する努力を怠ってはならないことに尽きます。

 

しかしながら、それは無理だった。

 

上記の課題を解決する上で、「困難な条件」として立ちはだかったのは、日本人の中に長い間培われてきた『朝鮮への蔑視・軽視・無関心』の傾向が、現に存在していたからだと、参考図書の畑田氏は指摘されます。

 

‐明治時代の朝鮮観その1(征韓論①)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その1(征韓論②)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その1(征韓論③)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その2(自由民権派の認識①)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その2(自由民権派の認識②)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その2(自由民権派の認識③)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その3(脱亜論者の場合①)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その3(脱亜論者の場合②)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その3(脱亜論者の場合③) ‐

 

‐明治時代の朝鮮観その3(脱亜論者の場合④)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その4(近代史学者の解答①)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その4(近代史学者の解答②)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その4(近代史学者の解答③)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その4(近代史学者の解答④)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その4(近代史学者の解答➄)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その4(近代史学者の解答⑥)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その4(近代史学者の解答⑦)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その5(社会主義者・人道主義者の朝鮮観①)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その5(社会主義者・人道主義者の朝鮮観②)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その5(社会主義者・人道主義者の朝鮮観③)‐

 

‐シリーズ記事を終えて(日本人の朝鮮観の伝統とこれから先について)‐
 

日韓会談が、韓国のことではなくて、日本の問題だとはいえ、それを疑いもなく「朝鮮全体との関係」で提起される問題です。そこに少しでも朝鮮が関係する問題は、日本人が軽くみたり、あつかったりする傾向が多分にあった。

 

 

・なおざりにされた日朝史を再び 認識の正常化への道

 

日韓会談粉砕闘争が、「第二の安保」を期して取り組まれたにもかからわず、必ずしもそうなりえなかったことから、特に熱心にに取り組んだ団体や個人によって、その原因につき、当時から検討や反省がなされつつありました。

 

その中から出されてきたことは、日本人が、かつて日本帝国主義が朝鮮ならびに朝鮮人に対して何をしたか、という歴史的事実を正しく知らされていない事実が出てきた(若い人のみならず、老年配者も、局部的事実はともかく、歴史の全貌に関する事実は必ずしも知らされていない)。

 

‐新一万円札と新五千円札の「顔ぶれ」についての所感‐

 

従って、朝鮮の近代史、とくに日本と朝鮮の関係史(このことは日本資本主義の歴史を正しくしることにひとしい)研究をし、かつ普及、教育する必要があるということでした。

 

日本人の朝鮮観が歪められたままであるのも、根本的な反省をせまるだけの事実認識そのものが欠けているからであるという重大な発見と反省が出てきた。

 

そして、いまや学術研究団体では無論のこと、日朝協会など国際友好団体のなかにおいても、朝鮮の近代史を学ぼう、日本と朝鮮の過去の関係史を知ろうという運動が起こり始めました。

 

※日朝協会について

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その3(遅れすぎた朝鮮との接触)‐

 

これは、日韓会談反対闘争の成功から出たわけではなくて、予想に反して盛り上がりを「見せなかった」ことの中から引き出された、貴重な成果もしくは教訓でした。

 

 

・「弱さ」は必ず付け込まれる

 

以下で述べたように、1960年代の当時から、こうした問題は指摘されていたにもかからわず、あれから60年近く過ぎようとしている2019年現在。

 

情報インフラが格段に発達し、我々の日常が開明化しつつあるのは事実ですが、別の側面では、デマや嘘が蔓延したり、インターネットという新しいプラットフォームに対する、我々の知識や発生する問題への対処技術は、ポジティブなものと比例して難しい。

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その22(人々の「啓蒙意識」について)‐

 

主に朝鮮半島との問題においても、基本に立ち返って、しっかりとした知識に基づく認識がなければ、恣意的に発せられるニュースや、個々人の揉め事に翻弄され、体制の都合の良い操り人形にされるのが関の山だ。

 

そうした空間における、ありとあらゆる流動的な出来事に対する「揺るがない姿勢」。これこそが最も大事なポイントであり、独立メディアを主体とする海外ニュースを読んだり、もちろん、物事のすべての100点満点にクリアするための能力やハードルは、とんでもないレベルになることは間違いないが、こうやって偉そうに語っている自分にしろ、10点すらままならないのが現実です。

 

それくらい情報社会は複雑で、これに接する私たちの態度は、より深刻なものであり、決して、惰性やフィルタリング的趣向によって決めてはならないのです。

 

 

<参考資料>

 

・『アジア・アフリカ講座 日本と朝鮮』第3巻 勁草書房

 

 

<ツイッター>

 

【歴史学を学ぶ大切さを伝えるブログ(ふーくん)】

 

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