江戸時代から続く、今回のシリーズ記事もいよいよ最後半になります。


明治以降の日本人の朝鮮観は、以上でみたように非常にゆがんだものでした。


そのゆがみは、一言でいうと日本の朝鮮侵略・植民地支配の肯定を根ざし、侵略が進行し、支配が強まるにつれて、より一層拡大していきました。



学問が進み、朝鮮研究が高度になっても、ゆがみは改められないばかりか、学問的装いをもって大きなゆがみが生み出されるに過ぎませんでした。


無論、ゆがみを正す道日本の朝鮮侵略に反対する立場においてのみ可能でした。


侵略反対は日本国内の民主化運動と深いつながりがあり、自由民権左派の朝鮮観が、表層的とはいえ連帯意識を持ちえたのは、国内の民主化の要求と朝鮮への干渉戦争に反対する立場を取っていたからでした。


しかし、他面において優越感・支配者意識を持って、後に侵略論に転化していったのは、民主化の要求が不徹底で朝鮮侵略に正面から反対する立場を取りえたなったからで、いずれにせよ、民主化の運動と侵略反対‐朝鮮との連帯とは不可分に結び付いていました。



また上述の侵略反対・民主化要求は、日本の支配権力と真っ向から対決するものであり、かつては著しく困難なことでありました。しかし、その困難をおかして、声高に侵略反対を叫び、朝鮮その他のアジア被圧迫民族との連帯を唱える者があらわれました。


次回は、その具体的な人々に迫っていきたいと思います。



<参考資料>


・『アジア・アフリカ講座 日本と朝鮮』第三巻 勁草書房