前回の記事

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その2(朝鮮戦争時の日本国内の動き)‐

 

 

 

『南北朝鮮』

 

https://ameblo.jp/cluttered-talk/

 

 

・北朝鮮とのコンタクト

 

『日朝協会第一回全国大会』が開かれたのは1955年11月です。

 

ここではじめて日朝協会「日本人が組織する団体」であるとの性格が明らかにされた。ということは、それ以前は在日朝鮮人の団体なのか、日本人の団体なのか、その性格がきわめて曖昧だったことを意味し、全国大会で討議された「主な議題」は以下の通りです。

 

①文化交流の問題

 

②日朝貿易の実現

 

③漁業問題の解決

 

④国交正常化について

 

➄在日朝鮮人との提携

 

さらに、1950年12月『日朝親善協会準備会』が開かれたとき、

 

(1)文化団体として朝鮮の実情をひろく紹介する

 

(2)在日朝鮮人に対する弾圧に反対し、在日朝鮮人の生活と権利および平和を守るために努力する

 

という二大目標を掲げたといういきさつもあり、全国大会にいたるも日韓会談に対する意思表示はまったく見られませんでした。

 

日朝協会は、創設以来、日朝貿易問題には力を注いでいましたが、1956年2月には『日朝貿易漁業促進懇談会』を開き、ひろく意見をきき、その対策を協議した。このような動きの中で、同年6月、日朝協会は日朝貿易会などと一緒に、『日朝貿易漁業促進対策委員会』を設置。1957年9月27日、『日本貿易促進協会』、『日朝貿易会』、『日朝協会』の三団体は、ピョンヤン(平壌)で朝鮮国際貿易促進委員会との間に、輸出入計1.200万ポンド、有効一ヵ年の貿易協定を結びました。

 

 

・韓国とのコンタクト

 

他方、日韓政府段階では、1957年12月31日『日韓全面会談再開にかんする覚書』、『収容韓国人および収用日本人漁夫にたいする了解覚書』の交換がおこなわれ、これにより、大村、プサン(釜山)両収容所抑留者の釈放(全部ではない)と『久保田発言』の撤回および『在韓日本財産請求権』の主張の撤回がおこなわれました。

 

※『久保田発言』と『在韓日本財産請求権』について

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その2(朝鮮戦争時の日本国内の動き)‐

 

‐シリーズ こうして「在日」は生まれた その5(財産請求権の問題)‐

 

これは日韓会談再開への準備にほかならなかった。

 

 

・「職業右翼」の妨害

 

そして1958年5月2日、長崎切手展で日本人による『中国国旗汚辱事件』が起こりました。

 

 

『展覧会にあったものと同様の中国国旗が描かれた切手の例』(1950年) (Wikiより)

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B4%8E%E5%9B%BD%E6%97%97%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 

1958年(昭和33年)5月2日長崎県長崎市にある浜屋デパート4階の催事会場で、日中友好協会長崎支部の主催による「中国切手・切り紙展覧会」が開かれていた。会場の入口付近の天井には中華人民共和国の国旗である五星紅旗(縦120cm、横150cm)が天井から針金で吊るされていた。主催者によれば「会場の展示物が全部中共のものなので一つは雰囲気を出すためと、一つは切手同様の展示品の意味合いがあった」という。しかしこの展示会場の国旗掲揚については在長崎中華民国領事館からは「国際法上非合法な国旗であり、掲揚は日本と国府との友好関係に悪影響を与える」との警告が発せられていた。これは国府(中華民国国民政府中国国民党政権、国民政府)からの抗議に即したものであった。

 

右翼団体に所属する日本人の28歳の製図工の男が乱入し、会場内に掲げられていた五星紅旗を引きずり降ろした上、毀損した。ただし旗自体は破れていなかった。犯人はすぐに警察に拘束されたが、事情聴取のうえで器物破損で書類送検された。結局1958年12月3日になって軽犯罪法第一項の「みだりに他人の看板を取り除いた」ことによる科料500円の略式命令となった。

 

Wikipedia 『長崎国旗事件』より

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B4%8E%E5%9B%BD%E6%97%97%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 

※中華民国=台湾

 

コトバンク『長崎国旗事件』より

 

世界大百科事典内の長崎国旗事件の言及


【中華人民共和国】より

…こうした状況を反映して,57年4月に派遣された日本社会党訪中使節団は,国交正常化,両国間交流の拡大,諸種の交流に関する政府間協定の締結などを内容とする共同声明を発表した。しかし,同年後半から始まった反右派闘争によって中国の対外政策が変化し,日本でも岸信介内閣が台湾寄りの政策をとって,第4次貿易協定に定められていた中国通商代表部の国旗掲揚の権利を否認したため,両国関係は悪化に転じ,58年5月の,いわゆる長崎国旗事件(長崎で開かれた日中友好協会主催の中国切手展で,一青年が中国国旗を引きずり下ろした事件)をきっかけに,すべての貿易契約が破棄された。中国政府はあらためて〈政経不可分〉を強調,文化・スポーツ交流も停止された。…

 

https://kotobank.jp/word/%E9%95%B7%E5%B4%8E%E5%9B%BD%E6%97%97%E4%BA%8B%E4%BB%B6-1382058

 

My grandfather was a truly great man

 

‐お前たちも所詮『同じ穴の狢』だ‐

 

言葉は悪いけど、ここまで来ると「病気だな」としか思えない。

 

なにがなんでも『アジア憎む病』ってヤツ?

 

名前なんてどうでもいいけど、彼らの米国に対する「態度のそれ」と考えたら、行動原理は不可解きわまりない。明らかに「熱の入れ方が違いすぎる」わけ。

 

でも、アメリカのヒモ付き右翼(別名:恥知らずな買弁右翼)と理解したら、すんなり納得できる。

 

‐続・画像で振り返る南北首脳会談 その10【ピョンヤンの秋】-

 

お隣韓国にも、『自由韓国党』(セヌリ党・旧ハンナラ党)という日本の右翼とそっくりな「アメリカ大好きなんちゃって愛国」のお仲間集団がいて、絶えず文在寅大統領や金正恩委員長を憎みまくっている。

 

‐金正恩委員長のソウル訪問歓迎の動き(若き学生たちの想い)‐

 

無論、その淵源は古く、朴正熙大統領の時代から「親日派」として、経済的・政治的に日本とくっつき、この二つの上にアメリカがいて、三者トランアングルの利権構造があった。

 

‐韓国に進出した日本の独占企業の話 その8(日本との利権づくりに奔走した韓国の「親日派」)‐

 

だから彼らの目的は、米軍産がアジアに「平和が訪れること」を恐れると同じく、その「傘下」の人間として、似非右翼や愛国を振りまいて、相手に不快な思いをさせ、対立を煽ることが『お仕事』でおまんまを食っている連中だということ。

 

 

・ようやく始まった『日韓会談』反対運動。しかし・・・

 

話は戻りますが、そうした右翼がおこなった『中国国旗汚辱事件』(長崎国旗事件)により、当時の日中貿易が全面停止になるという事態が発生し、この余波を受けて、日朝貿易も中断のやむなきに至った。

 

日朝協会は、1958年6月、7月を『日韓貿易・漁業正常化促進月間』として全国的に運動をすすめ、7月には『日本・朝鮮漁業・貿易正常化全国協議会』と『日本・朝鮮貿易、漁業促進大会』を東京で開催。重ねて、同年9月8日にも『日本朝鮮直接貿易実施平和友好促進月間中央集会』を同地でひらいた。

 

この時期の一連の動きの中、『日朝直接貿易の実現』『日朝往来の自由獲得』とならび、初めてそれらを「阻害する」『日韓会談』糾弾という課題が公然と掲げられました。

 

こういう過程を経て、24団体の参加による『日韓会談対策連絡会議』(以下日韓対連と略す)が組織され、日本人の運動のなかで、日韓会談と対決するという姿勢が、客観的な組織形態をともなって明らかにされたというのは、実はこれが最初でした。

 

つまり、51年の(日韓)予備会談開始に遅れること7年というわけで、組織が生まれたとはいえ、その推進泰の主柱が日朝協会や日朝貿易関係の団体などのように、朝鮮に関心や興味や利害関係をもつ団体の範囲を出ていなかったし、言葉を変えていえば、日本国民の生活上の利益や、思想的次元における反省などに基礎をもつ国民運動の組織ではなかったということです。

 

総じて、反対運動の側の「恐るべき立ち遅れの表明」でした。

 

 

<参考資料>

 

・『アジア・アフリカ講座 日本と朝鮮』第3巻 勁草書房

 

・Cluttered talk blab blab blab 『My grandfather was a truly great man』記事

 

https://ameblo.jp/cluttered-talk/entry-12043128632.html

 

 

<ツイッター>

 

【歴史学を学ぶ大切さを伝えるブログ(ふーくん)】

 

https://twitter.com/XMfD0NhYN3uf6As

 

 

ブログランキングに参加しております。

皆さまのご支援が頂けるとありがたいです

(下のバナーをクリック)

 

にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村